オリンピックの未来は
(2014年04月号)

 フィ ギュアスケートの羽生選手の爽やかな笑顔、浅田選手の精神力の素晴らしさ、そして二度とも逆風という不運に一言も触れなかった世界女子ジャンプ界の 女王、高梨選手の(いさぎよ)さに感激し感動し涙したソチ・オリンピック。
 そして毎度のことながらスポーツ中継でのアナウンサーの絶叫と選手達の気持ちを逆撫でするような無神経な質問に嫌気がさしたソチ・オリンピック が終わり、やっと寝不足から解放された。
 「オリンピックは世界が注目する最大の広告だ」とはソチ市長の弁。
 開催国の経済効果を最優先に考えて立候補した東京と何ら変わりはないが、国際オリンピック委員会(IOC)は一体何を基準に開催都市を決めるのか、 IOCの委員達は再度オリンピック憲章をじっくりと読みなおす必要がある。

2万5千人のボランティアが笑顔で明るい雰囲気を醸し出す一方、警官4万人の厳戒態勢によって辛うじて競技場でのテロは防止でき、プーチン念願の 金メダル13個を含む総数33個のメダルを獲得したロシアは一応「万々歳」というところだろう。
 然し、同性愛者の人権への懸念は欧米首脳の開会式ボイコットとなり、抗議アピールを行って拘束された人権活動家のニュースは全世界に流れ、 国内に抱えているイスラム過激派によるテロの脅威も繰り返し報じられた。
 又、隣国ウクライナでは「平和の祭典」とは全く無関係に政権側と反政府デモの衝突が激化し、多くの犠牲者を出し、国民の税金を (むさぼ)り食ったヤヌコビッチはロシアの袖の下に逃げ込んで負け惜しみの減らず口。
 同国を巡る政変劇は、どうやら冷戦当時にも似た「欧米対ロシア」の構図が見えてきた。
 1980年モスクワと1984年のロスアンゼルスも政治が介入して東西でボイコットの応酬があり、2008年の北京では開会式の当日グルジア軍とロシア軍 の軍事衝突があった事を改めて思い出す。
 せめて「平和の祭典」の開催中ぐらい争い事を止められないのか、今回も世界各地で民族紛争や宗教紛争等によって何の罪もない多くの人々の血 が流れ、膨大な数の難民を生んでいる。
 一体、オリンピックは何の為にあるのか、いろいろな紛争の犠牲になって今も苦しんでいる人達の不安をよそに、「やれメダルだ何だ」と (うつつ)をぬかしていていいのだろうか。

長野オリンピック開会式の当日、忘れもしない司会の萩本欣一は「刻々と遠ざかってゆく地球を眺めながら、宇宙飛行士達はお互いにあれが 我々の住むアメリカだ日本だと言っていたが、最後に、あれが我々の住む地球だ!そうだ地球は一つなんだ、と言ったあの言葉を胸に抱いてオリン ピックを成功させよう」と言った言葉が今でも耳に残っている。
 オリンピック憲章には「オリンピック精神に基づいて行われるスポーツを通じて青少年を教育することによって平和でより良い世界づくりに貢献 することをその主目的とする」と明記されている。これがオリンピッ‥クの主目的なのだ
 又、運営面では、かつて世界のメディア王と言われた米国のマードックが豪語した如く近い将来、間違いなくスポーツ大会やリーグはメディア が運営することになるだろうという言葉が益々現実昧を帯びてきた。

 IOC 委員会のマーケティング担当者が全世界に向けたオリンピック放送の内訳は、前回のバンクーバーの240チャンネルに対し、ソチでは464チャンネル、 又、放送時間は前回5万7千時間に対し、今回は10万2千時間。
 IOCがソチ・オリンピックで全世界から得たテレビ放映権料は約1、285億円、そのうちの60%の791億円を米国のNBCが拠出している。
 即ちIOCにとって放映権料が財政の屋台骨である以上、五輪の運営がテレビの見栄(みばえ) を重視するのも「お客様」への配慮であり、今回のソチ、16年夏のリオデジャネイロ、18年冬の平昌と、IOCが「初」の付く開催地を選んだのも 放映権料の新規開催が狙いであり、赤字続きで破綻寸前のIOCを救ったのは新時代を迎え、あくなき拡大を目指すテレビ放映権料に他ならない。

然し、初開催のソチはロシアの国策によって5兆円もの巨費が投人されたことにより開催都市の体面は保つことが出来たが、地球温暖化によ る慢性的な雪不足による経費の増大に対し、既存設備の再使用の出来ない初開催都市はロシアの如く国の全面的援助なしには開催不可能だ。因みに 冬季競技に適した、ストックフオルム(スウェーデン)・サンモリッツ(スイス)・ミュンヘン(ドイツ)でさえ住民の反対によって立候補を断念して いる、五輪憲章では一都市開催が大原則だからである
 又、今回のソチでもわかるように、IOCの競技責任者は「若者に関心の高い競技でテレビ視聴率を高めるのが我々の使命である」と高言してはば からず、オリンピックを持続可能な発展を維持するためには女性と若者の参加を高める必要があると考え、新しくIOCが採用した12種目はテレビの 見栄(みばえ)えを重視し若者向けのスノーボードとフリースタイルスキーのスロープスタイル等で、 ワールドカップより難度の高い危険覚悟の見栄えのするコース設定とし、競技には危険がつきものだと (うそぶ)く始末。あれはスポーツというより観客を引き付けるアクロバット・サーカスだ。

更に、次回はIOCに巨額の放映権料を救出するアメリカの要望により、スケートボード、自転車モトクロス、(BMX)のハーフパイプ等の新種目を 採用するのは目に見えている。
 かくして貧しくても高潔だったオリンピックは「金儲けのためのスポーツ大会」へと堕落し、かつての主役選手達は新たに主役となったオリンピック スポンサーの「お抱え役者」となり、テレビの見栄えを重視した「見せ物」となりさがるだろう。
 紀元393年、古代オリンピックが何故廃止されたか、何故、近代オリンピックの創始者・クーベルタン男爵が「もしも再びこの世に生まれたら、 私は自らのつくってきたものを全部壊してしまうだろう」と言ったのか、6年後の東京オリンピックでは少なくとも全世界の人々にオリンピックは 平和の祭典なのだということを思い出させるような企画を立ててもらいたいものだ。
                           以 上