論語読みの論語知らず
(2016年 3月号)

3月という月は学生にとっては進学や卒業の月であり会社は一年間の決算月として物事に「けじめ」をつける節目の月だ。
 そこで私も今月は「馬事東風」の仮締め、仮決算をしようと思う。果たして黒字になっているだろうか、含み資産は出来ただろうかと。
 1990年5月から書き始めた「馬耳東風」も、あと2ヵ月で26年目に入る。
 これまで私の本職の馬術と彫刻の話は別として、よくも厚かましく偉そうなことを書いてきたものだと思う。

ちょうど今から8年前、それまで書いてきたものを纏めて一冊の本にしたが、本の副題を「自縄自縛」とした。 その真意は毎回偉そうな事を書くことで自分自身を戒め自分を縛りつけたいと思ったからだ。
 然し、改めてこの25年間の私の生きてきた道を振り返った時、 冷汗三斗(れいかんさんと)の思いがする。
 これから何年生かせて頂くかわからないが、人生の最後のシナリオは他人ではなく自分自身で書くしかない。
 「あれは論語読みの論語知らずだ」と言われない為にも、これからの人生を私かこれまで書いてきたことに対して恥ずかしくないように 生きたいと思う。

小学校4年生の頃、毎日曜日父親につかまって午前中一杯「学びて時に之を習う、 亦説(またよろこ)ばしからずや」とか「 (あした)に道を聞かば、 (ゆうべ)に死すとも()なり」 等と論語の講釈を聞かされたが、論語に孔子の日常の姿を「(おん) にして(はげ)し」(穏やかにして 厳しい)とか「恭にして安し」((うやうや)しくて安らか)、 そして「申申如(しんしんじょ)たり、 夭夭(ようよう)たり」(家にいる時は、のびのびとして、にこやかな顔をしている) と書かれている。
 遅蒔きながら私も、いつの日にか此のような老人になりたいと思う。
 唱歌の「故郷」の最後の一節に「こころざしをはたして いつの日にか帰らん」の「こころざし」は決して立身出世ではない。
 それは此の世での自分の生を輝かせることであり、愛をもって生き抜く事だと思う。

人間というものは、いざという時には体系的な知識はあまり役に立たないもので、断片的に覚えている名文が意外と人生を支えてくれるものだ。
 極度の弱視と貧しさというハンディをものともせず、遂に世界の頂点に立った版画家の棟方志功は「百年生きたって僅か三万六千五百朝だ、 一朝だって無駄に出来ない」という。
 人生とは一刹那一刹那の積み重ねなのだ。
 「一刹那正念場」という言葉がある。
 一刹那とは一瞬のことであり、正念場とは歌舞伎からきた言葉で、一曲・一場の最も重要なところ、即ちここぞという大事な場面を指し、 一瞬一瞬を人生の最も大事なところ、人生の勝負どころ、本番と捉えて真剣に生きよ、という教えなのだ。
 曾て私は、馬術に稽古はないと書いた。
 自分の稽古の為に愛する生き物を召使か奴隷のように使うべきではない。人間にそのような権利はない、 いつも真剣勝負することが馬に対する礼儀なのだ。

論語に「道に志し、徳に()り、 仁に()り、芸に遊ぶ」というのがある。 「遊ぶ」とは苦楽を超えた世界で、時間を忘れ寝食を忘れて熱中する事で、「芸」は礼(礼節)・楽(音楽)・射(弓術)・御(馬を御す) ・書(文字)・数(勘定)の六芸のことで当時は最低限それだけの事を身につけるのが教養のある役人とされており、 孔子はこの六芸に夢中になる境地を理想としたのだ。
 「遊学」という言葉があるが、これは何も論語に「芸に遊ぶ」とあるからといって芸者遊びをすることではなく、真剣に勉強するということなのだ。

大正、昭和のトップリーダー達に我が国の進むべき道を指示してきた碩学、安岡正篤の六中観。
 
 忙中有閑(自分の時間を持つ)
 苦中有楽(安心立命)
 死中有活(絶体絶命の時)
 意中有友(信頼にたる友)
 腹中有書(腹の中に納まる哲学を持つ)
 壷中有天(世俗の生活の中にいて、それに限定されず、
      独自の世界、別天地を持つ)
 
 この様な心境になりたいものだとつくづく思う。
 そして彼は「与えられた運命の先に自らの人生を築いてゆく、それが人間というものであり、人間の条件でもある」という。

 「人 間の真価は、その人がいつまでも道を求めるか、その緊張持続の長短によって測り得べし」、これは森信三の言葉だ。
 他人の顔はよく見えても、自分の顔は見えない、自分自身を正すためには常に心の内の鏡に客観的に映して自分を省みる必要がある。
 然し、その鏡が曇っていては自分の正しい顔は映らない、心は常に澄み切った状態でなければならない。
 山本有三の「路傍の石」の次野先生はいう。
 「人間はな、人生という ()()()で、 ごしごしこすられなくちゃ、光るやうにはならないんだ。」と。
 更に「人生は死ぬことじゃない。自分自身を生かさなくてはいけない。たったひとりしかいない自分を、たった一度しかない一生を、 本当にかがやかしださなかったら、人間、生まれてきたかひがないじゃないか」と。

以上、思いつくままいつもの如く偉そうなことを書いてしまったが、言うは易く行うは難しでやはり論語読みの論語知らずになりそうだ。
 然し、私は人間として正直に生きられれば成功だと思う、安心して自分の思ったことが言えて、 自分のやりたいことが出来ればそれでいいじゃないですか。
 正直な、善意を持った、自分の仕事に忠実な、そして毎日勉強して、少しでも進歩しょうと努力して一生を終わることが出来れば 最高の幸福者といえるでしょう。
 私はそれ以上の贅沢は望まない。

どこかで女房や娘達の口癖「パパはいつも自分の事しか考えないんだから!」が聞こえてくる様な気がする。
                         以 上