散歩とステッキ
(2014年11月号)

 70 数年続けた乗馬も寄る年波で断念せざるを得ず、会社への出勤も月に二〜三度、一献傾けて旧交を温めたい友人は殆ど冥府の客人となり、 馬術や彫刻や日本ペンクラブ等の付き合いも、せいぜい月に一〜二度、自然、家でごろごろしている時間が多くなり、女房は足腰が弱るから散歩で もしろと喧しい。
 然し、長年の乗馬の崇りで脊往管狭窄症からくる坐骨神経痛で少し歩くと腰が痛く爪先も痺れて足が前に出ない、とてもしゃないが散歩を楽しむ 等という気になれない。

それにしても散歩というものは近代になって西洋から入ってきたもので、江戸時代には大の男が 昼日中(ひるひなか)から何の目的も無しに町をぶらぶら歩く 等というのは「犬の川端歩き」、つまり全く無駄なことだという意味で「犬川」と言ったらしい。
 然し、明治に入り西洋入が用もないのに、のんびりと散歩を楽しんでいるのを見て、健康に良いという実用的理由はさておき、「余裕」という 価値を見出して日本でも散歩が流行りだした。
 とは、言え、毎日齷齪(あくせく)働いている人達にとっては、まだ散歩を楽しむ等という 余裕はなく、主に私の様な老人か高等遊民、特に文人の間で流行り出し、森鴎外もその著「雁」の中で散歩という熟語をよく使い、坪内逍遥の ペンネームも当時の流行語を一捻(ひとひね)りして逍遥としたのだと思う。
 又、夏目漱石も散歩が好きで、中沢宏紀の「漱石のステッキ」の中で「漱石は作中人物によく散歩をさせ、「吾輩は猫である」では猫さえ散歩し ており、実生活でも漱石が桜のステッキを持ってよく散歩していたと弟子達も語っている」と書いている。
 恐らく漱石は英国留学中に英国紳士がステッキを片手に、のんびりと散歩しているのを見ていたのだろう。

それから一世紀の時が流れ最近では散歩を「犬川」と(けな)す者もおらず、一般的に健康の為と 称して散歩を楽しむ人が多くなっだのに何故かステッキだけは全く置き去りにされてしまった。
 大変に古い話しだが、小津安二郎監督の映画「晩春」で父親の笠智衆がさり気なく杖をついて娘の原節子と町を歩く姿が目に浮かぶ。
 この映画は昭和24年頃のものだが、やがて高度成長期に入り皆忙しくなって、まさかステッキを持って満員の通勤電車に乗るわけにもいかず、 ステッキ等という無用の長物は自然忘れ去られてしまったというわけだ。
 ステッキを「こうもり傘」に持ち替えて散歩を楽しんだのは、御存知永井荷風だが、彼も又、アメリカやフランス遊学の折に見ていたに違いない。
 永井龍男の「ステッキと文士」によると、昭和のはじめ、銀座を散歩する文士はたいていステッキを持っていたとあり、少年時代の漱石の写真に は漱石の横に子供用のステッキが写っていたというから明治時代には子供までステッキを持っていたとみえる。

何故、明治時代にステッキが流行したのか、それは文明開化の波に乗り外国人の真似をして髭を切り洋服を着、靴を履いて恰好をつけてステッキを 持ちたかったのだと思うが、元の武士達が明治9年の廃刀令によって腰が淋しくなったからだという 穿(うが)った説もある。
 ステッキを辞書で引くと、洋風の杖とあり杖は歩行を助ける細長い棒とある。つまりステヅキとは歩行を助ける洋風の細長い棒ということになる が何となくステッキは気障(きざ)で御洒落、杖は老人のイメージが払拭できない。
 私の20数年来の主治医はレントゲンの結果「貴方の病症では杖では駄目だ、手押し車しかない」と無責任なことを言う。
 手押し車では余りにも惨め、かといって足腰が弱って寝たきりになっては此の世に何の楽しみも無くなり、その上、女房や娘達に迷惑がられながら 生きるのは私の(けち)なプライドが許さない。

そこで窮余の一策として室内で自転車漕ぎのできる機械を買って毎日30分づつ漕いでいたが、つい先頃香典返しの商品を選ぶ商品カタログ の中に「レッグトレーニングマシーン」とかいって、取っ手を握って足を前後左右に開いたり窄めたりする道具をみつけ早速それを頂いて自転車漕 ぎと併用して運動不足を補うことにした。
 然し、それでも膝の踏ん張りを強くする為にはやはり散歩が一番ということになり、20数年前にいつか使うこともあるからと面白半分に馬の頭の ついたステッキを創っていたのを思い出し、それを持って出掛けてみた。
 確かに一歩毎にステッキを地面について歩けば楽なのだが、それは何となく抵抗があって、ついステッキの中程を持って痛みを堪え て歩いてしまう。
 ところがステッキとは不思議なもので、学生時代少しアイスホッケーをやったことがあったが、スティックを持って滑ると身体のバランスがとりやすく 安定感が増して上手に滑れるように、ステッキを持つただけでよろけずに普通に歩けることに気が付いた。

斯くしてステッキは私の良き伴侶となったのだが、或る時ステッキを持って商店街を歩いていて何気なく目をやった、とある商店のガラス戸に 腰も曲り前屈みの見窄(みすぼ)らしい老人の姿が映りそこに曾ての父親の姿を見て 愕然としてしまった。
 折角ステッキを持つなら、やはり死ぬまで背筋をピンと伸ばして頭をあげ顎を引き腰を据えて悠然と歩きたい。
 その為には毎日自転車を漕ぎ、レッグトレーニングマシーンを使い散歩をしよう、そのくらいのことは曾ての馬に乗る為のトレーニングに比べれ ば何の造作もない、良い習慣を身につけて、その習慣の奴隷になろう。
   “我 人に勝つ道を知らず
       我に勝つ道を知りたり”
                 柳生宗矩
   “我が事に於いて後悔せず”
                 宮本武蔵
 これは、ややもすると崩れそうになる自分への戒めの言葉だ。
                             以 上
 (参考:川本三郎著あのエッセイこの随筆)