エケケイリア (オリンピック休戦)
(2014年03月号)

「オリンピックの夢はロシア国民を一つにすることだ」。これが2007年ロシア・オリンピック招致の為に国際オリンピック委員会に臨んだ プーチンの最大の目的だった。
 即ち、プーチンにとってオリンピックは全世界にロシア国家の威信を示すと同時に、曾ての超大国から転落し、アイデンティティを失った国民の 誇りを取り戻し、愛国心と国威の発揚を計る絶好のチャンスだったのだ。
 従ってソチ冬季オリンピックは一大国家事業としてスポーツ大国の復活を狙い世界第三位以上の金メダル獲得を目標に掲げ、その達成の為に金メ ダルを獲得した選手には約1,240万円、銀メダルには約775万円、銅メダルには約527万円の報奨金を授与することとした。
 斯くして、この常軌を逸した勝利至上主義は当然の事ながらスポーツ本来のあるべき姿を歪め、スポーツマンシップとフェアプレーの精神を損う こととなる。
 選手は勿論、競技関係者は前回バンクーバーでの屈辱的結果を見返すべく、あらゆる手段を使ってメダルを獲りにくるのは間違いなく、この時点 でソチ・オリンピックは「スポーツの祭典」の真の意義を失ったといえる。

又、北カフカスを震源地とするテロの脅威に対して、ソチ・オリンピックのスキー会場に向かう道路脇には地対空ミサイルを載せた戦車を配し、 スケート場近くの黒海ではダイバーが海中も警戒し、その為に4万人もの警察官や軍隊を動員して厳戒態勢を敷き、競技会場は勿論、記者の仕事場 のメインプレスセンター等の関連施設まで総て2メートルの金網で囲み、至る所に自動小銃を手にした迷彩服の州兵が立っているという物々しさだ。
 更にその様な厳戒態勢のもとでも競技を観戦するにはオリンピック会場の治安確保の為、入場者はチヶツト以外に名前や顔写真等の情報をオリン ピック組織委員会に事前に登録して「観戦者パスポート」を取得しなければならないという。
 又、この様な厳戒態勢を敷いていても尚「平和の祭典」のシンボルともいえる聖火が、テロが多発している南部のダゲスタン共和国の中心都市マ ハチカラでは当初の予定を変更して郊外の競技場内を周回するに止め、チェチェン共和国や北オセチア共和国でもコースの短縮を余儀なくされた。

そもそも聖火の起源は古代ギリシャ時代に遡り、ギリシャ神話に登場するプロメティウスがゼウスの元から火を盗んで人類に伝えたのを記念して ギリシャのオリンピアで採火された火を古代オリンピックの開催期間中その会場に (とも)していたことに因る。
 現在のような聖火リレーは1936年ベルリン・オリンピックの時、オリンピアからベルリンまで聖火を運んだのが始まりで、以来世界の平和を願う ものとしてギリシャで採火したものを多数のランナーによって開催地まで届けるようになり、以来この成果はオリンピックの一部となった。
 然し、2008年北京オリンピックの聖火リレーが円滑に運営されなかった為、2009年IOCは世界規模の聖火リレーを廃止し、主催国のみで行うこと に決定、ここに「世界平和」を願う聖火は形骸化し、その本来の意義を失うこととなった。
 更に今回はロシアの同性愛宣伝禁止法に抗議して、米・独・仏・ポーランドの大統領及び、カナダ・英国の首相もロシアの招待を拒否、かくして 会場に翩翻(へんぽん)(ひるがえ)る 五輪の旗(青−オセアニア・黄−アジア・黒−アフリカ・緑ヤヨーロッパ・赤−アメリカ)もその意味を失い、 (むな)しいものとなった。
 そしてその事実を表徴するかのごとく、今回のオリンピックの開会式の演出で、大きな雪の結晶を表すオブジェが開いて五つの輪に変ずるはずが、 五つのうち一つだけが開かないというハプニングがあった。
 更に、5兆円という夏冬通じて五輪史上最高の巨費を投じ、「オリンピックの夢はロシア国民を一つにすることだ」と言ったプーチンの思惑に反し、 ロシア独立系世論調査機関のレバダ・センターは、ソチ・オリンピックに関する世論調査結果として、「国家予算の横領を通じて私腹を肥やす為に 公務員が開催に向けて努力した」との回答が38%、「プーチンのイメージ向上の為」が17%で批判的回答が55%を占め、「オリンピック開催は名誉で スポーツ振興と国民の団結につながる」は僅か23%に止まった。

