遊 行 記
(2015年 6月号)

古代インドでは人生を四つに分ける思想があった。
 即ち、1.学生期(がくしょうき)−−青春
    2.家住期(かじゅうき)−−朱夏
    3.林住期(りんじゅうき)−−白秋
    4.遊行期(ゆぎょうき)−−玄冬
 であり、それぞれの時期に常に悔いの残らぬようにベストを尽くすのが理想の人生のあり方だとされている。
 先ず、最初の「学生期」では、いろいろな人の教えを受けて人生の何たるかを学び物事の是非善悪や人間として生きてゆくうえで必要な学問知識 を身につける時期であり、次の「家住期」は家族全員仲良く幸福な家庭を築く為に先祖を祀り、はっきりとした職業を持って仕事に精を出し、 社会の一員として立派に暮らしてゆけるように努力する時期である。
 そして、やがて人間は「林住期」という白秋の季節を迎える事となる。

実は今から12年前「コア」の2003年6月号に「林住期」について書いている。(馬耳東風158)
 林住といっても必ずしも林の中に住むのではなく仕事や家庭や世間との煩わしい付き合いから或る程度距離をおいて、 じっくりと己の人生を振り返ってみる時期である。
 この時期は自分自身の為に今後の人生を如何に有意義に生きるかを問い直す時期なのだ。
 その点、私か先々月に書いた「独楽(こま)の人生」等も大変烏滸がましいが 選択肢の一つのような気がする。
 然し、独り楽しむという独楽人生は家族を不幸にして自分一人幸福感に浸ることなどできるわけもなく煎じ詰めれば自分を取り巻く人達の幸福の ために日々努力するのが悔いの残らない生き方ということになりそうだ。
 そして最後に残された大事な時期が「遊行期」であり、中国の発想にならえば「玄冬」の季節である。

遊行とは唯、ふらふらと遊び歩くのではない、遊行と言えばまず頭に浮かぶのが遊行上人と言われた一遍上人の生き方だ。
 上人は鎌倉時代、浄上教の流れをくみ、寺も持たず家庭も持たず、ひたすらに念仏の教えを庶民に説き諸国放浪のうちにその生涯を終えた 大変ユニークな高僧である。
 「遊行期」とは、いわば人生の最後の締め括りであり、死への道行きを模索する時期なのだ。
 人生を一種の旅に喩えるならば、その人生の旅は明確な目的を待った旅でなければならない。
 その目的を立派に果たして家に帰り着いてはじめてその旅は完結する。
 老いてゆくとは唯徒(いたずら)に枯れてゆくのではない。 それは尽きない好奇心と未知の世界へ向かって触手を伸ばす生命の活動でなければならない。
 「逆順入仙」。唯自然にまかせて老いるのをやめて肉体的にも精神的にもいつまでも若々しく生きようと努力すべきなのだ。
 人事を尽くして天命をまつのはよそう、人事を尽くすのが天命なのだと心に誓おう。
 そして常に今一番何をすべきかを考え、馬場馬術の創始者、J・フィリス(1834〜1913)の言葉の如く「前進・前進・常に前進」あるのみだ。

 「心 から何かをしたがること、これが私か一生かかって貯めた財産の総てだ」と小説家・里見淳(作家・有島武雄、画家・有島生馬の弟)はいう。
 “より良き生のみが、より良き死につながる”
 「無門関(むもんかん)」(禅の公案の評釈書)では「生死岸頭に於いて大自在を得、 六道(天・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄という輪廻の六つの世界)四生(ししょう) (胎生(たいしょう)卵生(らんしょう)湿生(しっしょう)化生(けしょう))の中に向かって 遊戯三昧(ゆげざんまい)せん」と説く。
 人は往々にして一つの事をやりながら、その事に集中できず、つい別の事を考えてしまいがちである。従って私達は不徹底の中で人生の時を無駄に過ごしていることになる。 気を散らすことなく、一つの事に全神経を集中することを「遊戯三昧」という。
 「道行期」に入ったからには悠長なことは言っていられない、唯一度の大事な人生、真剣勝負以外にない。

そう考えた時、遊びに行くと書く遊行期より遊びも修業ととらえて「遊業期」とすべきではないか、即ち修行より修業、何故遺業としないの かと疑問に思って広辞苑で調べてみた。
 修業−学問技芸等を習いおさめること(武術修業・花嫁修業)
 修行−悟りを求めて仏の教えを実践すること。
    持戒をいう。托鉢をして巡礼すること。
    精神を鍛え、学問・技芸などを修めみがくこと。
    また、そのために諸国をへめぐること。
とあった。
 要するに、(ぎょう)」は 「(わざ)」ではない、「修業」は技術である「修行」は見えない大事なものを捜す遊びであり、 「遊び」も「行」だったのだと何となく納得した。

四捨五人すると90歳の末期高齢者としては自分の尻をいくら鞭でたたいても前には進まず、仕方がないので人参を鼻先にぶらさげて自分自身 を叱咤激励する以外にないと今回もこのように偉そうなことを書かせて頂いた次第です。
                         以 上
 (参考:五木寛之著“遊行の門")





   アトリエの入り口に掛けてあるものです