女子は強し
(2011年9月号)

遂にサッカーの女子日本代表が、ワールドカップ(W杯)ドイツ大会で優勝した。
 過去24回の対戦で一度も勝てなかった米国に2度のリードを許しながら追いつく驚異的な粘りで 同点とし、最後はPK戦で世界一の座を勝ち取った。
 その精神力の強さには、ほとほと感服の外はない。

最近、何かと言うと「想定外」という言葉が流行(ハヤ) っている。
 想定外の出来事だったのだから勘弁してくれと第三者には言い訳をし、自分自身にも想定外だっ たのだから仕方が無かったのだと、諦めてしまう。
 「諦める」ということは非常に便利な言葉だと同時に卑怯で大変に怖ろしい言葉だ。
 先に点をとられたにも関わらず勇気を奮い立たせて米国ディフェンダーの隙を突いた宮間選手の 同点ゴール、やっと追いついたと思った途端に又1点とられてしまった。
 今迄に一回も勝った事のない相手、普通なら、嗚呼、やっぱり駄目か、身長・体重・技術力どれ をとっても相手が強すぎると思って諦めてしまうところだが、その土壇場での澤選手の同点ゴール、 更にPK戦1本目でのゴールキーパー海堀選手の右足でのセーブ、いやはや日本女子の強さには敬 服を通り越して脅威を感ずる。

戦後強くなったものは女性とナイロンの靴下といわれた昭和37年頃、三島由紀夫は「男が女 より強いのは腕力と知性だけで、腕力も知性もない男は女に勝るところは一つもない」と言い、吉 行淳之介もやはり昭和37年に「わたくし論」の中で「現在の天下の形勢は、男性中心、女性蔑視ど ころか、まさにその反対で女性が男女同権を唱えるどころか、せめて男女同権にしていただきたい と男性が哀訴嘆願し失地回復に汲々としている有り様だ]と言い、更に「まったく男というものは 女性に対して、とうてい歯のたたぬ部分がある。ものの考え方に、そしておそらく発想の根源とな っている生理の具合自体に女性に抵抗できぬ弱さがある」とも書いている。

かく言う私も[女房に腹は立つけど、歯が立たず]の心境で、文章も書いたり粘土で馬の像 を創ったりと何とか「濡れ落葉」にならぬように頑張っているが、その事を出光純子女史(佐三氏 の末娘)に話したら「濡れ落葉にはならなくても腐葉土(フヨード) =不要土にならない様にね」と忠告された。
 以来、せいぜい努力して粗大ゴミのレッテルを貼られぬよう用心している。
 然し、広辞苑によると[諦める]とは、仕方がないと断念することだとあるが、仏教用語の「諦 める」は、どうしてこのような結果になったのかその原因を「明らかにする」と言う意味が込めら れているらしい。
 更に「般若心経」では苦しみに満ちたこの世の苦しみを断って悟りへと導く方法として「四諦」 という四つの真理があるという。
 要するに女房には所詮歯が立たぬものと諦めることが悟りに通じるものだと解釈したら、四諦と は四つの真理、即ち苦諦(クタイ)集諦(ジッタイ)滅諦(メッタイ)道諦(ドウタイ)であり、 その四諦すらも「空」であり、「無」なのだと般若心経では説いているのだから、ややこしいこ とは考えずこれからの残りの人生唯々女房を始め世の女性総てに従って平和に暮らす事にした。

それにしても日本女子選手の強さは何も今回のサッカーに限った事ではない。
 思い起こせば1964年の東京オリンピックでの女子バレーボールでは5試合で落としたのは、僅か 1セットのみで勝ち進み、最終戦では宿敵ソ連(現在のロシア)をストレートで降して優勝したシ ーンは今でも鮮明に私の瞳に焼き付いており、更に1976年のモントリオールオリンピックでも金メ ダルを獲得し東洋の魔女の名を不動のものにした。
 又、記憶に新しいところでは2008年の北京オリンピックに於いてソフトボールでも上野投手が3 試合を気迫の寵った413球で見事金メダルを獲得しており、2009年創立の女子プロ野球リーグでは 2年に一度開催の女子野球W杯で2008年、2010年の2回の優勝を果たしている。
 三島由紀夫は男が女より弱いものは腕力と知性だといったが私の経験からして、大学の馬術部の 学生達を見る限り、腕力も最近の草食系の若者よりはるかに強く、知性もまた男女共学での上位は 常に女子が上位を占めているところから見ても誓っているのは明白で女子が男性より劣っていると は思えない。
 又最近の結婚傾向として四組に一組は年上の女性のカップルだといい、しかもその両者の年齢差 も1才〜2才ではなく、10才以上も「ざら」だという。
 要するに可愛い男の子は年上の女性の愛玩物であり、男性もそれを良しとしているのだ。

最後に、これは決してあってはならないことだが、万一日本が戦争でもするような事があっ たら、男性は銃後の守りを固め、女性に武器を持たせて戦場に送り出せば我が国の勝利間違いなし とかなり以前に書いた事がある。
 我が家では私か銃後の守りならぬ家庭の守りを固めて、

“老いては妻に従い”
“女房元気で留守がいい”
“何時頃お帰りですかと妻に聞き”
“あら、いたの!女房帰宅時の第一声”
 
 これで初めて私は気楽に文章を書き、粘土で馬の像を創り、女房の目を盗んで馬に乗りに行って 残りの人生を楽しむ事が出来るというものだ。目出たし目出たし。
 
以 上