老いの一徹
(2015年 2月号)
去年の「敬老の日」にテレビで浄土宗の著名な老僧が「年をとったら『きめるな、きめるな』、思い込み、独善、一人合点を捨てることだ。
年をとったら、きめつけないことで安心を見出す術を身につける必要がある」と言っていた。
要するに、老いの繰り言や老いの
僻耳を捨てて、老いては子に従えと言うのだ。
成る程と思う反面、永井荷風はその著「すみだ川」の中で「人間というものは、年をとると若い時分に経験した若者しか知らない煩悩や不安を、
けろりと忘れて無頓着、無神経に若者に訓戒や批評をすることの出来る非常に便利な性質を持っているものだ。
年をとった者と若い者との間には到底一致されない懸隔のあることをつくづく感じる」と書いている。
四捨五入すると90歳になる私は、最近のテレビを見るにつけ、気にくわないことばかりで、フッと気がっくとテレビの画面に向かって
悪態をついていることが多く、女房に「どうして黙って見ていられないの」と
詰られる。
然し、私に言わせると、昨今のテレビ番組の質の悪さは目を覆うばかりで、特にお笑い芸人等という輩は本来の「タレント」という語義、
つまり才能とか技量とは程遠く、タレントヅラした者達が面白くもない笑いを振りまいては一人悦に入っていると思うと、
単なるギャグネタを連発し、それに合わせて出演者全員が大袈裟に拍手をしたり、大口を開いて喚きちらし、出演者達だけが楽しんでいる
様は芸とは全く無禄で彼らの無神経さには空いた口が塞がらない。
[マジかよ」「やべえ」「ガチだぜ」「はんぱじゃねえ」[でけえ]「うめえ」等々。
テレビからあふれ出てくるこれらの言葉は今やタレントだけではなく、驚いたことにアナウンサーまでがタレント気取りで極く自然に
口にしている。言葉のプロが自ら乱してどうするのだ。
その点、北朝鮮の女性アナウンサーの方が好感が持てる。
それにしてもこの様な低俗なパフォーマンスを公共の電波を使って、タラタラと垂れ流すテレビ局に猛省を促したい。
それと同時に、その様な低俗なテレビに教育され洗脳されて一緒になって笑っている今の若者達にも老いの独善で文句の一つも言いたくなる。
先々月号でも若者の悪口を書いたが、今日も彼らの覇気の無さというか、大志どころか小志の
欠片も持ち合わせない今の若者達と、そのように教育した政治家や
教育者に対しても猛省を促そうと思う。
小さい時から人一倍負けず嫌いで血の気が多く喧嘩っ早いということを百も承知の上、然も自分からその嫌な性質を直す気など更になく、
結局私は死ぬまで毒舌をたたいて前記の老僧のように、安心を見出すことは出来ないと諦めている。
前置きが長くなったが去年の6月、内閣府は「2014年版子供若者白書(満12歳〜満29歳までの男女)」なるものを発表した。
その内容は「自分の将来に明るい希望を持つ割合」
それに対し、日本は何と61.6%で、アメリカとは29.5%もの差がある。
どの様な基準で算出した数値か知らないが、政治家や教育者達は自分達の無能、無策の結果この縁な惨敗たる結果を招いたという
反省の色も見せず、更に「40歳になった時、幸せになっていると思う割合」
に対し、日本は66.2%でフランスとは21.2%もの開きがある。
要するに日本の今の若者達は、その30%以上が自分の将来に何の希望もなく、又40歳になっても幸福な生活は望めないと思い込んでいるのだ。
1ヵ月ほど前、ある新聞に「若者の夢が年金受給とは」という川柳が載っていた。
この様に、若者の夢と希望を奪った責任は一体誰にあるのか。
驚いたことに、この内閣府の統計のコメントとして或る者は「日本はそれなりに豊かになり恵まれているので豊かになっただけ夢は萎むものだ。
夢は豊かさと逆相関関係にある」とぬけぬけと宣った。
それなら、アメリカやドイツの若者達は日本の若者達より遥かに低い理想しか抱いていないのだろうか、そして経済的にも精神的にも
彼等は遥かに劣った生活を送っているというのだろうか。
それとも日本の若者達の夢や理想が他の国々の若者達より遥かに高いというなら、日本の政治家や教育者達は若者を無理矢理に2階にあげて
梯子を外してしまったようなものだ。
日本の将来を担う若者達から彼らの将来の夢と希望を取りあげて、お前達の理想が高すぎるんだと決めつけていいのか、それこそ、
「きめるな、きめるな」と言いたくなる。
何れにしても私のこの危惧が単なる思い込みであることを祈るばかりだ。
以 上
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