テロとドーピング(終わりなき戦い)
(2016年 1月号)

東京オリンピックは5年も先だというのに、新聞にその記事が掲載されない日は無く、パリ同時テロ以来、 テロについてのニュースも又毎日の如く新聞の紙面を賑わしている。
 IOC会長は、パリ中心部と近郊での同時多発テロの余波がスポーツ界にも広がり、この攻撃はフランスやパリの人々だけの攻撃ではなく全人類、 五輪精神への攻撃だと非難した。
 IOC会長が五輪精神をどう理解してそう発言したのか定かではないが、少なくともオリンピックを「平和の祭典」だと解釈しているのなら、 何故国威発揚や経済効果を容認し、ドーピングや八百長等の諸悪の根源である勝利至上主義を廃除し、金・銀・銅のメダルを廃止して、 全世界の平和の為だけに貢献する企画を立てるように開催国と共に真剣に検討しないのだ。
 IOCは全世界のスポーツ関係者やマスコミに対して、はっきりとオリンピック憲章の「世界平和の維持と確立に寄与することを その主たる目的とする」とあるのを徹底させ再確認させるべきである。

かつて北京オリンピックの開会式当日、グルジア軍とロシア軍の軍事衝突が起きた際、その開戦の翌日、IOCは記者会見で開会式の日の 軍事衝突はオリンピック精神に反するとしながらも、オリンピック期間中の停戦は国連や各国が実現すべき問題だとしてIOCは責任を回避した。
 その戦闘行為に対して抗議一つ出来ないIOCにオリンピック精神を云々する資格は無く、 オリンピックは単なる金儲けのスポーツ大会以外の何物でもない。
 従って、テロがオリンピックを格好の標的とするのは当然だ。
 オリンピックが真に全人類の究極の悲願である世界平和の為に貢献している一大行事ならば、よもやテロ攻撃は起こるまい。

フランスのテロの主謀者はモロッコ系ベルギー人だという、その他世界各地で頻発するテロは、いろいろな国の人達が貧国の悩みや 肉親を殺された恨み等、やり場のない諸々の苦しみの捌け口として、又人生に失望感をいだいた若者達がイスラム国等という理想の国 (単なる過激派組織)の宣伝に惑わされ、その建設を夢見てテロ行為に及んでいるにすぎず、その行為は発作的、 衝動的要素を多分に含んでおり、テロ撲滅作戦と称して世界の政治家達は、(1)シリア内戦の終結、(2)国際的な連携、 (3)IS封じ込め、等と気安く言うが、テロの撲滅はそう簡単にはいかない、何故ならば、敵の敵は味方という考えは通用せす゜、 敵の敵も又敵という場合が多分にあるからだ。
 そこには大義名分なき無差別攻撃があるのみで「目には目を」の軍事力行使ではテロの絶滅は不可能だ。

一瞬にして十数万人の罪なき一般市民の命を奪った広島原爆投下の日を「広島平和の日」とし、「怨みは怨みによって果たされず、 忍を(ぎょう)じてのみ怨みを解くことを得」(法句経第五)が示すように、 怨みに報いるに徳をもってする以外に今の地球を救う道はないという事を全世界の人達が気付かぬ限りテロ行為は益々エスカレートするだろう。
 12年前のオリンピック発祥の地アテネ・オリンピックは、テロ対策として7万人の軍隊と警察とパトリオットミサイルに 守られながらの開催だった。
 12年前とは全く様相の違う今日、更に5年後の東京オリンピック、どの様にしてテロを防ぐというのだ、 テロによって死人が出た場合の責任は誰がとるというのだ。
 東京オリンピックを無事に終わらせる途は唯一つ、それはオリンピック精神の原点に立ち返って考え直すことだ。

紀元前8世紀、エリスのイフィトス王は都市国家の紛争を無くす為、神様のお告げによってスポーツ(競技スポーツではない純粋なスポーツ) を採用したにすぎず、その効果が現在のスポーツで得られないと判明した以上、「オリンピック・イコール・スポーツ」 という一般的考えを根本から廃除して新しい企画を立てることだ。
 競技スポーツで世界一を争うのは世界選手権という立派な大会がある。
 IOCは今ある世界的組織をフルに活用して世界の平和に貢献するスポーツ以外の企画を全知能を結集して 国連を始めとする諸々の国際的機関と協力してオリンピック大会のまったく新しい企画を立てる必要がある。
 それ以外にオリンピック開催地でのテロを防ぐ手段はない。

次にドーピングについて私はこの誌面を借りて幾度となく書いたが、ロシアの国ぐるみのドーピング疑惑が大きく取り上げられて大騒ぎになっているが、 この問題は何もロシア陸上界に限ったことではない。
 現に、ロシアのムトコ・スポーツ相も「ドーピング問題は世界各国に存在するのにロシアだけに焦点を絞るのは不公平だ」 と(うそぶ)いているように陸上王国ケニアでも組織的薬物疑惑が噂されており、 勝利至上主義をスポーツ界から完全に廃除せぬ限りドーピング問題もテロ同様根絶するのは不可能だ。
 世界反ドーピング機関(WADA)が採尿採血による検体検査に限界を感じ、インペスティゲーション(調査・捜査)という 正に犯罪捜査なみの国際刑事警察機構(インターポール)と協力協定を結んでも、この問題を根絶することは出来ない。
 然し、ドーピングが問題になるのはメディアが何とか視聴率を上げようとオリンピックを国と国とのメダル獲得競争の国別対抗戦にしようと 目論んだ罠にはまって国威発揚の場と捉えるから起こることで真の世界一を決める世界選手権で薬物疑惑で物議をかもしたという話はあまり聞かない。
 従って、前述した如くオリンピックをスポーツ以外の企画にすれば少なくともオリンピックでのドーピング問題は解決するし自ずとドーピングは 世間から忘れ去られるだろう。

要するに、オリンピック・イコール・競技スポーツとして開催する限り勝利至上主義の「申し子」ドーピング問題は如何なる手段を使っても テロ同様決して根絶することはない。
 世界各地で民族紛争・領土問題・宗教戦争等あらゆる揉め事が一気に噴き出してきた今だからこそ国際オリンピック委員会は 大宗教団体となってオリンピック教の本尊である「世界平和」を高らかに唱え「人類にとって最大の希望はオリンピックが存在することだ、 オリンピックこそが史上最大の平和運動である」と言ったオリンピックの哲人・大島鎌吉の言葉、 そして近代オリンピックの創始者クーベルタン男爵の言葉「人生で最も重要なことは勝利者であるということではなく、 その人が努力したかどうかである」を思い出して頂きたい。
 そしてこの夢が何時の日にか実現することを念じつつ悲しいドンキホーテの役を演じているというわけである。
                         以 上




 
   馬の彫刻を制作中の筆者