原点にかえれ(W)
(2013年6月号)

 「芸 術とは何か」、何という愚問だ!とトルストイはその著「芸術とは何ぞや「(改造社・昭和7年出版)の冒頭で述べている。
 然し、何故愚問なのかという事について書き出したトルストイの芸術論も、いざ筆を執ってみると悪戦苦闘の連続で、結局300頁もの 大論文を完成させたにも関らずその最後の章で結論として次の如く結んでいる。
 即ち、まず彼はこの芸術論を執筆するにあたり何の支障もなく完成することが出来るものと過信していた。しかし、結局彼の芸術に対する 見解は自分自身を満足させる程整理されておらず徒に15年もの歳月を費やし、6〜7回にわたり書き直してみたものの、その大部分を 書き終えた後でさえ自分の結論に満足することが出来ず、この仕事を投げ出さざるを得なかったと正直に告白している。
 又、一般的に「芸術とは何か」と言えば、あらゆる形成の建築・彫刻・絵画・音楽・詩をとおして「美」を追求する作業であるということ になっているが、1750年、バウムガルテンが「美学」を創始して以来、美について実に多くの学者や思想家が挙って「美とは何か」について 山のような書籍を出版しているにも関らず、この問題については今なお依然として未解決のままであるとも書いている。

そして更に、芸術は決して快楽や慰籍や娯楽ではなく大事業であり、芸術は人の理性の知覚を感情の中に移入する人間生活の一機関であり、 芸術の伝える感情も科学の伝える報告も共に必要の度合は一定の時代、一定の社会の宗教的観念に依って決定される。
 即ち、その時代その社会の民衆に依って把握せられている生活の目的に向って下した普遍的了解に依って決せられるのである。 (原釈のまま)と結んでいて何だか難しくてわかりにくいが、要するに芸術や美という代物は何時の時代にあってもな かなか定義しにくいものの様である。
 その故もあってか私に言わせると現代の日本の芸術界なるものは支離滅裂で渾沌たる状態にあるように思えてならない。

我が国に於いては1980年代に入ると全国津々浦々に至るまで美術館が建設され芸術大学も十指にあまり国際展等も至る所で年間を通して開 催されるようになり、芸術をとりまく制度的な環境は十二分に整えられたにも関らず芸術そのものは殆ど壊滅状態に陥ってしまった。
 曾てトルストイがいみじくも指摘した如く美の基準の曖昧さの故に作品の評価基準が雲散霧消して、良いも悪いもどうとでも評価できる 様になってしまい、その結果現代芸術はサブプライム問題を恒常的に抱えている如く、いつ何時(なんどき )現代芸術作品の総てが粗大ゴミになりかねない状態になっている。
 その上、展示場の充実によって一般に芸術と言われるものは美の鑑賞価値から展示価値へと移行し、最早その展示の暴走化は単に展示方式 のみに止まらず、悲しいかな作者自身の展示化を招く結果となってしまった。

かくて今や日本の芸術家を自称する人達は、授賞制度や栄典顕彰制度が社会的に完備された結果、利害関係を同じくする者同士があたかも 政治家の如く徒党を組み、派閥をつくり、他流試合を拒みごく狭い世界に安住する気楽さを覚えてしまった
 又、授賞制度や栄典顕彰制度には作品に当落や優劣を決める必要があり、その結果、賞を得る為には手段を選ばずと審査員の意に沿うよう な作品創りに専念し、自分自身の存在に命を懸けての製作活動を止めてしまった。
 その結果、近代芸術は空しいものとなり芸術界はその内部からの思いあがりと不遜から自滅の一途を辿りつつある。
 しからば、その芸術界の自滅に歯止めをかけるにはどうすればいいか、それにはやはり芸術の原点を見すえて今日の芸術界そのものの 体質を根本から変えなければならない。
 世界的文豪トルストイにして結論の見出せなかったこの大問題について、60の手習いの一彫刻家が挑戦するのはあまりにも無謀であり、 それが的を射ているか否か自信がないが一応私なりに芸術の原点について書いてみようと思う。

