日日是好日
(2012年12月号)

来年の事を言えば、鬼が笑うと言うが、12月に入ると来年の年賀状に何と書こうか、あれこれ思いをめぐらすのも私の楽しい年中行事の一つ になっている。
 今年の年賀状に私は「それみたか、常が大事じゃ大晦日」と書いた。
 それは去年の暮、ある会合で立つたまま話しをしなければならなくなり、止むを得ず坐骨神経痛の痛め止めを通常の2倍飲んで、 その後いきなり酒をガブ飲みした処、突然意識が無くなり救急車に乗せられたのも知らず、或る総合病院の救急治療室で意識が戻ったという (にが)い経験があり、それ以来酒を飲んで人様に迷惑をかけては申し訳ないと 毎晩3〜4合飲んでいた晩酌もプッッリと止めて「常が大事じゃ大晦日」と書いたのだ。
 その様な理由(わけ)で、この一年間完全に禁酒をしたにも関わらず、 その為とも思うが何となく気力が衰え、つくづく命の果敢なさを感じるようになってきた。

そこで来年の年賀状には自分を励ます意味で「いつでも どこでも いまが自分のいのちの正念場 一生感動 一生青春」と言う相田みつ をの詩を引用することにした。
 昔、中国に雲門文偃(うんもんぶんえん)(864〜949)と言う禅憎がいた。
 ある時その雲門禅師が弟子達に「十五日已前(いぜん)は 汝に問わず。十五日巳後(いご)一句を()()ち来れ」。
 15日以前のことは聞かない。15日以後のことを一言で言ってみよと質問したという。
 ここで何故15日かと言うと、禅の道場では「安居(あんご)」 といって夏冬2回15日間道場に籠って皆で一緒に修行をするのが習わしとなっていて、夏の安居が終わるのが7月15日、冬の安居の終わるのが 1月15日で、その終業の終る15日の日に道場の最高指導者が弟子達に説法をするその説法の中の公案(禅宗で修行者に悟りを開かせるために 考えさせる試験問題)として「15日以後のことを一言で言ってみよ」と言ったのだ。

要するに昨日迄のことは過ぎてしまったことで、最早どうにもならない、過ぎてしまったことを聞いても始まらない。だから、ただ今、今日 から明日剛こ向かって生きる自分自身の具体的な生きざまを一言で言つてみろという公案を出したのだ。
 師の質問に対して答えに困っている弟子達に向かって禅師は私なら「日日是好日」と言うだろうと言つたと物の本に書いてある。

毎日毎日がみんな好い日だと自分なら言うだろうと言った禅師の言葉、果たして私達は毎日毎日がみんな好い日だなどと言えるだろうか。
 雨の日もある、風の日もある、身体の具合の悪い日、円高、世界的経済不況、政治家達の節操の無さ、むしろ毎日毎日が悪い日の連続では ないだろうか。
 然し、雲門禅師の言う「好日」とは今日は好い日とか悪い日とかいう比較を抜きにした話し、つまり好悪を越えた、自分の都合という物差しを 捨てた時の話しなのだ。
 物事というものは、すべて因縁によって生じたり、消えたりするもの、因は直接的な原因、縁はそれを助ける間接的な条件。

例えば雨具屋という因に、長雨という縁が加わると、雨具屋は儲かるが反対にゴルフ場は商売あがったりとなる。
 病気もけがも借金も、因だけ、縁だけで単独で起こるものではない、総て起こるべくして起こり、成るべくして成るのだ。
 自分にとって都合の悪いことが起きても、それは要するに因縁の結果という事になる。
 毎晩お酒を無茶飲みすれば大切な会議の席でひっくり返る、それも因縁の結果、総て身から出た錆。
 そこで今回の「日日是好日」だが、自分にとってどんなに都合の悪いことが起きても、それをどう受けとめていくか、それが一番大事だと 言うのだ。
 自分の都合、自分の損得勘定の物差しを離れて、あるがままに受けとめてゆく、つまり貴重な反省の機会として受け止められたら、 悪い日もそのまま好い日に転換するのだ。
 病気をしたおかげで健康の有難さを知り、酒を飲みすぎて失神したおかけで禁酒に踏み切ることが出来た。

有名な良寛の手紙の一節ではないが、「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候、死ぬる時節には死ぬがよく候、これはこれ災難をのがれる 妙法にて候」というわけだ。
 そして、おかしい時には腹の底から笑い、泣きたい時には手放しで泣いたらいい、苦しい時は苦しいなりに悲しい時は悲しいなりに 精一杯努力して毎日を送ろう、これが「日日是好日」の生き方だと禅師は言いたかったのだ。
 そして最後に「一生感動 一生青春」といけたら、こんな良い年は無いと思う。
 来年こそ「それみたか、常が大事じゃ大晦日」と悔いの残らぬように「日日是好日」といこうと思う。

