芸術の秋・読書の秋
(2012年11月号)

この雑誌が皆様の所に届くと思われる11月7日は、ちょうど暦の上では「立冬」にあたり、11月は別名「霜月」というように霜の降る日 もある、然し本当の秋晴れはこの月に多く、毎年必ず秋晴れになると言われる3日の「文化の日」は戦前は「明治節」と言って明治天皇の誕生日に あたり、15日は「七五三」のお宮参り、23日は「勤労感謝の日」という具合にこの月は何となく華やいだ気分になると同時に、私にとっても 日本各地で開催される国民体育大会(現在は10月開催)に第1回から14回も愛馬と共に転戦した懐かしい思い出の多い月でもある。
 先月号で私は「天高く馬肥ゆる秋」について書いたが、今月は秋本番を迎えて私の職業(?)とも若干関係のある芸術と読書について書こうと 思う。

 11 月の声を聞き「文化の日」が近づくにつれ全国各地の美術館や画廊等では、少しでも多くの人達に芸術作品を鑑賞してもらおうと、思い思 いの企画を立て、その存在をアピールする。
 そしてダビンチやフェルメール、ピカソといった世界的に名の知れた芸術家達の展示会場は、どこも観客が長蛇の列をなし、それらの人々は有名 な絵画や彫刻の実物を見たということで、何となく文化的な雰囲気に浸ったような満足感を覚えるものだ。
 然し、ルネッサンス以前の作品はいざ知らず、私に言わせると現代芸術そのものは今や殆ど壊滅状態に近く、作品の評価基準は支離滅裂で、要す るに良いも悪いも、美しいも醜いも どうとでも言えるようになってしまった。
 この現象を例えてみれば、今の世界の経済情勢の如く、世界同時不況を恒常的に抱えているようなもので、何時、現代芸術作品の総てが粗大ゴミ に成り果てるか、まったく予断を許さぬ状態にあるように思えてならない。
 それでは「芸術」とは一体何なのか、私は今年1月より4ヵ月間に及ぶ私自身の個展の末、やっと辿りついた私なりの結論について書いてみよう。

元来、彫刻家にしろ絵描きにしろ彼らを突き動かす感情は、純粋に祈りに近い自己表現、つまり眼から入ってきた美の感激を思いのままに表 現したいという欲望以外の何物でもなく、そこには人に誉められたいとか、上手に創りたい、○○賞をとりたい等という意志は微塵も存在しえない。
 私にとって彫刻を創るという事は「生きる」という事であり、納得のいくまで粘土への感情移入を繰返し、自分の限界に挑戦しつづける、唯々、 自己満足の世界が総てだという事に気付かされた。
 要するに“咲く花に自己顕示をしない無心の生き方を習い、鳴く虫に道一筋に励む真剣な生き方を学ぶ”と言うわけである。
 以上の結論の末、私は5月初旬、公益社団法人に日本彫刻会会員の肩書を返上し、フリーの立場で自由気儘に馬の彫刻創りに没頭することにした。
 敢えて言えば、現代の芸術家と自称する人達は、その一部を除いて「自己自身の存在を作品化すること(自己表現)を止め、授賞制度や栄典顕 彰制度のなかで審査員の評価を意識しながら自己の高揚を図り、審査員も又それを良しとする傾向が顕著になってきた。

そのような現状の中で開催される色々な現代作品の展示会にあって、観客は確固たる自分独自の「美」に対する判断基準を身につける必要が あり、(いやしく)も、芸術院会員の作品だから、○○賞受賞作品だからとか、まして その作品に対する美術評論家の評価等の先入観で作品を観るべきではない。
 その点、今の政府の要人や文科省の役人達は「知育・徳育」と同じように「美育」の重要性に目覚め、学校教育に於いて子供達に、それぞれの 個性に応じて美しいものを美しいと感じるような情操教育を徹底的に身につけさせる必要がある。
 要するに作品に対する芸術的評価は、各人の感覚によって決めるべきである。
 そうでないと、今日の芸術は内部からの思いあがりと不遜から間違いなく自滅の道を辿ることになるだろう。又、現にそうなっている。
 以上、私のドンキホーテ的芸術衰退論はこれまでとし、次に「読書の秋」について書くとしよう。

大東亜戦争勃発の昭和15年前後、私の家の近くに今ではまったく見られなくなった一軒の貸本屋があった。
 何分にも戦争中の事、今のように新刊書一冊出るでなし、中学生になりたてで活字に飢えていた私は、手当たり次第に本を借りては夜の更けるの も忘れて読み耽り、母親に電燈を消されたことも幾度かあったが、今ではそれも懐かしい思い出の一つである。
 そして傘寿をすぎた今でも古本屋の前を通る度に、あの古本の何とも言えない懐かしい匂いを嗅ぎたくて、つい店に立ち寄り、古本の書棚の林の 間をさ迷いながら、店の主人と、たわいのない話しに時間をつぶしてしまう。
 本というものは、中身を読まなくても表紙の題名を眺めているだけで結構楽しいものだ。
 然し、悲しいことに古本屋は言うに及ばず、町の本屋は年々減少する一方で、全国の書店は今年5月末現在で14、700店と、この10年間で2割5分 も店仕舞いしている。
 その原因は出版不況という事もあるが、コンビニやネット書店の増加に加え、何と言っても電子書籍の影響が大きいと思う。

 「読 書は事件だ」とは作家、川上未映子氏の言葉だ。
 即ち、本を読む前と読んだ後では、世界観が180度変わってしまう事があり、まったくの偶然から、そのような本に出くわして人生観が一変し てしまうのも読書の醍醐味と言うものだ。
 そこで私は本を読む時、常に赤鉛筆を持ち、気に入った文章にはラインを引き、本の余白に感想を書き、更に興味を覚えた頁の上隅や下隅を祈り (上隅の方が重要)お目当の頁がすぐに開けるようこしている。
 従って、このような事は自分の本以外には出来ず、まして電子書籍では不可能である。

いずれにしても、気持ちいい秋の夜長、虫の声をBGMに「灯火親しむの秋」一人静かに読書を楽しむことにしよう。
 そして、出来得れば学生の頃の「三方アンカット本」(袋とじの製本)をペーパーナイフ片手に胸をわくわくさせながら、未だかつて何人も開い たことのない頁を、そっと切り開きながら読んだ、あの懐かしい思い出に浸りたいと思うのだがそれは遠い昔の果敢無い夢になってしまった。
 (参考:松宮秀治著、芸術崇拝の思想)

以 上