敬老の日・彼岸入り (老いると云うこと)
(2016年 9月号)

 
”面白きことのなき世を面白く
  すみなすものは心なりけり”(高杉晋作)

今年の「敬老の日」は何の因果か彼岸の入りと重なった(9月第3月曜日=敬老の日)。
 一般的に、この日は老人を敬愛し、長寿を祝う日とされている。
 86歳の私としては当然祝ってもらう権利はあると思うのだが、未だかって家族の者達から祝ってもらったことは唯の一度もない。
 家族の者達は私を老人と思っていないのか、もしかして私の事などまったく眼中にないのかも知れない。
 尤も日本人の3.76人に一人が65歳以上という超高齢社会ではミ無駄飯食いの老人には、どんどんあの世に逝ってもらわないと年金や雇用、 果ては食料資源等の関係で苦しくなるばかり、従って我々老人は今年に限り敬老の日の午前中にお祝いをしてもらったら、 彼岸の入りのその日の午後に御先祖様の仲間入りをするのが日本を救い家族に喜ばれる理想の姿なのかも知れない。 因みに私の従姉妹は大変な資産家だったが6年前精神的にも人に迷惑をかけるのを潔しとせず、最早生きる価値なしと判断し、身辺整理し、 誰にも言わず食を絶って自死、享年84歳。
 閑話休題、先月は私にも若干関係のあった永六輔さん(83歳)と大橋巨泉さん(81歳)が相次いで黄泉の人となった。

そこで今回は、永さんの「大往生」(岩波新書)の中の絶妙な文章の一部と新聞等で目にした川柳や、 ちょっとした小咄を交えて人生を皮肉り、且つ大いに愚痴をこぽそうと思う。
 
        (1)寿命
 
寿命という言葉は長く生きることが目出度いという前提に立っている。充実した人生をすごせないなら「長寿」とか「寿命」と言わず「長命」といえばいい(永)。
90歳で卒寿の祝いってやるでしょう。卒寿っていうのは、寿を終えるという意味なんですよ(永)。
歳をとったというけれどさ、私は歳をとった覚えはないよ(永)。
相撲世界なんか、30代の「年寄」がごろごろいますよ(永)。
平均寿命というと目出度く聞こえるけれど、そこまで生きたら覚悟しろということさ(永)。
禁欲の末の長寿で楽しいか。
歳くえば 骨が鳴るなりほうぼうで。
医師は云う 原因不明みな加齢。
加齢です 諦めなさいの言い換えか。
行かないと 逝ったと言われそうな歳。
何人に看取られようと 死は孤独。
この猫は人間だと70歳とか動物の年齢を人間にたとえたりするけれど、あれは意味がありますか(永)。

私の歳を馬の歳にすると27歳、馬の平均寿命は25歳、人間に換算すると81歳、5冠馬の「シンザン」は35.3歳、 人間だと111歳で天寿を全うした。
人間は自分の言った通りになんかじゃ生きられない、そんなことしたら死んじゃう(永)。
子供叱るな、来た道じゃもの、年寄り笑うな、行く道だもの、来た道行く道二人旅、 これから通る今日の道、通り直しのできぬ道(妙好人)。
カイダンが こわいの意味が二つあり。
東京競馬場の10センチ程の階段で転んで顔面制動、眼鏡は壊れ肘には大痣。
歳をとったら転ばない、風邪を引かない、食べすぎない、これで10年は長生きする(永)。
腹上死っていうのは……その相手が女房でも腹上死っていうの(永)。小沢昭一曰く、女房の場合腹上死とは言わない、 断言します。

今から36年前、馬術競技の試合の最中、私の心臓の僧帽弁の腱索が断裂して腹上死ならぬ背上死になりかかった、 腹上死なら極楽に行けそうだが、背上死になりそこなった時の苦しさは尋常ではなかった、 あれで死んだら間違いなく地獄に行きます、断言します。

       (2)健康 酒

酒、煙草こんなおいしいものをやめると身体によくないよ(永)。
福祉より薬が生んだ長寿国(永)。
百薬を飲み過ぎ万病で入院中(永)。
今日もまた酒のもうかな酒のめば 胸のむかつく癖を知りつつ(啄木)。
朝反省 昼に回復 夜は酒。
 愛用の備前焼の2合入りの徳利で晩酌していると親しいお坊様に話したら、無着成恭師は「酒と女は2合まで」と言ったと教えられた。
 かれこれ半世紀前、ミッション系の小学校に通っていた長女の校長様(尼僧)から呼び出しがあり、何事かと小学校へ行ったら、 娘の書いた綴り方をみせられた。そこには、「パパは毎日曜日ごとに2号ざんの所へ行きます」と書かれていた。
 私にとっての2号さんは馬のことだったが、その様な不謹慎なことを娘さんの前で言うものではありませんと叱られた。 私の2号さん(妾)は17号で目出度く卒業(体力の限界)。

