眼がほしい、一つでいいから
(2014年10月号)

 「眼がほしい。一つでいいから、先生僕は見える眼がほしい、そうしたら僕は、 もう何もいらない、何もいらない!」。
 近代科学の粋を尽くした開眼手術が不成功に終わり、最後の望みを絶たれ、絶望の渕に沈んだM君の悲痛な叫び。
 それから何日か経った或る日、神戸市盲学校のF先生は学校の工作室にM君を伴い、粘土を与えて「君が今一番何か欲しいのか、 よく考えてその欲しいものを何とか表わして作ってみよう」と言った。
 然し、彼は「うん」と答えたまま黙って下を向いて何か一生懸命に考えているようだった。
 暫くして彼は意を決したように「先生、残ってやってもええか、どないしても今日してしまいたいんだ」と言う。

 「いいとも先生も少し調べものがあるから残っているよ」と言うと、 彼の頬にかすかな微笑みが浮かんだ。
 小一時(こいっとき)してF先生が工作室に行ってみると、彼は黙々と粘土をいじっていた。
 気付かれぬように、そっと戻って、また暫くして行ってみると、静かに彼は机の前に手を置いて座っていた。
 その彼の見えない眼の前に置かれていたのが、この「眼がほしい、一つでいいから」という作品だった。
 「先生、これわかるか」、「うん、うん」と答えると、彼はキッとなって振り向き、「僕は眼がほしい、一つでいいから見える眼がほしい、 僕は盲人と人に言われるのが辛いんだ、諦め切れないんだ]と叫んだ。
 彼の声は激しい怒りに震え、その見えない(まなじり)に青い炎が燃えていた。
 「あヽ、私はどうしたらいいのだ、もう何も言えない、言う言葉がない、何か言えばそれは全部嘘になる」。唯、 この苦しみに打ち震えているM君と抱き合って泣く以外に今の先生には何も出来ない。

 跡よ起これ、F先生は心の中で叫び続けた。しかし奇跡は起こらない。
 奇跡とは一体何なのか、盲人がパッと眼を開き足の不自由な人が立ち上がって、いきなり走り出すということなのだろうか、 勿論それも奇跡に違いない。
 然し、それより遥かに大きく尊い奇跡がある。
 それは暗い運命を背負った人達が、その重く苦しい宿命に負けずに健康な人達でさえ成し得ない事をやり遂げたこと、 これを奇跡と言わずして何と言おう。
 眼が見えなくても彼には心があり、残された他の完全な器官がある。その残された器官で努力して立派に生きている人は決して障害者ではない。
 むしろ自分が失ってしまったものを、それと気付かず唯便々(べんべん)と 毎日を過ごしている人達こそ障害者というべきなのかも知れないと自省の念を深くした。
 人は大事なものを大事なものとして見落とさない為に、貧乏が必要、悲しみが必要、そして病気も必要なのだ。

 は眼に見えているものばかりを追い求めている為に、 掛け替えのない大事なものを見失ってしまっているのだ。
 曾て私か所属していた公益社団法人・日本彫刻会が毎年主催する日彫展(上野東京都美術館)では、私の等身大に近い馬の彫刻を常に視覚障害者 が手で触ってもらう為のコーナーに陳列して頂き、毎回必ず来展される視覚障害者の団体の方々に「馬ってこんな恰好をしているのだ」と 興味深く触って頂いていたものだった。
 その日彫展に今から十数年前、視覚障害者の創った塑像が数点特別に展示されたことがあり、その時の一点がこの 「眼がほしい、一つでいいから」だった。
 ムンクの「叫び」等、遠く及ばないこの作品の迫力、心の眼で見ることの恐ろしさ、私の作品等は論外、芸術院会員や彫刻家を自認する作家達の 作品は、燦然と輝き異彩を放つ彼の作品の前にその輝きを失った。

 術とは一体何なのか。
 トルストイはその著「芸術とは何か」の中で、その結論として「芸術とは何か、何という愚問だ」といみじくも言い放った。
 「美」の基準の曖昧さの故に作品の評価基準が雲散霧消し、良いも悪いもどうとでも評価出来るようになってしまった今日、 現代芸術は見ようによっては総て「無用の長物」「粗大ゴミ」と言えなくもない。
 曾て私は、私にとっての彫刻は自己満足の一語につきると書いた。
 更に、私にとって彫刻は祈ることであり、粘土への感情移入、そして或る一瞬の自己満足があるのみで、 その自己満足は一期一会の偶然から生まれるものだと偉そうなことを書いた。
 然し、結局私は今迄に一つとして満足のいく作品を創ることが出来ず、世間では一応「馬の心を彫る彫刻家」となってはいるか、 結局私の作品は総て我を忘れて楽しんだ残骸にすぎなかった。
 従って、今年6月の個展の案内状に私は「習作展」とせざるを得なかったのだ。
 然し、M君の「眼がほしい、一つでいいから」の作品こそ彼にとって祈ることであり、まさしく粘土への感情移入だったのだ。

  り少ない私の人生、生きているうちに何としてもM君のような作品を創ってみたいと切に思う。
 (参考・浜名徳有著「出会いと別れ」)
                             以 上





 眼がほしい、一つでいいから