人事を尽くすは、これ天命なり(V)
(2013年10月号)

記録的な暑さの為か、それとも2ヵ月前の血液検査の結果が示すように、やはり身体のどこかが悪いのか、兎に角この数力月というもの息切 れがひどく、身体も重く、(とみ)に気力の衰えを感ずるようになった。
 そこで、これではいけないと最後の挑戦のつもりで新しい発想の馬像の試作をいろいろと試みてはみるが、すぐに疲れて一向に具体的な姿が見え てこない。
 何とか此の世に自分の納得のいく彫刻を一つだけでも残して、自分の人生満更でもなかったと思いたい一心から彫刻に対する集中力を高めるべく いろいろと本を読んでみたが、これという文章に巡り合えない。
 半ば諦めかけていたら、この数年来私は我と我が心を奮い立たせるべく、この「馬耳東風」の誌面を借りて先人の文章を引用して、わかったよう な事を随分と書いてきたことに気が付いた。

そこで改めて昔の月刊誌「コア」の私の文章を読み直してみると、驚いたことに、自分で書いておきながら至る所に引用している先人の言葉 が一つも自分のものになっていなかったのだ。
 まさに「論語読みの論語知らず」というところだ。
 従って今回は自分勝手を承知の上、再度先人の言葉を己の頭に叩きこむ意味で、それらの言葉を幾つか書き出してみることにした。 然し、それらの文章は将来のある希望に満ちた若い人達にとっては何ら興味のないものかも知れない。しかし「年寄り笑うな、行く道じゃもの」と 何とかお許し頂きたいと思う。
 含蓄(がんちく)のある先人の言葉は、改めて読み直してみると、その時々の読む人の おかれた環境や気持、又はその時の健康状態によって言葉の解釈に大変な違いが生じることに気付かされる。
 要するに人生は、その時々の心の持ち方によって人生観が確実に変わるものだ。しかし何と云っても「健全なる精神は健全なる身体に宿る」の喩 のように青年の如き溌刺たる精神を常に持ち続ける為の大前提は健康以外にない。

貝原益軒も「なるべき程は寿福をうけて久しく世にながらえて喜び楽しみをなさんこと誠に人のおのおのの願う所ならずや、此の如くならん 事を願わば先ず古の道を考え養生の術を学んでよくわが身をたもつべし、是れ人生の大事なり」と言っている。
 又、益軒の養生訓の養生とは、生きるを養うと書き、これは自分の生(命)を自分から育てるということだ。
 「天寿百才」とは百才迄生きて天寿を全うするということだが、()けたり病気で人様に 迷惑をかけながら百才迄生きることではない。「寿」は健康と同意語なのだ。
 「逆順人仙」、即ち唯自然にまかせて老いるのをやめて、肉体的にも精神的にも若々しく生き続けることが大事なのだ。
 「何の為に生きるか」、この問いを続けてゆく為に一人ひとりに与えられた年月、これを生涯と呼ぶような気がする。

以前私は「死ぬことは、この世から消え去ることではなく、その人間が生きていたという事実を証明することであり、死は人間の一生の締め くくりをつけ、その生涯を完成させる事、消滅ではなく完成だ」と書いた。
 職業には引退があるが、生き方に引退は無い、生涯現役・臨終停年。
 一瞬一瞬が良い形で終わることが出来たら、次の一瞬も必ず良い始まりになる。それにはたゆまぬ努力が必要だ。
 そして人は生きるという事に何らかの意義を見出すべきなのだ。
 人生は、それ自体に何かがあるのではなく、人生は何かをする機会である。
 生きるという事は何としてもその理由を見つけ出す責任があるのだ。
 知命と立命は人が人として生まれた以上、その責任を果たす責務があるということだ。
 そして健康(HEALTH)のまま天(HHEAVEN)にめされれば、それ以上の串福(HAPPINESS)は無い。この三つの(H)の関係を常に頭に入れて 生きるべきなのだ。

江戸後期の儒学者、佐藤一斎は
  少而学、則壮而有為
  壮而学、則老而不衰
  老而学、則死而不朽
 (わか)くして学べば、(すなわ)(そう)にして()すこと有り、 壮にして学べば、則ち老いて衰えず、老いて学べば、則ち死して()ちず。と言い、 学び続ける事の大切さを力説した。
 然し、私にはどうも最後の一行の「則死而不朽」がひっかかる、朽ち果てないというのもいいが、「老いて学べば、至福の死に通ず」としたい 心境だ。
 充実した生を送ることが、そのまま至福の死につながる。
 108才で亡くなった彫刻家・平櫛田中は亡くなった時、あと20年以上の製作を続けられるだけの材料を確保していた。
 108才迄にはあと25年もある。健康に留意してこれからも下手な馬の彫刻を創り続けることが私の天命なのかも知れない。

平櫛田中の好きな言葉は「守拙求真(しゅせつきゅうしん)」だ。
 (つた)さを守りながら真実を求めるということで、 上辺(うわべ)だけの上手さより真実味のこもった作品を愚 直に追求することの大切さを言った言葉だ。
 彼の代表作、六代目尾上菊五郎丈の「鏡獅子」は昭和11年より構想を練り、昭和24年に菊五郎丈が鬼籍に入ってからも製作を続け20年の歳月を 費やして完成させている。
 そのことを思えば1年ぐらい構想がまとまらないといって諦めるのは身の程知らずもいい処だ。

さあ、今回のこの文章を「座右の銘」として今日唯今より粘土と格闘するとしよう。
 充実した生を送ることが至福の死につながる。老いて学べば則ち至福の死に通ずることを信じて。
                               以 上




鏡獅子 木に彩色(1965)

  鏡獅子試作裸像
   ブロンズ(1938)