盂 蘭 盆(うらぼん)
(2015年 7月号)

暑い夏と共に「お盆」がやってくる。
 古くから「盆と正月が一緒に来たよう」と言われるように盆は正月とならんで日本人にとって最も身近な行事でありながら、 その本来の意味が忘れられているように思う。
 「お盆」といえば、先祖のお墓参りの為に民族の大移動によって東京や大阪等の大都会の商店街は人影もまばらで自動車が走りやすくなるという くらいの実感しか湧いてこない。
 然し、お盆の行事は「孟蘭盆経」という経典に基づいて行われているもので、数あるお経の中でもこのお経ほど現代人の生き方に深い関わりのある 内容の経典はないと思う。
 このお経は、吾が子を育てる為に自分の時間や命までも注ぎ込んだ母親が、地獄(餓鬼道)に落ちるが、やがてその育てた子供によって救われる というお経で、家庭内暴力によって親に暴力を振るう子供の多い現代、親子の絆をもう一度確かめ合う大変に意義のあるお経なのだ。

一般的に母親は父親に比べて吾が子のことを思い可愛がる傾向が強いのは、自分の胎内に宿した子供を、生みの苦しみによって此の世に送り出し 自分の分身という思いが強いからだと思う。
 従って、子供が成長し、小学校、中学、高校と進学する度に、他人の子供を押しのけても、又場合によっては妨害してでも吾が子を良い学校に 入れたいと必死に努力するものだ。
 然し、このように他人を蹴落としてまで吾が子の幸福を願う欲深い行為は、佛様の目から見ると一種の 慳貪(けんどん)(欲が深く無慈悲なこと)な行為と解釈されてしまう。
 つまり一般の母親とは、子供の幸福の為には欲深い心を持ち餓鬼に生まれる運命をもった存在なのだ。

そしてこのお経ではお釈迦様の弟子である目連尊者が六神通(ろくじんずう) (六種類の神通=天眼・天耳・他心・宿命・神足・漏尽)の力をもって霊界をみると、亡き母が餓鬼道へ落ちて苦しんでいる、 食べものを口にすると悉く火閻となって食べられない、髪は乱れ喉は針の如く瘠せて、腹はボンボンにふくれて欲望の深いことを現し、 骨と皮となって苦しんでいる母の姿を目にした瞬間、このように貪欲で罪深い母に一体誰がしたのか、吾が子目連の為に良かれと思った行為が母を 餓鬼の世界へ突き落してしまった。目連自身がそうさせたのだと気付いた瞬間、目連は絶叫し、佛にすがるのだ。
 そしてお釈迦様の教えを受けた目連は、ひたすら供養にはげみ、その精進のおかげで母は餓鬼道から救われ安楽国土に生じた日が お盆の御中日のことで、これがお盆の由来であり、安楽国土に生まれ変わったことを 歓喜踊躍(かんきゆうやく)したのが盆踊りの始まりだとされている。
 孟蘭盆はサンスクリット語の音字(おんじ) (avalam bana アバラム・バナ)が転訛したもので、これを(ullambanaa ウランバナ)と言い、この音字の「ウラボン」を日本語に当て嵌めると 倒懸(とうけん)(逆さに吊るされる)ということになる。

この逆さ吊りの状態とは、人間として正しい理念をもって人間らしい生活をしていない今の私達の現実の姿を現しているのだと佛教ではいう。
 現代人の多くは主に損か得か、という基準で動いている。自分の周囲に財産を集めることのみに専念して、所詮欲望の充足が人生の総てであると 思い込んでいるところに倒懸といわれる孟蘭盆(ウランバナ)の語意が示す現実があるのだ。
 このように孟蘭盆は、本来自己の魂の救済を願う佛教の伝統的行事なのだ
 今日の世相はまさに餓鬼道そのものであり、それは取りも直さず現実の自分自身の姿なのだと謙虚に反省する必要がある。
 即ち、餓鬼道に落ちている自分自身の魂を反省し、改めようとする行事が孟蘭盆であり、誓いを新たにすることを御先組様に約束するのが 孟蘭盆なのだ。
 「盆はうれしや別れた人も はれてこの世へ会いに来る」 (巌谷小波(いわやさざなみ)−明治期児童文学の創始者)。

この「別れた人」とは本来の自分を忘れ、佛を忘れ、餓鬼と化した自己に目覚め、佛に出逢える喜びだと解したい。
 育児に疲れて自信がないといっては吾が子を殺し、自分の都合だけでビルの屋上から投げ落としたり、泣き声がうるさいとか新しい愛人の手前、 邪魔になったからといって簡単に首を絞めて吾が子を殺す母親、檻に入れて食事もろくに与えず餓死させて罪の意識のない母親、かと思うと 「ブラブラしないで少しは働けとか、もっと勉強しろ」といちいち五月蝿いといって親を殴り殺す子供。
 新聞やテレビで毎日のように報じられるこれらのニュースは、目を覆いたくなるような酸鼻(甚しくむごたらしく、 いたましく思わず顔を背けたくなるような出来事)な事件が多すぎる。

戦前、小学校の校庭や講堂で「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發 シ徳器ヲ成就シ」と全校生徒が声を揃えて唱えた「教育勅語」の一節を懐かしく思い出す。

以前から私は学校教育で「ならぬものはならぬ」という会津魂を学生達の心の中に植えつける必要があると思っていたが、 「絶対にならぬものは 絶対にならぬ」というものが此の世の中には絶対に必要だと信じるのは年寄りの僻みなのだろうか。
                         以 上