迷走・東京五輪
(2014年08月号)

サッカー・ワールドカップで日本は2敗1分けで一度も勝つことなくC組の最下位で一次リーグ敗退が決まった。
 私にサッカーを語る資格は無いが、今回は馬術競技で長年にわたり国際大会に出場していた経験から少々辛口の話しをしてみよう。
 今回の日本チームの編成を見ると、平常は海外で試合をしている選手が半数を占めており、彼らは世界での経験も十二分に積んでいて世界 の壁の厚さを、いやと言う程実感しているはずである。
 最近では日本人の短足胴長も大分改善されたとはいえ、外国人選手の先祖から受け継いだカモシカの様な強靭で長い脚や、鋼鉄の如き肉体、 そして大草原を縦横に疾駆する野生動物を思わせる運動神経や反射神経の良さを見るにつけ、やはり日本人はグラウンドで行うスポーツは不向き だと思わずにはいられない。
 それなのに監督を始め選手達は何故過去最高の8強入り以上等という途方もない目標を掲げたのか、この目標設定に何か確固たる根拠が あったのか、恐らくマスコミの□車に乗せられて自分達でもひょっとして8強入りが出来るかも知れないという妄想に憑りつかれたに違いない。

6年後の東京オリンピックにしても、スポーツ議員連盟(PT)という正体不明の横槍でどう変わるかわからないが橋本選手強化本部長は
 一.金メダル獲得数で世界3位(20〜33個)となる。
 一.全28競技の総てで入賞を果たす。
 東京オリンピックを成功に導くのは我々の責務である、メダル数が目標に達しなければ如何に良いスポーツ環境が整備されても成功とは 言えないと選手達にハッパをかけた。
 これも世界の壁の厚さを知り尽くした元エリートの言葉としては合点がいかない。
 日本人の最大の強みであった畳生活で培われ鍛えられた足腰の強靭さは、戦後の欧米式の机と椅子の生活によって失われ、お家芸の柔道ですら あの様だ。
 又、オリンピックには関係ないが相撲の凋落振りは目を覆うばかり、残念だが選手強化本部長の目標達成は如何にお金を使って選手強化を 計っても絵に描いた餅にすぎない。

そこへもってきて又、何を考え違いしたのか超党派のスポーツ議員連盟のプロジェクトチーム(PT)がズブの素人のくせにスポーツ界の舵取 り役を従来の日本オリンピック委員会(JOC)から国家主導へと無謀な変革をしようとしている。
 要するに「金も出すが、□も出す」というのだ。
 その上、東京オリンピックの組織委員会理事は、このオリンピックを
 一.オンリーワンを目指す
 一.共生社会への人口にしたい
 一.被災地と一緒に歩もう
(のたま)う。彼らはどうやらオリンピック憲章を読んだ事がないとみえる。
 又、金に物を言わせて好き勝手なことを企むが、その金は国民の血税だということを忘れては困る。
 然し、その無謀な提案に対し、昨年来競技団体で不祥事や不正経理が相次いで発覚しているJOCは一応抵抗は見せているもののその迫力に欠け、 所詮負け犬の遠吠えに過ぎない。

更にPTは来年のスポーツ庁設置に伴い、日本スポーツ振興センター(JSC)は文科省傘下の新たな独立行政法人に改組、新組織が競技力強化 の司令塔を担い、強化に関わる公的資金の流れを一元化すると息巻く始末。
 要するに、これまでと異なり、資金をJOCを経由せず直接競技団体に配分する仕組をつくるというのだ。
 これが制度化されれば、選手強化と派遣オリンピックムーブメント(五輪運動)の推進と三位一体で取り組んだJOCは、まったくの骨抜き になってしまう。
 どこで創られたのかPTの座長の衆院議員が副文科相だった頃、彼の私的諮問機関にまとめさせた報告書「『スポーツ立国』ニッポン国家戦略 としてのトップスポーツ」によれば国家として取り組む以外に世界のトップスポーツの中で日本が成功する道は無いと言い切る。
 確かに国家からの強化費は右肩上がりに増加し、国のスポーツ予算は今年度過去最高の255億円を計上、それと引き換えに政界は発言力を強 め、JOCは発言力を失ってしまった。
 然し、私に言わせれば、仮に国が500億、1千億円出して国家事業として取り組もうが世界のトップスポーツの中で日本の成功はあり得ない。
 その様な実現不可能な夢物語より、6年後の東京オリンピックは何としても「世界平和の祭典」として全世界にアピールすべきだ。

美空ひばりの反戦歌「一本の鉛筆」の一節「一本の鉛筆があれば、戦争はいやだと書く、一本の鉛筆があれば、8月6日の朝と書く」、そし て更に「一本の鉛筆があれば、人の命と私は書く」とつづく。
 一瞬にして14万人の尊い人命を失った、あの広島原爆の8月6日が又巡ってくる、そしてその僅か3日後の8月9日は長崎で7万人が原爆に よって殺された。
 戦後69年が経って国家の8割が戦争を知らない、聞いた風な事をいう今の政治家で戦争を肌で感じた人はいない。
 絶対に戦争の記憶を風化させてはならない。
 6年後のオリンピックは広島と長崎で一瞬にして約21万人の善良な何の罪もない市民が殺された経験のある日本が開催するオリンピックなのだ。
 クーベルタン男爵の目指した近代オリンピックは「平和の為の祭典」なのだ。それを「金儲けの為のスポーツ競技会」や「選手の見本市」 「勝利至上主義によるメダル獲得競技会」にしてはならない。

今から100年前、セントポール寺院のペンシルベニア司教は「オリンピックで重要なことは勝つことではなく参加することである」と言い、 クーベルタン男爵は「人生で最も重要なことは勝利者であるということではなく、その人がいかに努力したかである」と言った。
 そして現代オリンピック憲章には「古代オリンピックの精神に基づいて行われるスポーツを通じて青少年を教育することによって平和でより良い 世界づくりに貢献すること」と明記し、更に「その精神のもとスポーツ文化を通じて人々の健康と道徳の資質を向上させ相互の交流を通じて 互いの理解の度を深め友情の輪を広げることによって住み良い社会を作り、ひいては世界平和の維持と確立に寄与することをその主たる目的とする」 とある。
 6年後の東京オリンピックはこのオリンピック憲章に則って「核廃絶と世界平和」をスローガンに、古代オリンピック、ひいてはクーベルタン オリンピックを復活させよう。
 具体的には「エケケイリア」大会期間中の休戦を全世界に呼びかけ、それが守られなかった国の選手の成績は全ての記録から抹消する等断乎たる 処置をとることだ。例えオリンピック期間中だけだったとしても全世界から争い事が消えたとしたら、きっと地下のクーベルタン男爵も少しは浮か ばれるに違いない。
                            以 上