生き甲斐
(2017年 2月号)

今から2500年前、西暦紀元前383年2月15日(陰暦)、お釈迦様は旅の途中で病に倒れられ沙羅双樹の下で頭北・面西・右脇下で臥し 静かに81歳の生涯をとじた。
 急を聞いて集まった弟子や菩薩・天童・鬼畜等に向かって「総てのものは変化してゆくものであり、一つとして定まっているものはないのだから、 心して過ごすように」と最後の教えを説いた。
 従って、毎午2月15日には、お釈迦様の遺徳を偲んでお釈迦様の入滅する様を描いた涅槃図を掲げて 涅槃会(ねはんえ)を行うお寺が多い。
 その涅槃図には弟子や菩薩遠の外に動物や虫までもが悲しみに打ちひしがれている様が描かれているが、 よく見るとその図の右上のところに樹の枝に引っかかって小さな袋かぶら下がっているのがわかる。

お釈迦様を産んで七日目に亡くなられた母親の摩耶夫人(まやふじん)が、 我が子の病が重くなったのをトウ(立心偏に刀)利天(とうりてん)で御覧になり、 急いで持っていた薬袋を下界に投げてよこされたのだ。
 然し、残念なことにその薬袋は沙羅双樹の枝に引っかかってしまい、お釈迦様はその薬を飲むことができず入滅されてしまった。
 その時お釈迦様はすでに81歳、世の人からは(さと)り をひらいた仏陀として崇められていても母親から見れば、幾つになっても愛しい我が子にかわりはなかったということなのだ。
 人間は必ず死ぬ、会う者は必ず別れる時が来る、と諭されてはいても、やはり81歳の我が子の病に、 居ても立ってもいられず天界から薬袋を投げてよこす母親の情愛を、この涅槃図は同時に描いているのだ。

我が子が生後1ヵ月で脳に酸素が届かないという原因不明のトラブルに見舞われ、身体の自由はおろか、 言葉を話すことさえ奪われてしまう最重度の脳障害児の母となった溝呂水眞理さん(チャレンジドハート代表)は、それでも娘、 梨穂さんの中に、ちゃんとした意思や思いがあることを感じとり、娘には必ず言葉があるはずだ、 だから何としてもその言葉を引き出してやりたいと必死の思いでの闘いが19年5ヵ月間続いた。
 そして遂に奇跡が起きた。
 國學院大学の柴田教授に巡り合い、彼独自の開発によるスイッチを通じて、パソコンの画面に母親が20年近く待ち望んでいた愛しい 我が子の心の中の思いが次々と打ち出され、母親は生まれて初めてそれを読みとることに成功したのだ。
 現代科学の進歩によって、摩耶夫人ならぬ溝呂木眞理さんの薬袋は見事に梨穂さんに届いたばかりか、 驚いたことにその言葉の中には立派な詩まであったのだ。
 梨穂さんが心の中で常に思い続けていたことが、自然と詩の形になっていたという。

 「寝 たきりの自分にとって言葉だけが命なので、耳から聞こえてくる様々な言葉を理解しようと、いつも神経を研ぎ澄ませてきました。 そうやって一つひとつの言葉の意味を深く探っていくうちに、自分の思いが一つにまとまっていき、詩が生まれたのです」。
 そうパソコンの面面は母親に語りかけてきた。
 平成27年、母親はその娘の思いを詩集「らりるれろのまほう」として出版した。
 「みぞろぎりほ……。言いたい気持があります。びっくりして夢のようです。長い間、待ち望んでいました。私に言葉があると、 なぜわかったのですか?。ご覧の通り、何もできない私ですが、ぼんやりと生きてきたわけではありません」。
 19歳5ヵ月の娘の言葉は更に続く。
 「ずっと、私は人間とは何なのかということを、考えてきましたから、別の世の中の人が何を言おうと、私は私らしく生きてきました。 理想をそのまま語ると、私にとって私の生きる意味は、私たちのような存在でも生きる意味があるのだから、 どんな人にも生きる意味があるということです。

楽な人生ならそんなことは考えはしなかったでしょうね。でも、こうして私は、ぼんやりとは生きてこられなかったので、 わざわざそういうことを考えてきました。
 なぜ、私に生きる意味があるかというと、黙ったままの人生でも人は希望をもって生きられるということを証明できたからです。
 なかなか信じられないかもしれませんが、私は希望をなくしたことはありません。小さいころからずっとお母さんに、 たくさん愛情を注いでもらいましたから、私はとても幸せです」。
 「私は長い間、生きる意味を探してきた。
 なぜ、私は生まれてきたのだろう、なぜ、私はいまここで、病院の中で静かに生きているのだろう。私はどんな姿だった、 どんな不自由な体だった、ちゃんと言葉がある、ちゃんと心がある、そういうことを伝えにきたのかなあと、最近思う。
 また、私は私の私らしさの旅に出る、新しい私を見つけるために、今日もまた旅に出る。」
 これが詩集「らりるれろのまほう」の中の「私の生きる意味」の抜粋です。
 お釈迦様の最後の言葉、総てのものは変化してゆくものであり、一つとして定まっているものはないのだから、心してすごすように。

先月号で私は「我思う故に我あり」について書いた。
 山本有三の「路傍の石」で次野先生は吾一少年に「自分自身を生かさなくてはいけない。たった一人しかない自分を、たった一度しかない一生を、 本当にかがやきださなかったら、人間、うまれてきたかいがないじゃないか」と語りかけた。
 又、井上靖は「わが一期一会」で「人生は使い方によっては充分に長いものであり、充分尊いものであり、充分美しいものである」 と書いている。
 さあ、新しい私を見つけるために、今日もまた私の旅に出よう。なにしろ私には自分の意志で自由に動かすことのできる手足があるのだから。

今一番何をやるべきか、常に考えながら前進・前進・常に前進。
 これからの生き方で私の価値は決まる。
 充実した生をおくる事が、至福の死に通ずる事を信じて。
 最重度の脳障害者、溝呂木梨穂さんの心意気を見習って。
  ( 参考、月刊「致知」平成28年11月号
       「言葉は自分たちを表現する武器」 )
                          以上