最後の勝利者
(2012年9月号)

今から30年前、父が亡くなり、その遺品を整理していたら、私の名前について「修一は精神的には修養の結果人格円満を意味し、肉体的には 長しの意味にて長寿を意味し、西村修一は刻苦勉励によって最後の勝利者となる吉数なり、」という 書付(かきつけ)が出てきた。
 せっかく名前を付けてくれるなら、何もしなくてもお金持ちになり、健康で長生きし、一生楽しく暮らせる名前にしてくれたらいいのにと 怨めしく思ったものだ。
 要するにFお前が幸福な一生を送りたければ、(おのれ)の欲望や邪念を意志の (ちから)で抑えて、精神的に修養を積む以外にない」という事だ。
 その事を、子供の頃に教えてくれていたら、もう少しましな人生を送れたものを、50過ぎになって知っても今更 「自灯明(じとうみょう)法灯明(ほうとうみょう)」、 自分の中の輝く可能性を磨き依頼心を捨てよと言われても手遅れと言うものだ。

小学校に入る頃から馬の虜となり、学業はそこそこに大学を出てからも土・日はもとより出勤前の乗馬クラブ通いの毎日。
 サラリーマン生活10年目で、これでは東京オリンピック(1964年)こ出られないと会社を退職、自分で会社を始めたが、片手間仕事の会社は 上手(うま)くゆくはずもなく、不渡手形を掴まされて敢え無 く倒産(実際は整理)。
 然らば、寄らは大樹の陰と大会社の代理店となり、その会社は現在も細々と続いているが、莫迦には付ける薬は無いとみえ、会社の調子が少し 良くなると馬を買って乗り続け、バルセロナオリンピック(1992年)の最終選考会の試合の最中、馬の上で心臓の 僧帽弁(そうぼうべん)の腱索断裂で危うく死に損ない、 成功率50%の手術をする事となった。
 手術は目出度く成功したが、その手術の前後約1年程、馬にも乗る事が出来ず、自分の今迄の人生は、これで良かったのかと考え、 自分なりに、これからは納得のゆく人生を送ろうと宗教の本等読み漁った。
 その結果、いずれにしても人生は途中で終わるもの、「一大事と申すは今日只今の心なり、それをおろそかにして翌日あることなし、 すべての人は遠きことを思って謀ることあれども的面の今を失うに心つかず」。

人生にとって一番大事なことは、今日只今の心だ。それをおろそかにして翌日があるわけがない、すべての人は遠い将来のことを思い悩む が、この今の心を忘れているのに気が付いていない。
 そうだ、「只今の、只に乗れ、只の人」(中川栄渕老師)なのだと考えた。
 それにしても、「死」は予め用意して迎えられる相手ではない、迎えなくても向こうから押しかけてくるまったく歓迎されない客なのだ。
 又、天寿とは一体何なのか、「神のお召し」等とんでもない。そんな招待状こっちから 熨斗(のし)を付けて突っ返してやりたいが、死は招待状なしで突然やってくる。
 仕方がない、その時はその時のことだから死ぬまで全力投球するとにしよう。

そこで60の手習いよろしく馬の彫刻を始め、下手な文章を古く事に思いつくと同時に手術前より若返った心臓のお陰でまたまた馬術競技の 国際大会にも出場するようになった。
 以来20数年、馬術を楽しみながら彫刻を創り、エッセイを書いて自分なりに私の選んだこの途は間違いではなかったと思い込み、 自分のことしか頭になく、自分の心棒で回る独楽(こま)のように独り楽 しむ「独楽の人生」が本当の人生だと自慢たらたら、人にも話しエッセイにも好き勝手なことを書いてきた。
 その結果、女房や娘達にはすこぶる評刊が悪く、「貴方は亭主としても、父親としても失格だ」と手厳しい。
 その苦言を柳に風と聞き流していたら、去年の暮、ある会合の席上、突然目の前が真っ暗になって失神し、気が付いたら或る総合病院の 緊急治療室で伸びていた。
 その事があって以来、私の頭の中で急に「死」が現実昧を帯びてきて、妻や娘達に嫌われながらのこれまでの私の人生、果たしてこれで 良かったのだろうか、(いず)れ御先祖様の仲間入りをした時、父が望んだような 「最後の勝利者」として胸を張ることが出来るだろうかと急に心配になってきた。そこで再度「最後の勝利者」について考えてみる ことにした。

まず第一に20数年やってきた彫刻だが、今迄は芭蕉の「昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世」の如く、自分の彫刻は総て遺作 だと多少自惚れて作品を創っていたが今年の1月から4月の4ヵ月間にわたる個展で自分の作品をじっくりと眺めていたら、 つくづく自分の未熟さを思い知らされて自信を無くしてしまった。
 このままでは「旅に病んで 夢は枯野をかけめぐる」と芭蕉の辞世の句ではないが悔いを残して死ぬることになりかねない。
 「充実した生をおくる事がそのまま至福の死に通じる」等と気安く言う人がいるが、その充実した人生とは一体どんなものなのか、 それが問題なのだ
 20数年続けてきた彫刻を今更やめて何をすればいいのか、一大決心をしてやり出した彫刻を中途で止めるという事は、 横糸のない織物のようなものだ。縦糸だけでは織物にはならない。つまり、「立志」があっても横糸の「実行」がなければ目的 は達成されない。

孔子は「70にして心の欲するところに従えども(のり)()えず」と言う、 「(おのず)から(かえり)みて (なお) ければ千万人といえども(われ)往かん」だ、今この彫刻を断念すれば、 九仞(きゅうじん)の功を一簣(いっき)に 欠くことになりかねない、やはり70年間馬を触り続けた私の手の平を信じて、私にしか出来ない馬の像を創り続ける以外にない。
 年を加えるという事は、常に良い意味で進歩し続ける必要がある。いたずらに馬齢を加えるのではなく星霜を経れば経る程精神が若返り 老いて益々盛んとなり、漏水ではなく成熟なければ年を重ねる意味が無い。

釈迦の最も嫌いなのは「怠惰」であり「怠けるのは死の道」、「勤め励むのは正の道」だとさう言っている。
 精進とは人間の中に本来埋め込まれている人間を人間たらしめる仏性を開発して、人間をより向上させようと励み進む心、 即ち自分の人間完成に励むのが精進なのだ。
 人生は唯の一回、その一度きりの人生を怠惰のまま無駄に浪費するだけは止めよう。
 いずれ女房も娘達も、こんな我が儘な一人よがりの男を許してくれる日の来ることを信じて。
 「最後の勝利者」は下駄をはくまでわからないものだ。

以 上