今から30年前、義理の父親の葬儀の日、関西在住の叔父が「修一君、この雑誌は大変為になると思うから読んでみるといい」
と言って「ナーム」という雑誌を私にくれた。
然し、その叔父は残念ながら程なくして癌の為に此の世を去った。恐らく死の宣告を受けていた彼は、
この仏教雑誌によって心の安らぎを得ていたに違いない。
以来この「ナーム」は会社の経営不振や極度の心臓病で苦しんでいた当時の私にとって何よりの心の拠り所として無くてはならぬものとなった。
その上、大変に不思議な御縁で「ナーム」の発行人の護法寺の中島住職(以下N住職と言う)と親しくなり、
一緒に池上本門寺さんの商店街で酒を飲んでカラオケで歌ったり、静岡の掛川にある禅寺で座禅を経験させて頂いた時、
背中を大分叩かれた腹癒せに、
乗馬クラブに連れて行って馬に乗せ、畳の上なら良い姿勢で座禅が組めても、馬の上では全く様になっていない、
まだ修行が足りないと馬の尻を叩いて、江戸の敵を長崎で討ったこともあった。
そのような理由で、19年前には「馬から学んだ人生必勝法」として私の記事を
「ナーム」に掲載頂き、そのN住職の名文から私自身まったく気付かなかった私の半面を見つけることが出来、
彼の観察眼の鋭さに驚嘆させられたものだ。
又、「ナーム」の愛読者の集いである
「南無の会」が主催する「辻説法」という講演会で「人事を尽くすは天命なり」
と題した私の拙い話を平成24年9月から12月まで4ヵ月にわたり「ナーム」に連載して頂いたが、
その4冊の雑誌は間違いなく私の冥土への最高の土産になると心から感謝している。
更に、縁は異なもの味なものでN住職が平成2年5月号から連載を始めた「ナーム」の付録「心の伝言板」と私の「馬耳東風」が、
まったく同年同月にスタートしていたということもあって、私か馬耳東風に書いた「神無月・神様と佛様」
の記事を「心の伝言板」で紹介して頂いたりもした。
然し、5〜6ヵ月前から「ナーム」の最終頁「編集室から」の文章に何となく「ナーム」出版の経営危機を感じとり、
今年6月N住職と編集に携わっている岡本氏を激励するべく三人で夕食を共にした。
そして私は馬乗りだから常に自分の尻を鞭で叩いて前へ進んできたけれど、寄る年波には勝てず、尻叩きでは最早前進不可能となり、
今は人参を鼻先にぶらさげることにした。要するに常に仕事の予約を入れておけば、否応無しに前に進まざるを得なくなる、
等と埓もない話しをして別れてしまった。
そして今年10月号の「心の伝言板」の最後に「ところで、微妙な物言いで恐縮ですが、いかなるご縁にも、結縁があれば、離縁があるものです。
出会いは別れの始めといったところでしょうか、これまでのあらゆる出会いに感謝しながらも、別れの縁が近付きつつあることを感じます」とあり、
その翌月の11月初めに「ナーム」12月号が最終号として私の家に届けられた。
創刊以来45年の歩みだった。
明治・大正時代め有名な教育者、新渡戸稲造の世界的名著「武士道」の序文で彼はこう書いている。
「約十年前、著名なベルギーの法学者、故ラブレー氏と散策中、私達の会話が宗教の話題に及んだ。
『あなたがたの学校では宗教教育というものがない、とおっしゃるのですか』とこの高名な学者が訊ねられた。私が、
『ありません』と返事をすると、氏は驚きのあまり突然歩みを止められた。そして容易に忘れ難い声で、
『宗教が無いとは。いったいあなた方はどのようにして子孫の道徳教育を授けるのですか』と繰り返された。」と書いている。
日本人の宗教離れ、佛教離れは今に始まった事ではないが、昭和20年の敗戦以来その傾向は増々顕著になり今や葬式佛教の
謗りを免れない。
「ナーム」最終号の挨拶文には「佛教雑誌としての衿持(プライド)を保ちつつ、
新しい読者を獲得するだけの魅力ある誌面づくりができず、
読者が減少し」とあり、更に「人の一生は出会いと別れの繰り返し、出会いを重ねることで人生を豊かで意義あるものにし、
別れを経験することで深くなる」と続き、“いつ死ぬる木の実は播いておく”と山頭火の名句を引用し、『たとえ、細やかなものであったとしても
『本の実』の一つとして、ひそやかに播かれていることを祈るばかりだ」と結んでいる。別れも又よき哉なのかも知れない。
私の書斎には、優れた書家でもあるN住職の「ひたむきに生きる人には 道の途中で素晴らしい出逢いが待っている」
と書かれた額が掛かっている。
私の「馬耳東風」が今日まで続けられたのも27年前、日本設備工業新聞社の前社長やN住職との出逢いがあったればこそである。
又「ナーム」の最終号を読みながら、芥川龍之介の「侏儒
(見識のない者)の言葉」の中の一節、 「この侏儒の言葉は、私の思想の変化を時々窺わせるものに過ぎない。唯、一本の草よりも一すじの蔓草、
しかもその蔓草は幾すじもの蔓を伸ばしているかも知れない」を思い出していた。
この「ナーム」の播いた種は、少なくとも私の心の中に生きていると同時に、別れを経験することで、より深くなっていくように思う。
今は唯、N住職をはじめ関係者の方々に心より御苦労様でしたとお礼を言いたい。
それはさて置き、平成2年5月号から私の我が儘勝手な拙文を、よくも毎月御掲載いただいているものだと
「ナーム」の編集者の苦労を目の当たりにして改めて感謝と尊敬の念を深くした次第です。
合 掌