口調のいい短い表現の中で機智に富み含蓄のある内容を盛り込んだ故事や諺は、昔から広く人々に生きる喜びの指針や世渡りのコッを教えて
くれる。
それは、これらの故事や諺が成る程もっともだ、実にうまい事を言うものだ、という万人の
頷きの所産だからに違いない。
ところで、日本漢字能力検定協会は去年の漢字に何を血迷ったか「金」を選んだ。
即ち「金」が昨今の世相を最も良く反映したものだと言うのだ。
たしかに、ロンドン・オリンピックでの日本選手達の金メダル獲得や、山中京都大学教授のノーベル賞受賞等、まさしく「金」を「キン」
と読めば日本国民にとって喜ばしいニュースには違いない。
然し、今私か原稿を書いている2013年の正月、「金」をゴールドと読む人より、[カネ]と読む人の方が遥かに多いはずだ。
昨年末以降の若干の円安により企業間に景気好転の期待が出始めたとはいえ、ユーロ圏経済は相変わらずのマイナス成長が続き、米国の「財
政の崖」は一先ず回避されたものの世界経済の牽引役のはずの中国も何となくその勢いは鈍く、尖閣問題による日中関係の悪化は中国での
製品の売れ行き不振を招き、日本経済は足元で景気後退局面入りが濃厚となっている。所詮「慢性的金欠病」なのだ。
更に、東日本大震災後の復興資金調達もままならず、昨年選んだ「絆」が示す連帯感も薄れ気昧、GDP比212%の借金大国日本は更に
7兆円もの貿易赤字を出し、200万人もの生活保護者を抱えている。
「金」等と浮かれている場合ではないはずだ。
それなのに、いかに政治悪とはいえ、あまりにもお粗末な政治家達。
選挙があれば相変わらず「金」がどこかへ動き回り、何とかしてこれをチャンスに
甘い汁を吸おうと瞬く間に十数もの政党が雨後の筍の如く出現し、国民不在のドタバタ劇。
またぞろ同じ顔がテレビの画面を汚していると思えば、平気で嘘を言ったり平然と悪いことをして、チョッと姿を
晦ましていたかと思えば。また北極海の氷を割って臆面もなく「ヌッ」と顔を出
すオットセイのような破廉恥な者達が、いつの間にか同じ穴の狢に担がれて
国のトップの座に収まつているから手が付けられない。
かと思うと結党から僅か1ヵ月で党を分裂させて8億円もの政党交付金(税金)を濡れ手で粟の一人占め。
何の事はない、霞が関は政治家達がお互いに良い思いをするための選挙互助会以外の何物でもなく、今の日本の政界は「巧言令色
鮮し仁」、儒教の理想とする「仁」の心の
欠片もない輩の集団な
のだ。
悲しいかな、今の世の中、やはり[人間万事金
の世の中]なのだろうか。
これは江戸時代の話したが、五助という下郎が僅かな借金を苦に首をくくって死んだという。
その彼が辞世の句を一つ残していた。
「死んだらば、たかが五両と笑うべし、生きていたらば、二分も貸すまじ」
死んだらば、僅か五両の金で死ぬとは馬鹿な男だと笑うだろう、生きていたら二分の金も貸さないくせに、と。
まさに痛烈、そう思って「金」に関する諺を思
いつくまま書いてみた。
・地獄の沙汰も金次第
・金が敵の世の中
・金の切れ目が縁の切れ目
・金は天下の回り持ち
・銭金は親子も他人
・安物買いの銭失い
・銭あれば木仏も面を和らぐ
・銭は馬鹿かくし
・かせぐに追いつく貧乏なし
・一銭を笑う者は一銭に泣く
・一文惜しみの百失い
・あわてる乞食はもらいが少ない
・愛想つかしは金から起きる
・いつまでもあると思うな親と金
・色男金と力は無かりけり
・後世大事や金欲しや 死んでも命のあるように
・先立つものは金
・溜まるほど汚いのは金と塵 等々。
まだまだ本腰を入れて調べれば、どのくらいあるか想像もつかない。
そのようなところから「万能下の句」とい
うのが生まれたのだと聞いたことがある。
「万能下の句」は明治時代、ある幇間(男芸者)がつくったものだとされているが、下にこの句を置くと、上にどんな句を持ってきても
ピタリとはまるから愉決である。
・自民党 それにつけても金のほしさよ
・民主党 それにつけても金のほしさよ
・公明党 それにつけても金のほしさよ
・参院選 それにつけても金のほしさよ
・春隣り それにつけても金のほしさよ
・親孝行 それにつけても金のほしさよ
という具合である。
「衣食足りて礼節を知る」というのも、そのもとを糺せば、やはり「金」である。
人間の本能は色・食・闘だという。
釈迦もキリストも、この三つの人間の本能をいかにイナスかで苦労している。
然し、現代では色(セックス)も食(食物)も金さえあれば何とかなる。
してみると、現代人の課題は権力か金を得る為の闘(闘争本能)をいかにコントロールするかということになるが、その権力さえも或る程度
「金」で手に入れることが出来るとなると、人間の本能の色・食・闘の根源の総ては
「金」と言う事になりそうだ。
何とも味気無い世の中だが、然し、私はやはり「金」が総てではないと思いたい。
「人間到る処青山有り」だ、「笑って暮らすも一生、泣いて暮らすも一生」、「駕龍に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」、
人の世は待ちつ持たれつ、先月号で私は「貧乏神」について書いた。
今年の干支は「巳」だ、「蛇の足より人の足」、蛇に足があるかないか等を論じても何の役にも立たない、それよりも自分の足元のこと、身
辺の事をよくよく考えることだ。
第一、何時巨大な地震がこの東京を襲うかもわからない。
「きゃっかしょうこ脚下照顧」まず自分の事を反省しよう。
何か起きても決しておかしくない世の中、わかりもしない事を、あれこれ心配するのはやめよう。
「人の天地の間に生くるは、白駒の郤を過ぐるが如く忽然たるのみ」、
人が天地の間に生をうけているのは、ちょうど白い馬が戸のすき間の向こうを走り過ぎるように またたく間なのだ。
「万事は皆空、一生は夢の中」、なるべく楽しい事を考えて暮らすに限る。
そして今年の暮れにはこの地球上に真の平和がもどり、日本漢字能力検定協会も世相を反映して
本当に明るく希望溢れる漢字を撰んでくれる事を期待しよう。
以 上