散 骨
(2015年12月号)

年はとりたくないものだ。
 「馬耳東風」に未(羊)の事を書いたのがつい昨日の様に思えるのに、もう申(猿)年の年賀状を書いている。
 “光陰矢のごとし”というけれど、この分だと気が付いたら知らぬ間に棺桶の中に納まっていた等ということにもなりかねない。
 日本男子の平均寿命を5年もすぎると、懐かしい友人も粗方(あらかた)鬼籍に入り、 思い出だけが増えてゆく。

私のこの5年間の平均年間葬儀出席回数は8回、そして葬儀に参列する度に感じることは葬儀に来られる殆どの人が 仏式葬儀での拝み方の順序を間違えているということだ。
 即ち、葬儀場が寺院の本堂で死者は僧侶ではなく一般人の場合、参列者の大半は先ず葬儀場に安置されている死者の柩や遺影、 又は白木の位牌を拝む、なかでも遺影を拝んでいるケ−スが大半を占めている。

参列者の気持ちがわからぬでもないが、これは明らかに間違っている。
 (いやしく)も仏教徒であるならば、 先ずその寺院の本堂中央に安置されている御本尊を拝むべきであり、自宅で行われる場合は臨時の御本尊、即ちその宗派を代表する 名号(みょうごう)、真言宗系なら「南無大師遍照金剛」、 浄土宗、真宗系は「南無阿弥陀仏」、禅宗系なら「南無釈迦牟尼仏」、 日蓮宗系は「南無妙法蓮華経」というその宗派の象徴となる名号を一行に記した掛軸を掛けて、列者は先ず掛軸に拝礼し、 それから柩に対して思いを(いたす)すべきである。

何故ならば、仏教では死者の肉体は最早単なる物体にすぎないからだ。
 然るに大半の仏式葬儀参列者は、先ず故人の写真を仰ぎ、柩に向かって礼拝し、最後に遺族に鄭重に挨拶して退席し、 御本尊はまったく無視である。
 何故一般の人々は御本尊を無視して柩を拝むのか、それは実は仏教ではなく儒教の思想が入り込んで 儒教式葬儀の一段階のみが一般化してしまったからなのだ。
 その証拠に葬儀が始まり、導師の御本尊に対する読経が終わると導師はさっさと退場し、その後で遺族達が柩に別れを惜しみ出棺となるのだが、 御本尊に読経し死者を導いた導師が出棺に立ち会わないのは、死者の肉体は単なる物体にすぎないからなのだ。
 即ち、死者は死の瞬間に成仏(仏に成る)しているか、又はその霊魂は生の時間から 「転生(てんしょう)」(再度生まれ変わる) するまでの四十九日間の「中陰(ちゅういん)」 という別の時間に入っていて残っている肉体には仏教的意味がまったく無いからなのだ。

然し、儒教ではその肉体は死とともに脱けでた霊魂が再びもどって()りつく 可能性を持つとされている。
 従って死後、遺体はそのまま地中に葬り、墓を作る。それが骨を重視する由縁であって儒教的立場からすれば死者の肉体は悲しむべきものであり、 残された遺族が管理すべき対象であって死者の肉体は焼くべきではない。
 然し仏教では死者の肉体には何の意味も認められないのだから火葬にしても何ら支障はなく、まして焼いた後の骨を拝む等ということは 仏教的に見ればおかしなことで、お骨を納めたお墓も又仏教と何の関係も無いことになる。
 唯、お釈迦様の骨を納めた塔が建てられて多くの人々に崇拝されているのは例外で、これは追慕の極まった形といえよう。

然しお彼岸に家族揃ってお墓参りをして御先組様を偲ぶのは古来より私達日本人の美しい風習であることに違いはない。
 江戸時代の俳句に「けふ彼岸 菩提のたねを蒔く日かな」とある如く、菩提は悟りのことであり、 迷いを捨てて正しい生活に入るのが悟りであるとするならば、年に2回、御先組様のお墓の前でその決心を新たにするのは 大変に意義のある風習に違いはない。
 この様に仏教徒として火葬された骨に何の意味も持たぬ以上、若干の矛盾は感じるものの家族の者達に私の骨はそのほんの一部を 世田谷の馬事公苑の私の最も気に入っている日本庭園の一隅に窃かに骸骨してくれと頼んである。

私の第二の故郷としての馬事公苑は昭和15年の開苑以来70数年間、私か演じ続けた長い人生劇の中で常に私に勇気と希望と そして安らぎを与えてくれた舞台であり、約56,300坪の敷地を有し東京都内で唯一武蔵野の面影を残す美しい馬事公苑、 その歴代の苑長に散骨の件は聞かなかったことにしてもらっている。
 曾て、石原裕次郎が亡くなった際、兄の慎太郎が弟の遺灰を彼の愛した太平洋に戻してやりたいと画策したが、 その当時は法律違反だという周囲の反対で実現されなかったことがある。

然し、その後この散骨に関して、法務省刑事局は「遺骨の損壊、遺棄を禁ずる刑法190条の規定では、社会習俗としての宗教的感情などを 保護する目的だから、葬送のための祭祀で節度を持って行われる限り問題はない」という見解を発表し、又厚生省も墓埋法との関係について、 この法律は「散骨のような葬送の方法については規定しておらず法の対象外で、禁じているわけではない」との立場を表明しているのだから、 どこの馬の骨ともわからない私の骨のごく一部をパラパラと撒いても別にどうと言う事は無いはずだ。
 ところが、ここで大問題が持ち上がった。

こともあろうに馬事公苑が5年後の東京オリンピックの馬術競技場に決定し、14,000人収容の会場を新設することになったからだ。
 下手をすると私のお気に入りの場所も無くなる可能性が出てきた。
 そこで10月号にも書いたが、気温35〜40度、湿度70〜80%の中で冷房設備の無い競技場でのオリンピックの馬術競技は、 国際馬術連盟の「スポーツ憲章」の「馬のウェルフェアあるいは安全が確保出来ない気象条件においては 競技を実施してはならない」を盾に「この文章が目に入らぬか」と選手の野望の犠牲になる馬の為に冷房設備をしないなら 絶対に競技をやるべきではないと日本馬術連盟に強く抗議した。
 然し、予算の関係もあって国立競技場やエンブレムのように今更変更もできず、まして馬術競技そのものをオリンピック種目から 除外することも不可能となれば冷房設備無しの馬術競技の開催を国際馬術連盟が承諾するか見ものだが伝統ある馬術競技を 東京だけ取りやめとするわけにもいかず、いずれ今の馬事公苑は大きく様変わりすることになるだろう。

そうなると私は否応無しに新会場を見届けて、その上で私の散骨の場所を改めて見つけねばならず、 少なくともあと5年間は死ぬことも許されなくなってしまった。
 最も私自身が考えて私か仲人をした僧侶に認知して頂いた私の戒名は、今から6年後、即ち私が満91歳にならねば名乗れぬものなので 健康に留意しつつあと6年間死ぬのを止めることにする。
 ◎東京オリンピックに対する私の本音

無責任病に憑りつかれた組織委員会の会長は2兆円、東京都知事は3兆円は必要というが、借金大国の日本、 オリンピック終了後は間違いなく各競技施設は負の遺産(レガシー)となり、2004年のギリシヤ(アテネオリンピック)の如く オリンピック開催による巨大な出費により、それが財政破綻のきっかけとなったという前例もあり、ギリシヤの二の舞にならぬよう 適当な理由をつけてオリンピックを返上すべきだ。平和の祭典でないオリンピックには何の価値も無い。
                           以 上
 (参考 加地伸行著・儒教とは何か)