AKO47(フォーティセブン)
(2014年12月号)

 「お 父さん(私の事)必要ならAKB・48の握手券、何枚か持つてきますよ」。
 半年程前、或る法事の席で親戚の男の子が私にそう言った。
 「冗談じゃない、あんなミルク臭い女の子に握手なんぞされたら全身に蕁麻疹が出ちゃう。第一俺は自慢じゃないがAKO・47の子孫だぞ」と言い 返したら相手はキョトンとして「AKOって何ですか」と言う。
 「AKO・47たぁ〜赤穂四十七士の事だ。よく覚えておけ」と言ったら、「ワア!これはいい、それいつか使わせて頂いていいですか」と言うから 「AKO・47は俺の特許だ、自由に使え」と言ってやった。
 後で聞いたら、その男の子は、AKB ・ 48のマネージャーのような仕事をしていたという。
 12月14日は、言わずと知れた赤穂浪士討ち入りの日だ。

私の母の先祖は菅谷といって戦前は神戸で菅谷汽船という会社を経営して羽振りが良く零式戦闘機(零戦)を一機、国に寄付したこともあったが、 その先祖が菅谷半之丞政利といって浅野家譜代の家臣で当時、馬回り役百石たった。
 半之丞は大石内蔵助の参謀として信頼が厚く、内蔵助と共に江戸に下り、町人・政右衛門と名を変えて同志と苦労を共にし、元禄15年12月14日、 吉良邸に討ち入り本望をとげ翌元禄16年2月4日、44歳で切腹して果てた。四十七士の平均寿命は35.4歳だった。
 半之丞は非常にいい男前だったという説もあるが、残念なことに浪士のうちでは一番容貌魁偉(醜男)だったというのが事実らしい。

最近やたらと集団的自衛権がどうのこうのと騒がしいが、去年ある機関が600人の未成年男子にアンケ―卜をとったところ外国からの侵略に対し
 1.安全な場所へ逃げる  44%
 2.降参する       12%
 3.武器をとって抵抗する 13%
という結果が出たそうだ。
 要するに敵が攻めてきたら、武器を持って戦おうと思う男子は僅か13%、その者達だって全体の半数以上が降参したり逃げてしまっては、まず勝 ち目は無く、馬鹿らしくなって全員で白旗を掲げるのは目に見えている。
 負け戦を承知で死地に赴いた楠正成(くすのきまさしげ)の長男、 正行(まさつら)のような男の子は今の日本には最早一人もいないと思わねばなるまい。
 集団的自衛権を云々(うんぬん)する前に、今の若者達に曾ての日本人の遺産とも言うべき大和魂や 武士道の精神を一刻も早く、たたき込む必要がある。何故なら、そんな腰抜けの今の若者達から教育を受ける次の世代の子供達の代には日本は間違いなく、 どこかの国の属国か植民地になってしまうと危惧するからだ。

恐らく、今の若者達は浅野内匠頭が心身症的症状の「(つか)」という持病の発作の為に常軌を 逸して殿中松の廊下で刃傷におよび、その結果浪々の身となったというのに、その乱心者の主君、内匠頭の為に命を捨てて吉良上野介を殺害する等、 馬鹿馬鹿しいにも程があると思うに違いない。
 討ち入り後、忠義心に溢れた赤穂義士達の処分をどうすべきか、当時世論は彼等を義士として讃え助命のうえ、それぞれの大名家に再就職させる べきとの論が圧倒的だったが、柳沢吉保の家臣、荻生徂徠は、吉保を通して将軍綱吉に公法の立場からいえば明らかに浪上達は法に触れており、禁制の 徒党を組んで殺人を犯したのだから助命の上再就職等(もっ)ての外、 法治制を重んずる徳川幕府としては鼎の軽重を問われることになると断固反対した。
 然しながら現在の社会相を見るに武士の堕落が甚だしく、それを戒める意味で浪士の行為を評価し切腹という武士にとっての名誉刑にすべきと主張し 将軍綱吉もそれに同意し全員の切腹を言い渡したのだ。
 武士道の光り輝く最高の支柱である「義」、その義を頂いた義士、「義」は「勇」と並ぶ武士道の双生児である。

江戸中期の経世家・林子平は「勇は義の相手にて裁断の事也。道理に任せて決定して猶予せざる心をいう也。死すべき場にて死し、討つべき 場にて討つ事也」と言い。又、尊攘運動に組し禁門の変の折、天王山で自刃した真木和泉守は、「士の重んずることは節義なり。節義はたとへて いはば、人の体に骨ある如し。骨なければ首も正しく上に在ることを得ず。手も物も取ることを得ず。足も立つことを得ず。されば人は才能ありて も学問ありても、節義なければ世に立つことを得ず。節義あれば不骨不調法にても士たるだけのことは事かかぬなり」と言っている。
 封建制の末期、長く続いた泰平が武士階級の生活に余暇をもたらし、あらゆる種類の遊興や上品な技芸のたしなみを生んだ。その時代でさえ「義士」 という呼び名は学問や技芸の道を究めた事を意味する如何なる名前よりも優れたものと考えられ、47人の忠臣は「義士」と呼ばれて今日に至るまで 泉岳寺の彼等の墓前には香華の絶えたことがない。

毎年12月14日、泉岳寺で行われる義士祭には決まって神戸から上京し我が家に泊まった菅谷本家の叔母は残念なことに阪神淡路大震災で大き な家の下敷きとなって神戸の須磨寺に眠っている。須磨寺の寺宝は熊谷直実に首を刎ねられた平家の 公達(きんだち)、平敦盛の「青葉の笛」である。
 僅か7秒間の握手の為にAKB・48のDVDを一人で十何枚も買う若者達、又聞くところによると最近のデパートの男子の化粧品売場が女性のそれ と同じくらい広いという。
 それらの若者達に赤穂義士の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。

ノ−ベル平和賞受賞者のパキスタン人、マララ・ユスフザイが16歳の誕生日に国連本部で行った教育の重要性を訴える堂々たるスピーチ、脅迫を 受けた末に銃撃されて重傷を負っても、ひるむことなく自分の信念を貫き通す揺るぎない信念と勇気と行動力に曾ての日本人の武士道の精神をみた。
 平成元禄の今日、今の日本人(含む政治家)が全く忘れている武士道の精神・義・勇・仁・礼・誠そして名誉の心を彼等の中に蘇らせたいと願うのは、 昭和5年生まれのこの老人だけなのだろうか。
                             以 上
 (参考:新渡戸稲造著・武士道)