人は老人にはなりたくないと云う。
然し、一日でも長生きしたいとも思う。
人生は、そう都合よく出来てはいない。
それなら、せめて生きているうちだけは、サムエル・ウルマンの詩でないが常に自分の人生に理想と自信をもって、
明るく未来の夢に挑戦しつづけたいものだ。
その「前進・前進・常に前進」の前向きな春たなわの新鮮さこそ、青年の魂の本当の姿であり、その魂を持ち続ける限り
人は決して老いることはない。
それでは、その青年の魂を培うにはどうすればいいのだろう。まずは「健全な精神は健全なる身体に宿る」の喩の如く、
常に健康を保つよう心掛けることだ。
そこで、先月に引き続き老人の養生、飲食、生活環境の心得について書いた江戸中期の儒医・香月牛山の「老人必用養草」を
紹介するとしよう。
人間とて生まれた以上「老い」」とその先にある「死」は誰しも避けることは出来ない。
然し、そのことを常に意識して生きるのと、唯漫然と過ごすのとでは、人生はまったく違ったも
のになるはずである。
牛山はまず人間の寿命の長短は天が左右するのではなく自分の身持ち次第だという。
その身持ちの秘訣の第一は「人老いて保養の妙決あり、畏
の一字を守り、頼の一字を
去べし」という。
「畏」とは恐れ慎むことで「頼」は過信のことだ。
更に「畏とはよろずに心をつけて我意にまかせず、常に天道をおそれうやまい、人事をおそれてつつしみ守るべし、
畏るる時はよく忍ぶ、しのぶ時は私欲にかちて、おのずから保養の術を得るなり。頼とは己を頼むなり。
己が気も体も伴腎も共に強ければ、それをたのむによりて、かへって其害をなす」。
いくら元気だからといっても、暴飲暴食をしたり、美食にすぎると必ず身を損う、生命は食にありというのだ。
又、老人が食べてはいけないものと夜食について次の様に述べている。
「老人の食は、常に味の厚き物、油臓
の物、おほく喰うべからず。生冷堅硬の物を禁じて食しむることなかれ。朝夕の食も一度は
粥によろしがるべし夜食は必粥たるべし」と。
又、衣服について「人の子の老いたる親をやしなうや、夏は清
しく冬は温にするにあり。
是、飲食の養いにさしつづきたる事なるべし」。要するに飲食の養生とともに重要なことだというのだ。
更に、「老人は気血薄き故に、夏月といへども単衣の
帷子などは悪し、布の
袷しかるべきなり」。
次にこ住居については「老人の居所、厠の作
り所を撰ぶベし。わかき時は厠は居間より遠きをよしとすれども、年老いては遠き所は
便り悪きなり。縁つづきに作りて、かよふに労のなきように
すべし」。と何とも行き届いたことだ。
又、牛山は一人の医師として精神面についても人間には喜・怒・憂・思・悲・恐・驚という七つの情があるが、
この七情を適切に調整できれば元気が巡って健康になり、節度を誤れば身体を損う。
然し老人は気血の働きが弱いために七情の調整が出来ずに、ともすると高揚して悪影響を及ぼしやすいから、十分に
慎まなければいけないと耳の痛いことを言っている。
又、喜の過てあしきといふは、狂言綺語の
戯れをなして、みだりに笑ひののしりなどすることは、
その時は心を楽しむるに似たれども、かへりて乏
しき元気をへらす。と言い、“おしゃべり”については辛辣に、「ロ舌をつつしむ事、ひとり保
養の為のみにあらず。
つつしまざる時は、その徳をそこなふにいたる」。
傅玄の口
の銘に「病は口より入、禍は口より出」といへり。又「多言害身」とも言っている。
要するに養生とは「生きるを養う」ことで、かけがえのない自分の命け自分で育む以外にはないらしい。
そのためにも近代馬術の創始者、ジェイムス・フィリス(1834〜1913)の言葉「前進・前進・常に前進」の如く、
人生の最後まで摂生につとめ、気力をふりしぼって前向きに生きることだ。
そのためにも自分自身で自分の体力に応じた目標を持って、何らかの生き甲斐を拵えるといい。
人間というものは、生きているということに多少の意義がないと、生きて行けないような気がする。
以 上