モンゴリアン・オンリー (下衆の勘繰り)
(2014年07月号)

屈辱的な両国の夏場所相撲が、やっと終わった。
 はっきり言って私は相撲が大嫌いだ。
 それ程嫌いな相撲ならテレビを見なければよさそうなものを、今月はどうしても相撲のことを書くと決めた手前、総身に 蕁麻疹(じんましん)が出る思いで十日目から千秋楽迄、幕内の三役が出るあたりからの 全取組を見るはめになった。
 元来、相撲大好き人間だった私は、双葉山の全盛期どこの小学校にも立派な土俵のあった時代、自慢じゃないが私は6年生の時には総員60数人の クラスで大関となり、毎年夏に行われる町内会の相撲大会には父親の命令で褌を締めて出場し、5人抜きをして賞品の西瓜を貰ったこともあった。
 従って、私の現在の相撲嫌いは「可愛さ余って憎さが百倍」というところなのだ。

相撲の何処が嫌いかと言えば、最近の相撲は醜さのみが目立って日本古来の礼儀正しい美しさや奥ゆかしさを微塵も感じることが出来ないの と日本人力士のあまりの不甲斐無さだ。
 10年程前にも「相撲取りは髪を切れ」と題して書いたが鎌倉時代には相撲は武士の練武の基本として行司は 素襖烏帽子(すおうえぼし)に小刀を手挟(たばさ)み、 戦国時代の武将が用いた軍配をもって力士を裁き、力士も又髪を()い褌をしめて (さが)りまでして力技を競ったのだ。
 又、神聖な土俵には神明造りの屋根を頂き、青竜・朱雀・白虎・玄武を表わす四色の房(以前は柱)で四季を象徴し、瑞雲を示す水(瑞)引幕を 張り巡らしているのだ。

そのように神聖であるべき土俵上で力士達はその意識もなく、唯形式的に四股を踏み、清めの塩を或る者は高々と振りまいて、時間制限いっぱいまで ダラダラと無意味な仕切りを繰返した挙句、横綱と大関の対戦ですら駆け引き歴然の「待った」や「お返り待った」の応酬の末、充分に相手を 焦らした上でその虚を突いて土俵の妙に指先が触れたか触れないか高速カメラでも判断しかねるような卑怯な立ち合い。
 それを行司も土俵下で恰好つけて紋付羽織袴で見上げる勝負審判も文句一つ言おうとしない。
 なぜ、正々堂々と両の拳をきっちり土俵につけて双方同時に立ち上がるように厳しく指導しないのか、数ある格闘技の中で最も卑怯で 醜い立ち合い、そして負けた力士の更に見窄(みすぼ)らしい引き下がり方、 そんな競技が武士道の国、日本で許されていいものだろうか。

なにが阿吽(あうん)の呼吸だ、阿吽の呼吸が聞いて呆れる。
 おまけに日本人力士の意気地のなさはどうだ!
 垂仁(すいにん)天皇の御代、 野見宿禰(のみのすくね)のように相手の 当麻蹶速(たいまのけはや)を踏み殺してやろうというような殺気を感じ させるような立ち合いをする日本人力士は唯の一人もいない。
 スポーツの多様化、国際化で国内の相撲人口の減少と有望選手の他競技への流出はますます拍車がかかり、日本人力士のハングリー精神の欠如に 加え、日本古来の伝統競技の誇りを弟子達に植えつけるべきはずの親方衆の気概の無さは目を覆うばかり。
 日本人の新横綱は何と16年も前の1998年夏場所後に横綱に昇進した若乃花が最後だ。
 又、日本人力士の優勝は2006年初場所の栃東以降8年間まったく途絶え、両国国技館の優勝額に日本人力士の肖像が無いというのに、相撲関係者 は一向にその対策を立てる気配もなく、日本人横綱を育てる責任のある親方達は後腐れの無い外国人力士を鍛えて関取にすれば部屋の収入も増えて 万々歳とばかり日本人の横綱がいなくても悔しいとも恥ずかしいとも思っていない。その上不思議なことにマスコミもその事を厳しく追及しないの だから最早手の施しようがない。

又勝負の世界でも先場所12日目まで6勝6敗とまったく元気のない琴奨菊に全勝街道を邁進中の白鵬と日馬富士の両横綱が相次いで、あっさ りと負けたばかりか優勝して横綱を手にしたい鶴竜にも白鵬、日馬富士が仲良く負けて千秋楽で鶴竜が万一琴奨菊に負けても鶴竜が優勝して横綱に なるように二人のモンゴル人横綱がきっちりとお膳立てを整え鶴竜は目出度く優勝して第71代の横綱となり、13年ぶりに実現した3横綱は総て モンゴル人となった。モンゴル万歳!
 又、今回の夏場所では優勝の見込みの無くなった新横綱の鶴竜は14日目の白鵬に負けておいて、万一稀勢の里が千秋楽で鶴竜に勝って13勝したら、 これまた優勝の無くなった日馬富士が白鵬に負けてやれば白鵬の優勝が決まり、もし稀勢の里が鶴竜に負ければ、そんな小細工をしなくても白鵬の 優勝が決まるようになっている。
 このように3横綱が共同作戦をとれば、今後少なくとも数年間というもの優勝賜杯は決してモンゴル人の手から日本人の手に渡ることは無いと 思うのは、「下衆の勘繰り」というものだろうか。
 その上、史上最速タイの所要2場所で新十両に昇進し、見事今場所で十両優勝を果たしたモンゴル人の「逸ノ城」は日本期待の遠藤より 遥かに強そうだ。彼は恐らく近い将来三役入りを果たすことだろう。

更に今場所12日目、豪栄道にはたかれた鶴竜は土俵下まで転がり誰が見ても豪栄道の勝ちは歴然なのに土俵下で見ていた白鵬が、何と18年ぶ りの物言いをつけて審判団は大横綱の物言いには勝てぬと判断したのか、あっさりと鶴竜の反則勝ちとしてしまった。
 このような相撲界では、どう考えても今後日本人力士の横綱昇進も、又優勝もあり得ない。
 近い将来、三役揃い踏みで土俵上にいる日本人は行司だけとなるのは必定だ。
 そんな惨めな思いをするくらいなら、又将来の見込みの立たない相撲なら、この際本当に残念だが、相撲が外国人力士に完全に牛耳られる前に 熨斗をつけてモンゴルにくれてやった方がましだ。
 因みに現在70人の関取のうち15人がモンゴル人で、その他の外国人と併せると近い将来、日本人の関取は半分ぐらいいになるだろう。
 日本人半分、外国人半分で「両国」では洒落にもならない。

然し、幸いなことに日本は6年後にオリンピックもあることだし、相撲本来の姿である勧進相撲に戻して道路整備や橋梁等の増改築の資金集 めに精を出すことだ。その方が遥かに今の相撲を続けて恥の上塗りになるよりましだ。
                            以 上