さて来年はどんな年になるのやら神のみぞ知る

来年の事を言えば、鬼が笑うと言うが、12月に入ると来年の年賀状に何と書こうか、あれこれ思いをめぐらすのも私の楽しい年中行事の一つ になっている。
 今年の年賀状に私は「それみたか、常が大事じゃ大晦日」と書いた。
 それは去年の暮、ある会合で立つたまま話しをしなければならなくなり、止むを得ず坐骨神経痛の痛め止めを通常の2倍飲んで、 その後いきなり酒をガブ飲みした処、突然意識が無くなり救急車に乗せられたのも知らず、或る総合病院の救急治療室で意識が戻ったという (にが)い経験があり、それ以来酒を飲んで人様に迷惑をかけては申し訳ないと 毎晩3〜4合飲んでいた晩酌もプッッリと止めて「常が大事じゃ大晦日」と書いたのだ。
 その様な理由(わけ)で、この一年間完全に禁酒をしたにも関わらず、 その為とも思うが何となく気力が衰え、つくづく命の果敢なさを感じるようになってきた。

そこで来年の年賀状には自分を励ます意味で「いつでも どこでも いまが自分のいのちの正念場 一生感動 一生青春」と言う相田みつ をの詩を引用することにした。
 昔、中国に雲門文偃(うんもんぶんえん)(864〜949)と言う禅憎がいた。
 ある時その雲門禅師が弟子達に「十五日已前(いぜん)は 汝に問わず。十五日巳後(いご)一句を()()ち来れ」。
 15日以前のことは聞かない。15日以後のことを一言で言ってみよと質問したという。
 ここで何故15日かと言うと、禅の道場では「安居(あんご)」 といって夏冬2回15日間道場に籠って皆で一緒に修行をするのが習わしとなっていて、夏の安居が終わるのが7月15日、冬の安居の終わるのが 1月15日で、その終業の終る15日の日に道場の最高指導者が弟子達に説法をするその説法の中の公案(禅宗で修行者に悟りを開かせるために 考えさせる試験問題)として「15日以後のことを一言で言ってみよ」と言ったのだ。

要するに昨日迄のことは過ぎてしまったことで、最早どうにもならない、過ぎてしまったことを聞いても始まらない。だから、ただ今、今日 から明日剛こ向かって生きる自分自身の具体的な生きざまを一言で言つてみろという公案を出したのだ。
 師の質問に対して答えに困っている弟子達に向かって禅師は私なら「日日是好日」と言うだろうと言つたと物の本に書いてある。

毎日毎日がみんな好い日だと自分なら言うだろうと言った禅師の言葉、果たして私達は毎日毎日がみんな好い日だなどと言えるだろうか。
 雨の日もある、風の日もある、身体の具合の悪い日、円高、世界的経済不況、政治家達の節操の無さ、むしろ毎日毎日が悪い日の連続では ないだろうか。
 然し、雲門禅師の言う「好日」とは今日は好い日とか悪い日とかいう比較を抜きにした話し、つまり好悪を越えた、自分の都合という物差しを 捨てた時の話しなのだ。
 物事というものは、すべて因縁によって生じたり、消えたりするもの、因は直接的な原因、縁はそれを助ける間接的な条件。

例えば雨具屋という因に、長雨という縁が加わると、雨具屋は儲かるが反対にゴルフ場は商売あがったりとなる。
 病気もけがも借金も、因だけ、縁だけで単独で起こるものではない、総て起こるべくして起こり、成るべくして成るのだ。
 自分にとって都合の悪いことが起きても、それは要するに因縁の結果という事になる。
 毎晩お酒を無茶飲みすれば大切な会議の席でひっくり返る、それも因縁の結果、総て身から出た錆。
 そこで今回の「日日是好日」だが、自分にとってどんなに都合の悪いことが起きても、それをどう受けとめていくか、それが一番大事だと 言うのだ。
 自分の都合、自分の損得勘定の物差しを離れて、あるがままに受けとめてゆく、つまり貴重な反省の機会として受け止められたら、 悪い日もそのまま好い日に転換するのだ。
 病気をしたおかげで健康の有難さを知り、酒を飲みすぎて失神したおかけで禁酒に踏み切ることが出来た。

有名な良寛の手紙の一節ではないが、「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候、死ぬる時節には死ぬがよく候、これはこれ災難をのがれる 妙法にて候」というわけだ。
 そして、おかしい時には腹の底から笑い、泣きたい時には手放しで泣いたらいい、苦しい時は苦しいなりに悲しい時は悲しいなりに 精一杯努力して毎日を送ろう、これが「日日是好日」の生き方だと禅師は言いたかったのだ。
 そして最後に「一生感動 一生青春」といけたら、こんな良い年は無いと思う。
 来年こそ「それみたか、常が大事じゃ大晦日」と悔いの残らぬように「日日是好日」といこうと思う。

さて来年はどんな年になるのやら神のみぞ知る

以 上
 (参考:相田みつを著、一生感動・一生青春)