「夢
十夜」は文豪・夏目漱石の代表作の一つである。
「吾輩は猫である」や「坊っちゃん」のように、あまり知られてはいないが、然し、夢物語の形式をとった摩詞不思議な話しの一つ一つは、
しらずしらずのうちに読者を深い思索の中に誘い込んでゆく。
そこで今回は、「こんな夢を見た」という書き出しで始まる漱石の「夢十夜」の中の「第六夜」をとりあげてみようと思う。
その物語は漱石が生きた明治の時代と、日本の仏像彫刻界を代表する仏師・運慶の活躍していた鎌倉時代とが入り雑じった、幻想的な夢物語
で、夢の中の「自分」が運慶が護国寺の山門で仁王像を制作中だという噂を聞いて見物に出かけてゆく処から始まっている。
散歩がてら、軽い気持ちで見物に行った現場では、既に「自分」と同じ明治時代の大勢の野次馬が、小さな
烏帽子をかぶり大きな袖を背中で
括った古風な出で立ちの運慶が
鑿をふるっている姿を見ながら、思い思いの下馬評を繰り広げていた。
その大勢の野次馬にも心乱されることなく大胆に仁王像を創り続けている運慶を見て、「能くもあの様に無造作に鑿を使って思うような
眉や鼻が出来るものだ」と思わず感嘆の声を漏らした「「自」」に、「なあに、あれは眉や鼻を愁で彫っているのではなく、あの通りの眉や鼻を
もった仁王の顔が木の中に埋まっているのを、鑿と槌を使って、その仁王の顔を彫り出しているだけのことなのだ」と一人の若い男が「自分」の
耳元で囁いた。
「技・神に入る」と思われた
運慶の仁王像も、実は既に木の中に埋まっているものを掘り出しているにすぎなかったのだ。
私には、この若者の囁きを通して漱石が何を言いたかったのか、この若者の言葉には深い意味が隠されているように思えてならない。
実は、木の中にある仁王の姿は、誰の中にも備わっている天与の素晴らしい素質を意味しているのではないだろうか。
全身全霊を込めて仁王像を木の中から浮かび上がらせている運慶の姿こそ、私達一人一人が無意識のうちに御先根様から与えられた天与の素晴らしい
素質を掘り出そうとしている運慶の真摯な姿なのだ。
運慶が木の中に既に存在している仁王様を彫り出しているだけだと聞いた「自分」は、それなら自分にも仁王を彫ることが出来るに違いないと考え
、見物を早々と切り上げて家に帰ります。
そして薪にするつもりで買っておいた木切れから仁王像を彫ろうと鑿と金槌で
仁王像に挑戦しますが、仁王様は、そう容易く現れてはくくれません。
そして「自分」は遂に「明治の木」には到底仁王は埋まっていないと諦めてしまいます。
自分は何故、仁工像を彫りだすことが出来名なかったのか、自分か手にした木切れの中に匂うがいるものと唯漠然と思い込み、安易な気持ちで
闇雲に鑿をふるっても、それは無理というもの。
「求
めよ、さらば与えられん」・「尋ねよ、さらば見いださん」・「叩
けよ、さらば開かれん」。その求め方・尋ね方・叩き方が問題なのです。
そこに私達が常に求めてやまない「生きる意味」があり、それこそ私達が生涯を懸けて追い求めなければならない命題なのだということを漱石
は言いたかったのではないでしょうか。
然し、自分の天性がどのようなものなのか、その解答は容易に見出すことは出来ない。だからこそ、その答えを真摯に追い求める姿勢に生きるこ
との価値があり、自分は何故生まれてきたのか、自分の生きる意味はどこにあるのか、ということを口々の暮らしの中で真剣に考え、その答えを求
め続けることに価値があり、その努力の積み重ねの褒美として仁王はその姿を現してくれるのだと思います。
それらの課題に真剣に取り組む運慶のたゆまぬ努力と、彼の非凡な天性とが美事に結実して運慶の仁王像は時代を超えて生き続けることが出来た
のだ。
「夢
十夜」は「それで運慶が今日迄生き続けている理由が略
解った」という述懐によって幕を閉じている。
私のような凡人には、自分の生きる意味をそう簡単に掴む事は出来ない。
今迄に会社を経営し、馬術選手として70年間も馬に乗り続け、その経験を活かして馬の彫刻を創り、拙いエッセイを書いて今日迄自分を誤魔化し
続けて生きてきた。
私の彫刻やエッセイは私の生き方を自分自身に問うもの、何時かその答えが見出せるものと淡い期待を込めて生きてきたが、私の仁王は未だにそ
の姿を現してはくれない。
私は2ヵ月前の「コア」に、「死ぬことは、この世から消え去る事ではなく、その人間が生きていた、という事実を証明する事だ」「死は人間の一
生の締め括りをつけ、その生涯を完成させるものだ、消滅ではなく完成だ」と書いた。
そして私に残された時間はそう長くはない。
けれど、そのわからない答えを求め続けてゆく処に人生の意義があるように思う。
「何
の為に生きるのか」、この問いを続けてゆくために、一人ひとりに与えられた年月、ひょっとして、それを「生涯」と呼ぶのかも知れない。
以 上