今しかない
(2012年6月号)

徒然草に「死期は(ついで)を待たず、死は前よりもきたらず、かねて後に追われり」 とある。
 要するに死は自分の思うような時に訪ねて来るとは限らない、前から来ると思っていると突然後ろから襲ってくるから始末が悪いというのだ。
 私も去年の暮れに或る会合の席上、突然目の前が真っ暗になって椅子に倒れ込み、気が付いたら東京厚生年金病院の集中治療室で伸びていたとい う苦い経験がある。
 その会合には日本指折りの獣医師が3〜40入同席していたから良かったものの、一人で家にいた時とか、道路を歩いていた時に同じような発作が 起きたら、一巻の終わりになっていたに違いない。
 ましてマグニチュード7.3の直下型地震が何時南関東を襲うかも知れない昨今、まさに一寸先は闇の時代だ。
 その上、私のように心臓弁膜症をはじめ計7回も手術をしている身としては、これから先の人生、一体何を先にして何を後回しにすればいいの かを常に考えたうえで優先順位を決めて行動する必要があり、その上で一瞬一瞬が終わりだという自覚をもって生きる以外にない。

その事を陽明学の始祖、中江藤樹は「当下一念」といっている。
 「当下」とは、今この瞬間という意味で、今の一瞬一瞬が良い形で終わることが出来たら、次の一瞬も又必ず良い形で始まるものだと言うのだ。
 そこで、私の親しいお坊様が書いた「今しかない」という色紙を額に入れて私の書斎の壁に掛けて毎日眺めることにした。
 「今しかない」!まさにその様な決意で始めた馬事公苑での個展は私なりにベストを尽くしたつもりである。
 そして恐らく私の人生にとって意義あるものになるであろうと思われる4ヵ月間にわたった個展も何とか無事終えることが出来た。

日本各地に設置されている等身大に近い馬の銅像の原型は、大きすぎて銀座の画廊等では展示出来ないが、幸いな事に、その大きな原型の大半 が馬事公苑に保管されているのを幸、馬事公苑のギャラリ一に長年にわたって日展や日彫展等に出品した大小の馬像十数点とレリーフ数点 を持ち込んで個展を開くことが出来た。
 お陰様で、その個展には常陸宮華子妃殿下を始め、競馬界や馬術界の関係者は勿論、小学校時代の同級生や私の関係している会社関係者、 彫刻家、日本ペンクラブの友人等、実に大勢の方々に来て頂き、居ながらにしてそれらの人達と旧交を温めることが出来た。

ところが総面積5万6千坪の馬事公苑は、都内で唯一武蔵野の面影を残し、見事な日本庭園や美しいお花畑等もあり、その上都内でははず目 にすることの出来ない馬が見られる公苑とあって、年間の来苑者数は約40万人、まして苑内一杯の桜の花が見頃となる4月中旬の人苑者は大変 なものだ。
 従って私の個展会場に足を運んで下さる一般の人も多く、殊に天気の良い土・日曜日等は子供達連れで家族団欒気分で来られる子供達の中 には個展会場を走り回り、馬像を叩き、酷いのになると自分の子供を等身大の馬像に跨らせて写真を撮ろうとする。
 うっかりそれを制止しようものなら、逆にすごい剣幕で睨みつけられる始末。
 最近モンスターペアレンツという言葉が流行(はや)っているが、 子供達の間違いを正しく戒めることの出来ない昨今の親達、又自分の子供に不必要な敬意を払う親達のいかに多いかに驚かされた。
 この様な親達を教育した責任は一体どこにあるのか。
 少なくとも私達の時代(戦前)では親や教師の権威は子供達にとって絶対的なものであった。
 然るに最近では子供は親に対し、誰も生んでくれと頼んだ覚えはないと言い、子供や親達は教師に対し、月謝を払うお客様は神様であり 学校教育はサービス業の一種だと思い込んでいるらしい。
 更に悪い事には、その考えを親も教師も認めている傾向があるから始末が悪い。
 「当下一念」のつもりで開催した私の個展も、このモンスターペアレンツと子供達の傍若無人ぶりにより、ほろ苦いものとなったがそれでも この4ヵ月間に馬事公苑の講堂を借りて全日本社会人馬術連盟やその他2〜3の文化サークルの人達に「馬がく札た私の人生」とか 「老後は一日にして成らず」等という題目で一瞬一瞬の大切さについて数回話をさせて頂き自分自身の気持ちの整理もつけることが出来た。

 1979 年(昭和54年)108歳で亡くなった彫刻家・平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)は 98歳の時、上野の谷中から玉川上水の流れる小平市に引越し、新しい彫刻を創ろうと、20年分の材料を買い込んだ。
 そして107歳の時、見事な彩色の良寛の木彫りを完成させた。
 その彼の口癖
 「今日もお仕事 おまんまうまいよ
 びんぼうごくらく ながいきするよ
 67歳は鼻たれ小僧
 男ざかりは百から百から
 わしも これから これから
 田中(でんちゅう)にいたらずに100歳
 いまやらねばいつできる
 わしがやらねば だれがやる

翁の語録、明治人の気骨に元気づけられる。
 「すべてとどまると くさる
 この おそろしさを知ろう。
 つねに前進 つねに一歩
 空也は左足を 一遍は右足を出している。
 あの姿を拝してゆこう
 人間いつか終わりがくる
 前進しながら 終わるのだ
              −坂村 真民−
 又、山本周五郎は「虚空遍歴」の中で、「死ぬことはこの世から消えてなくなることではなく、その人間が生きていた、という事実を証明するも のなのだ。死は人間の一生に締め括りをつけ、その生涯を完成させるものだ。消滅ではなく完成だ」と書いている。
 この世で一番幸せなことは精一杯生きて、心安らかに最後を迎えることだ。
 職場には引退があるが生き方に引退はない。
 生涯現役、臨終停年、独り楽しむ独楽(こま)の人生、万歳。

以 上