神無月(神様と仏様)
(2012年10月号)

暑く長かった夏も終わり、いよいよ“天高く馬肥ゆる秋”の到来。
 然し、この“天高く馬肥ゆる秋”という成語(せいご)匈奴伝(きょうどでん)(匈奴=中国の北方遊牧民族)によると 「秋至れば馬肥え、弓(つよ)く、即ち、 (さい)に入る」とあり、これに秋になると匈奴は弓を引く力も強くなり、 よく肥えて逞しくなった馬に乗って国境周辺の小城に攻め入ってくるから、国境周辺の警備を強化し々け仁ここらない、 という警告の最初の一節なのだ。

この原稿を書いている9月初旬では、この記事が掲載される10月中旬に日本の国土の一部がどうなっているか予測はつけにくいが竹島や尖閣や 北方四島の警備をそっちのけにして政権闘争に明け暮れしていると、この日本の国土は匈奴の餌食になること必定。
 下野した自民党に、今、我が国が抱えている課題の殆どに関与していた責任が自分達にあるということを棚上げにして与党批判に明け暮れ、 与党も内輪もめと閣僚の力量不足は目に余るものがあり、その上、敵前逃亡の前歴のある元首相や、法律の網の目を潜って生きのびた有力政治家達は、 北極海の氷を割ってヌーツと頭を出す、オットセイかアザラシの如く臆面もなく政治の表舞台に躍り出て、虎視耽々と政権を伺っている。
 又、その他の野党も雨後の筍の如く勝手な党名を付けて党利党略に走り、あわよくはお零れにありつかんと血眼になっている。
 自民・民主・国民の生活が第一・みんなの党等と、さも国民の事を考えているようだが、その実、今の日本の政党は我利我利亡者の集団にすぎ ず、出来うれば党名を一律「日本政権党A・B・C」とした方が、よほど彼等には相応しい。

ひょっとして彼等は今から738年前の文永の役(北条時宗の時代、蒙古の兵船が壱岐・対馬を浸し、筑前博多に上陸した折、神風と称する暴 風雨によって蒙古の兵船の大半が沈没し、蒙古軍は這這(ほうほう)(てい)で逃げ帰った、一般に言う蒙古襲来)の時のように神風が吹いてくれるだろうと 悠長なことを考えているのかもしれない。
 然し、大東亜戦争の時にも神風は吹いてくれなかったように、神風はそう日本の為に都合良く吹いてくれないことは身に沁みてわかっている と思うのだが。
 その上、この10月という月は「神無月」といって、日本全国の氏神様が全員「出雲の会議」に出席して日本の善男善女の縁を取り結ぶのに 手一杯で、神風を何時吹かせるか等という議題をとりあげている余裕はないはずだ。
 又、「苦しい時の神頼み」と言うが、元来、日本の神様は「八百万(やおよろず) の神」といって、その数は非常に多いが、風神・雷神・水神・山の神等々のように自然現象を神としているのに対し、砂漠の宗教 の神様は天地創造の神ということで絶対である上にたった一人しか存在しないことになっている。

それに対し仏様は宇宙に充満している因子が、不思議なご縁によって新しい現象を生み出す働きとその現象として存在するというように考え られている。
 従って、神様には、絶対があるのに対して、仏様には絶対がない。
 砂漠の神様は、天地創造の神は「オレ一人だ」というのに、別の砂漠の神様は、「いや、オレが宇宙を造ったのだ」と主張するから 戦争になってしまう。
 そして神様のために戦うからお互いに「聖戦」というらしいが仏様には聖戦は無い、むしろ仏様は戦争は愚か者のすることだと諭し、 神様は戦うけれど、仏様は決して戦わないことになっている。
 更にこんな事を書くと、どこからかお叱りを受けるかもしれないが、明治以降日本は軍国主義をすすめるうえで日本国民が仏様を信じていては 戦争がしにくくなるので、天皇陛下を神様にして天皇陛下が絶対だと国民を洗脳し戦争を「聖戦」ということにして大東亜戦争に突入していった。
 その間いろいろな事情があったにせよ、日本国民230万人もの死者を出し敗戦の憂き目を見る結果となってしまった。

序に書くと、神様は氏手達の担ぐオミコシに乗って町や村の商店街を練り歩き海の中まで入ってゆくが、仏様は檀家遠の担ぐオミコシに乗っ たりはしない。(どうやら日本の神様はお祭りがお好きのようだ)
 又、善男善女達はオリンピック等でメダルが獲れますようにとか、良い学校に入れますようにと神様にお願いするが、仏様縁は、そんなことを お願いする暇があったら、勝つようにもっと練習したり、もっと良く勉強しろと諭すだけだ。
 神様が祈りの宗教なのに対し、仏様は誓願の宗教、私はこうしますと自分で決めて実行する宗教なのである。
 よく物事がうまくゆかなかったり、争い事に負けたりすると、「神も仏もあるものか」等と言うが、そんな事を言われても仏様にとっては全く迷 惑な話しというものだ。
 最後に神様と仏縁の決定的な違いを御披露しよう。

戦後一世を風靡した男性歌手にミナミ・ハルオという人がいた。東京オリンピック(1964年)のあった頃、彼の歌謡ショーにはお客さんが 何千人も入っていたが、その頃の彼の口癖は「お客様は神様です」だった。
 ところが、バブルがはじけ時代は変わって彼のショーにはお客様がさっぱり来なくなってしまった。
 そこで或る時、永六輔が、「何故お客が入らなくなったのか」と聞いたところ、ミナミ・ハルオ曰く「カミサマがみんなホトケサマになってしまっ たから」。

以 上