かくして、オリンピック憲章に明記されている「オリンピック精神に基づき、スポーツ文化(競技ではない純粋なスポーツ)を通じて世界の人々の 健康と道徳の資質を向上させ、相互の交流を通じて互いの理解の度を深め、友情の輪を広げることによって住み良い社会を作り、ひいては世界平和 の維持と確立に寄与することをその主目的とする」というクーベルタン男爵の理想と夢は完全に消滅した。
 クーベルタン男爵の「もしも再びこの世に生まれたら、私は自らつくってきたものを全部壊してしまうだろう」という無念の言葉が今更の如く ズッシリと肩にのしかかる。
 今回のオリンピック会場となったソチのある黒海沿岸には、曾て古代ギリシヤの植民都市国家が多数存在していた。
 古代オリンピックの開催を伝える使節はギリシャ本土のみならず、小アジア、リビア、シチリア、そして黒海地方等の都市国家を巡回した。

今回の標題の「エケケイリア」はギリシャ語で「手を抑える」という意味だ。
 刀の柄にかけた手を、もう片方の手で抑えて刀を抜くのを思い止まる。これがオリンピック期間中の「休戦」を指す言葉となり、その範囲もギリ シャ人の住む全地域に拡大していった。
 又、期間中各地区から選手が集まるには道中の安全(平和)が必須であるところから、古代オリンピックの開催を告げる使節を「スポンドフォロ イ(休戦を運ぶ人)」と呼ぶようになった。
 クーベルタン男爵はオリンピック選手を真のスポンドフォロイ(休戦を運ぶ人)にすべく、その手段として純粋なスポーツを選択し、スポーツ選 手達の主目的を「平和を運ぶ人」「平和の使者」にするはずだった。

然るに現在の選手達は経済効果や国威高揚を目論む政治家や、オリンピック・スポンサーの 「お抱え役者」となってその道具に使われ、その 上マスコミはスポーツと競技スポーツの区別やオリンピックの真の意味を弁えぬまま、唯々選手達の射幸心と名誉欲を煽りたてるから選手達に 「スポンドフォロイ」の意識はまったく無く、メダル獲得に血道をあげるようになってしまった。
 唯、若干の救いは、バッハIOC会長の開会式での挨拶「世界の政治リーダーに言いたい。選手は国の最高の親善大使だ。オリンピックが発する 友好や平和のメッセージを尊重してほしい。選手の後ろに隠れていないで、直接に平和的な対話をする気構えを持て」。この言葉はオリンピックが 政争の舞台になり、国内の得点稼ぎに利用されることを痛烈に戒めた近来にない名演説だといえるだろう。
 民族紛争、宗教紛争、領土問題による紛争等々、この地球上で様々な紛争の犠牲になって無駄死にしていった何の罪もない人達や難民の事を思う と、一時的にもせよ「エケケイリア」を実現させる必要がある。争いや戦争程莫迦らしいものはない。
 「平和は平和より来る。平和の為に戦うという名目からは決して平和は訪れない。平和程尊いものはない」。

以上、ソチ・オリンピックについて、いろいろと書いたが、この拙文が活字になる頃にはソチ・オリンピックの功罪もはっきりすることだろう。
 願わくば大会期間中テロによる事件の起きないことを。
 そして6年後の東京オリンピックは何としても「エケケイリア」期間中休戦を全世界に向けて強くアピールすべきだと思う。 中国や韓国に文句を言わせぬ為にも。
                             以 上