即ち私にとっての彫刻は自己満足の一語に尽きる。従って常に自己との戦い、自己を如何に表現すべきかという祈りの感情を常に抱きながら 大袈裟に言うと自分の心の中の哲学を如何に表現するかという事が総てであって、私の作品を第三者がどう評価しようがそれは私にとっては 全く無関係で、唯々私は眼から入ってきた美の感激、又はある瞬間の心象を思いのままに表現したいという切なる思いがあるのみである。
 従って私にとって彫刻は祈る事、粘土への感情移入、そして或る一瞬の自己満足があるのみで私はそれらの自己満足は一期一会の偶然から 生まれるものだと信じている。
 その偶然を己が生きる道程のクサビとして深々と刻してゆく、その証しが作品となるので、これは決して運命でもなく必然でもない 偶然なのだ。その偶然を偶然と思い定めて作品に挑むところに驚きがあり発見があり、そして総てが新鮮さをも って立ちあかってくる。
 然し、そうして仕上げた作品でさえ決して満足出来ず常に悦楽と虚空の間をさまようことになってしまう。

極度の弱視や貧しさというハンディを物ともせず遂に世界の頂点にたった版画家の棟方志功は曾て「とにかく多くの絵描きは一作業ごとに 満足して彼らの制作の歴史は満足の歴史になっているらしいが、僕のは一つ一つが唯の足跡にすぎず、生きてゆくうえでの否応なしの 足跡なのだ。ちょうど僕達が雪の上を歩くと足跡がつくけれどその足跡もすぐに消えてしまうのと同じように僕の仕事も完成というものは ありえない。唯完成への無限の憧憬があるのみだ。完成とは作品のなかの僕がなくなることなんだ」と。  又、棟方の好んだ言葉に「花深所無行跡(はなふかきところぎょうせきなし)」があ る。自分の版画の一つ一つは足跡(あしあと)にすぎない。足跡の上に美しい花弁が 舞い落ちて、それを覆い消す、足跡が消えた頃には自分はずっとその先を歩いている。その足跡もやがて花弁に消されてゆく、常に完成を 求めて止むに止まれず歩みを進め続ける在り方、それを具現化した棟方の行き方、恐らくそれが芸術というものなのだろう。
 そしてこれが芸術の原点であるとするならば棟方の心の中に他人の入り込む余地はまったく無い。
 一つの作品は、その作者が先祖から受け継いだDNA、作者の生い立ち、育ってきた環境等によって育まれた感性やその時々の感情に よって作られるものであり、しかもその作品は次の作品の為の習作にすぎず、それを美術評論家達が理解するのは不可能に近い。
 従って一般の人達は、そんな無責任な第三者の意見に左右されることなく自分の心の中の美の基準ではっきりと判断し、 どんな有名な作品に対してもそれを粗大ゴミと判断するもよし、感涙にむせぶのも又自由である。

その点、明治初期の学校教育の基本、即ち学校に於いて「美育」を学童達の頭の中に徹底的にたたき込み、幼い時から彼等独自の美に対する 基準を身につけ、個人個人の主観に基づいて作品を鑑賞するようになれば、百害あって一利なしの授賞制度や栄典顕彰制度は何の価値 もなくなり自然消滅するだろう。
 一方作者も又、自分自身をとりもどして棟方志功の心境で自己満足の世界に没頭するようになれば、芸術という熟語は一体何なのか、 何となくその存在価値が薄くなるというものだ。
 従って、かつてトルストイが「芸術とは何ぞや」「何たる愚問だ!」と直感的に叫んだ意味も少し理解できるような気がする。
 それではやはり私もこの辺でこの問題を投げ出すとしよう。      以上
 (参考:松宮秀治著、芸術崇拝の思想)