無縁仏(ほっとけ様)
(2016年 8月号)

  1945 年8月6日、午前8時15分、米軍機エノラ・ゲイが広島市上空から投下した原子爆弾は地表の温度3000〜4000度に達し、熱線や爆風、 放射線により約14万人が犠牲になり、更にその3日後の8月9日午前11時2分には長崎で約7万人の犠牲者を出した。
 それから僅か6日後、忘れもしないギラギラと太陽が照りつけ、庭の(しい) の木に停まった油蝉がジイジイとやかましく鳴いていた8月15日、天皇陛下が重大な放送をされるというので父は床の間に白い布を掛けたテーブルを置き、 その上にラジオを置いて両親と3人ラジオの前に正座して玉音放送を聞いた。
 「戦争は終わった」、「日本は鬼畜米英との(たたか) いに負けた」。うすうす予想はしていたものの重苦しく長い沈黙の後、母がポッンと囁いた。
 「今夜からはもう空襲警報のサイレンで起こされる心配はないから、安心してグッスリお眠り」と。
 昼間鋳造工として黒鉛にまみれて品川の日本光学の工場で潜望鏡のケーシングを作って疲れ果てて帰ってくる15歳の男の子が、 毎夜寝入り端をたたき起こされ防空壕に駆け込む姿を母はきっと可哀相だと思ってくれていたのだろう。
 その懐かしい母も亡くなって早や58年が過ぎた。

その敗戦の8月15日は奇しくも月遅れのお盆のお中日にあたる。
 お盆の起源は、吾が子可愛さのあまり貪欲で罪深い行いをした(かど) で餓鬼道に落ちて苦しみ藻掻いている母の姿を目にした目連(お釈迦様の弟子)が母の苦しみはそのまま自分の苦しみであり自分かそうさせたのだと 胸の張り裂ける思いで佛にすがり、お釈迦様の救いを受ける為、ひたすら供養に励み精進のお陰で母親を餓鬼道から救い出したのが旧暦8月15日で、 その経緯が「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」というお経に書かれており、 お盆はその経典に基づいて行なわれる行事なのだ。

昔はお盆と言えば大体自分の家で過ごし日頃の無音を詫び親戚縁者が集まって旧交を温めあい死者の冥福を祈り佛様を供養し、 家族揃ってお墓参りをするのが日本の美しい風習であった。
 また、お墓参りは唯故人の冥福を祈り佛様を供養するだけではなく「私は今、何の為に生きさせていただいているのだろう」 と亡き人の願いを聞くことであり、それは又佛の声を聞くことでもある。苦しい時、悲しい時、私達は常に故人に見守られているわけで、 それは恐ろしいことでもある反面、私達に安心感を与えてくれる。
 そして、それらのことをお墓の前で感じとるのが「お盆の心」というものなのだろう。
 従って、お墓は単なる遺骨の収納庫ではなく、佛教徒として正しい心を磨く道場なのだと私は思っている。
 然しそれとは別に私は去年の暮れに「骸骨」と題して佛教では死者の肉体は最早単なる物体にすぎず、死者は死の瞬間に成佛(佛に成る)しているか 又はその霊魂は生の時代から「転生」(再度生まれかねる)するもので、後に残された肉体には佛教的意味は無く、 従ってお骨を納めたお墓そのものは佛教とは何の関係も無いと書いている。

ところで私事で恐縮ですが、私には面倒を見なければならないお墓が6ヵ所(多摩墓地一府中、東郷寺一府中、養徳寺一和歌山、澄浄寺一横浜、 川合寺一横浜、築地西本願寺別院一杉並)に点在しており、私が入る予定の多摩墓地は別として、残り5つのお墓は私か死ぬと間違いなく 無縁佛となる運命なのだ。
 それと言うのも、私の父は9人兄弟、生みの母は5人姉妹、合計14名のうち、一生独身を通した人が5人、結婚して子供の出来なかった人が4人、 そして結婚して子供の出来た4組の夫婦の中で子供が成人まで生きていたのは私を含めて僅かに3人、そして私の二人の従兄弟のうち一人は不明、 一人は一生独身を通して6年前に孤独死、私も兄を1歳、妹を7歳で亡くして、ずっと一人っ子として育てられてきた。
 因みに祖父母が眠るお墓は横浜にあるが、今年祖父は没後109年、祖母は没後98年という時代物なのだ。
 要するに、家内の方の親戚は別として私の父方も母方もお墓だけを6ヵ所も私一人に残していったというわけである。

そこで今年86歳で「半分シンデレラ状態」の私としては、残された5つの墓を、どうすべきか思案の末、前記「散骨」に書いたように、 死者の魂は死の瞬間に成佛するか49日目に転生しているのだから、お盆やお彼岸に墓参りをして故人を偲んで感傷に耽るのは総て私の自己満足であり、 御先祖様にとっては痛くも痒くもないだろうとの結論に達し、私か死んだら、それぞれのお寺さんに 「もう墓守は死にましたのでお寺さんの判断でご自由にして下さい」と連絡してもらうことにした。
 曾ては「坊主丸儲け」であったお寺さんも、最近では「直葬」といって病院や自宅から直接火葬場で荼毘に付して、 お通夜も葬式もせずそのまま納骨するケースもあって、「坊主は、もう毛がない」状態になりつつある。

仕事の関係等で故郷を離れて何年も御先祖様のお墓参りをしていない人達や、もう何十年も「ほっとけ様」で故郷の御先祖様のお墓参りはしたこともなく、 又将来もまったく行く予定のない人達は、御先祖様の墓地を草ぽうぼうのまま何十年も放置して無縁様にしておくより、 余所(よそ)ながらこの際お寺さんに連絡してお墓をお寺さんにお返しして、お浄めの上、 更地にして再利用して頂いた方が、御先祖様の御供養にもなり、又お寺さんも「もう毛が殖える」ことになるというもの、 ひょっとしてそれで佛様の御利益で極楽浄土に生まれ加わることが出来るかもしれないし、 死んで極楽か地獄で両親や御先組様に再会しても恨まれる心配はないと私は思っている。
                         以 上