第10号のテツノイサム(かつて短距離の記録保持馬)は巨泉さんの推奨馬の一頭で競馬解説の際によく私の十番目の妾の噂をしていた。
うきよおも 愛馬と進む人道は うまくゆくゆく馬運馬運ざい(叔母が私の為に書いて額に入れてくれた)

     (3)ボケ(ボケるが勝)
 
ボケ対策 一日遅れの日記書く。
探しもの やっと見つけて置き忘れ。
朝食は何を食べたか忘れてもいい。朝食を食べたことを忘れなければ(永)。
 私のよく知っているお寺が経営している老人ホームでは、食堂の老人の席が決まっていて、 自分の食べた朝食のコップや皿の後片付けを昼食の時、本人にさせている。本人が朝食を食べたという動かぬ証拠を残して本人に納得させる為。

    (4)女房対策
 
旦那は定年後の事をいろいろ考えているけれど、私は未亡人になってからの事を考えている(永)。
 或る保険会社の統計では、女房が死んでからの亭主の余命は6年。亭主が死ぬと女房は22年も生きるらしい。
 女が長生きしたけりや亭主が現役の時、たんまり保険をかけておいて定年になったら、退職金もそっくり頂戴して、 証拠の残らぬように亭主を上手に殺すことだ、それで未亡人は万々歳。
歳をとったら、女房の悪口を言っちゃいけない、ひたすら感謝する、これは愛情じゃありません、生きる知恵です(永)。
何時頃お帰りですかと妻に聞き。
あらいたの 妻帰宅時の第一声。
女房元気で留守がいい。
楽しくて やがて淋しい妻は留守。
そこだけは寝たきりなのねと妻笑い。
今はただ 小便だけの道具かな(円生)。馬に乗るには邪魔なもの。
オッパイはいいから チョット肩もんで。
女房に腹はたつけど 歯が立たず。
恋なのか と思っていたら不整脈。
女房の従姉妹が私に囁いた
男のロマンは 女の不満
女のロマンは 男の我慢。
手術室 見送る妻の目に笑い。
 私はこれまでに7回手術をして、7回とも成功した。ざまあ見ろ!!
 
        (5)現状
 
傷だらけ 硬貨よく見りや同じ年。
お金にはならぬ 肩書ばかり増え。
 私の日本彫刻会会員・日本ペンクラブ会員や馬術関係の役職の入った名刺は使ってはいけないと妻に命令された。 彫刻や文筆でお金を稼ぎ、妻子を養っている人ならいいが、彫刻や道楽で財産を無くした人は、 そんな名刺は使うべきではないそうだ、家族の付けた私の渾名は「倒産トーチャン」。
 又、女房は粗大ゴミのくせに、もうこれ以上粗大ゴミ(売れない彫刻)を創らないで、第一捨て場に困るじゃないの、と宣。 それでも趣味が多いから「濡れ落葉」にならないから心配するな、と言ったら濡れ落葉にならなくても貴方はもう 「腐葉土=不用・不用土」だと言い返された、敵も()るもの、ひっかく者。
 
粗大ゴミ 燃えないゴミになった夫。
それでも彫刻、絵画、五輪関係、会社と
暇つぶし いろいろあって忙しい。

       (6)まとめ
 
 光陰矢の如し、「少年老い易く学成り難し一寸の光陰軽んず()からず (いま)だ醒めず 池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢
 階前の梧葉已(ごようすでに)に秋声」。
 観世流能楽の創始者・世阿弥は云う、老後の初心忘れるべからず、と。  心底から何かしたがる事、これが私の一生かかって貯めた財産の全部だ(里見淳)。
我が事に於いて後悔せず(宮本武蔵)。
 “生きているということは 誰かに借りをつくること 生きてゆくということは その借りを返 してゆくこと 誰かに借りたら 誰かに返そう 誰かにそうして貰ったように 誰かにそうしてあげよう(永六輔)。

残り少ない私の人生、精々(せいぜい) 「不用土」ならぬ「腐葉土」になるよう努力するとしよう。                          以 上