江戸前〜中期の儒学者・博物学者・そして教育家の貝原益軒(1630〜1714)は、その古典的名著「養生訓」で幾度となく「天命」について述
べている。彼がこの養生訓を著したのは1713年(正徳3年)の正月吉日で今年はその三百年の節目の年にあたる。
そこで今回は益軒の「天命論」について若干触れようと思う。
養生訓の書き出しに、彼は「人の身は父母を本とし、
天地を初とす。天地父母のめぐみをう
けて生れ、又養はれたるわが身なれば、わが私の物にあらず。
天地のみたまもの、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養ひて、そこなひやぶらず天年(天命)を長くたもっべし」と書いている。
「私の物にあらず」とは身体も、心も、才能もすべて天からの授かり物で私物ではないと言うことだ。
そうしてみると、私のように高齢になって、老化が進み臓器全体の免疫系が弱くなり自然治癒力の働きも衰え、自然の成り行きで死に至る
とすれば、それは「自然死」・「天命死」と言えない事もない。
命はもともと天からの授かり物なのだから、もとへ返せばいいだけの事だと思い定めるところに「安心立命」の境地が開ける様にも思われる。
更に益軒は「凡そ万
の事、天命なれば、人の力の及びがたし、されど大事を尽くすべし]とも言っている。
大事を尽くすとは、目を輝かせながら悔いのないように精一杯常に自分の限界に挑戦しつづけるということで、大事な事を大事なものとして
見落とさない為にはある程度貧乏が必要、悲しみも必要、そして病気も必要であり、単純に目から入ってきたものだけを追いかけていると、
掛け替えのない大事なものを見逃してしまいそうな気がする。
悟りとは、はっきりとした生き方をつかむことであり、決して自分自身を誤魔化さず、裏切らないことだ。
何歳になっても常に「年々歳々花相似たり・歳々年々人同じからず」の心意気が必要なのだとつくづく思う。
先月号で私の検査入院のことを書いたが、5月の中旬に私の血液の異常が見つかってから、
都合4回もの精密検査で何時死んでも不思議はないと言われた程、異常だった
血液の数値が、何の処置もしないのに4日間の検査入院中に著しく改善され、その原因がまったく分からぬまま、兎に角癌の疑いも薄れ、
今後は定期的に検査をするということで目出度く一件落着となった。
唯、残念なことに酒だけは慎むようにと厳重に注意され、人生の大半の楽しみはこれで完全に失われてしまった。
養生訓にも「酒は天の美禄なり。少しのめば陽気を助け、血気をやはらげ、
食気をめぐらし、愁いを去り、興を発して甚だ人に益あり」と
あり、更に「楽を失わざるは養生の本也」とも言っているから、
私もその言に習って残りの人生大いに美味な酒を飲んで楽しもうと思っていたのに
ドクターストップとなり、生きる望みを失ってしまったが、よく考えてみると益軒の言う楽しみとは決して享楽的な楽しみではなく、
内なる楽しみということらしい。
従って、一応検査の結果が良かったからといって有頂天になって酒を飲んで大事な天からの授かり物の命を失うのは、いかにも莫迦げている。
第一何故、何の処置も施さないのに私の血液の数値が良くなったのか誰にもわからず主治医も入院時の数値なら生きているのが不思議だと
いうことからして、まさしく私の命は全命ではなく、天から与えられた与命のような気がする。
それならば、この私の与命で天は一体私に何をしろと言われるのか、人様の迷惑にならず、少しでも世の為人の為になるように使わないと
立ち所に一つしかない命を没収されてしまいそうな気がする。
従って今からでも遅くはないから、何か積極的に人様の為になるような仕事を見つけてそれに没頭する以外に私の生きる途はなさそうだ。
安岡正篤は「人の生涯何事によらず、もう終わりだと思うなかれ、未だ始めらしき始めを持たざるを思え」と言っている。
「馬」と共に歩んできた私の83年の人生の中で私の一番好きな言葉は、近代馬術の創始者、ジェイムス・フィリス(1834〜1913)の
「前進・前進・常に前進」だ。
この言葉は正しく馬術の神髄であり、「旺盛なる推進気勢なくして馬術無し」なのだ。
今回の検査の結果をみて、これからの与生(余生に非ず)何としても自分で納得のいく人生を送ろうと決心した。
きっと、これが私に対する天からの命令、「天命」なのだと思って。
やはり「人事を尽くして天命をまつ」のではなく、私の場合「人事を尽くすは、これ天命なり」ということらしい。
以 上