水 無 月
(2017年 6月号)

春から夏へと季節の変わり目の水無月(みなづき)(6月)、 太平洋側の高気圧が次第に発達して日本列島に沿って気圧の谷ができ、その谷間に低気圧が通ったり、 不連続線が生じたりして雨が降り続く何となく僻陶しいこの季節。
 全国の氏神様が出雲に出張してしまい、出雲以外は氏神様不在の月だからと10月を神無月としたのは理解できるが、 うんざりする程雨ばかり降り続いて水には不自由しないはずの6月を何故旧暦で「水有月」とせずに「水無月」としたのか、 不思議に思って広辞苑を見たら、水無月は「水の月」という意味で「田圃(たんぼ)に水を入れる月」だとあった。
 豊葦原瑞穂(とよあしはらみずほ)の国としては、 みずみずしい稲の穂を豊かに実らせる為に水を総て田圃に引き入れ民百姓達は生活に使う水も不自由したので水無月としたのだろうか。

 又、 今年の入梅は6月11日だが、これは梅の実が熟すところから出たもので、梅雨時は高温多湿で細菌が繁殖しやすく、 従って食中毒の多発する何とも頂けない季節だ。
 その上、1年12ヵ月の内で休日の無いのも6月だけ、休日ではないが12日の「父の日」も5月の「母の日」に比べると、まったくその影が薄い。 (但し、これは自業自得)
 要するにこの6月という月は、どう考えても私のモットーとする「前進・前進・常に前進」の気分を著しく損ねる月なのだ。

然し、末期高齢者の私としソは、何もせずに座して死を待つのも悔しく、書斎の壁に掛けてある私の尊敬するN住職の「今しかない」 の書を眺めつつ、“一大事と申すは今日ただ今の心なり それをおろそかにして明日ある事なじ” 「而今現成(じこんげんじょう)」現成とは現実に成立ししていること、 即ち今のこの一瞬が本番なのだと勇気をふるいおこし、馬乗りは馬乗りらしく、自分の尻を鞭でたたいても馬が前進しないなら、 馬の鼻先に人参をぶらさげるしかないと考えた。そうした時に思い浮かんだのが1979年108歳で亡くなった 彫刻家・平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)翁の残した語録だ。
 日本近代木彫界の巨星・平櫛田中は日本美術教育の先駆者で東京美術学校、現代の東京芸術大学の初代校長の岡倉天心の 「平櫛さん貴方の理想をどこまでも追及して下さい」との一言に勇気付けられ、その言葉を精神的な支えとして 「守拙求真」拙さを守りながら真実を求める、上辺だけのぺ上手さよりも真実味のこもった作品を愚直に追求しようと決心したのだ。
 「今日もお仕事、おまんまうまいよ、びんぽうごくらく、ながいきするよ」
 「六十、七十は鼻たれ小僧、男ざかりは、百から百から、わしもこれからこれから」
 「人間いたずらに多事、田中いたずらに百歳。いまやらねばいつできる。わしがやらねばだれがやる」。

田中翁が六代目尾上菊五郎丈をモデルに取り組んだ「鏡獅子」は昭和11年より構想を練り、24年に菊五郎が鬼籍に入った後も 制作を続け20年の歳月を費やして完成させたという。そして108歳で亡くなった時、 あと30年以上の制作を続けられるだけの材料を確保していた。
 この明治人の気骨、情熱、そして執念は一体どこから来ていたのだろう。米寿にもならぬ鼻たれ小僧の彫刻家の端くれとして 6月はどうも身体が重くて気が進まない等と悠長なことを言っている場合ではないと気がついた。
 田中翁には及びもつかぬが一応80年以上、馬に乗り、馬にさわり続けてきた私としては今迄に等身大に近い十数点の馬像(銅像)を含め 大小取り混ぜて百数十体の馬像を創ってきた。

然し悲しいかな私の個展を総て「習作展」とした如く、今迄の馬像は総て習作で私の作品は総て我を忘れて楽しんだ残骸」にすぎない。
 あと何年生かせて頂けるか、神のみぞ知るだが、田中翁と同じく葛飾北斎も又、「七十年前画く所は実に取るに足るものなし、 七十三歳にして精禽獣魚の骨格草木の出生を悟り得たり、故に八十にして益々進み九十歳にして猶其奥意を極め、 一百歳にして正に神妙ならんか! 百有十歳にして一点一格にして生けるが如くならん」と画狂人(北斎)の心を吐露している。
 アテネのパルテノン神殿は人と馬との彫刻で飾られている。古代より人間にとって馬は切り離すことのできない存在だった。
 ブラジルの民間伝承に「神は最初に男を創った。思い直して女を創った。時を得て、男の勇気と気概、 女の気品と美しさを兼ね備えた馬を創った」とある。

馬の起源は人間より遥かに古く、世界各地で色々と伝承されているが、古代ギリシャでは、馬は海の神ポセイドンが創ったもので、 波間から誕生したと信じられている。要するに馬は神様よりの贈り物、馬は神聖な動物であり馬は何百万年もの間この世に存在しており、 約5千年前から家畜化され、人類の最も大切な(しもべ)、同胞、友達、 相棒として精一杯人間に尽くし、何の見返りも期待しない。人類にって馬ほど献身的な動物はほかにいない。
 然し、それらの馬達の中で幸福な一生を送ることが出来たと満足してその生涯を終えた馬が果たしてどれ程いただろうか。
 馬と係わってきたお陰で自分なりに幸福な人生を送らせて頂いていると信じている画狂人ならぬ馬狂人の私は、実は十数年前から、 何時の日にかそれらの馬の菩提を弔い、馬の冥福を祈り、そして下手な私を乗せて天国を見せてくれた馬達への恩返しというか 罪滅ぼしの意味を込めて馬の天国門(馬魂碑)を創りたいと、いろいろ構想を練って試作を繰返してきた。
 然し、如何せん「凡夫は飽くことを知らず」で、これという構想が決まらぬまま、彫刻家仲間でいうところの「天使が降りてくる」(ひらめき)のを唯、 便々と待っている始末だ。
 然し、雨の多いこの月、晴耕雨読ではないけれど音もなく静かに降り注いで草木を潤しその生命を育む雨音を聞きながら、 禅僧の如くそ跌跏・瞑目して真剣に天国門「馬の極楽門」の「構想を練り、悩みを闘争のエネルギーにかえ、 彫刻は困難を乗り切り困難に打ち勝つ「超克」だと思い定め、その人参を鼻先にぶらさげて粘土と格闘しようと思う。

 “花 が咲いている 精いっぱい咲いている
   私たちも 精いっぱい生きよう”    (松原泰道)
                     以上