いつの時代でもその時々の古老達は異口同
音に「近頃の若い者は」という。
御多分に洩れずこの私も電車内等での若者を見ていると、やはり「近頃の若者は」と言いたくなる。
或る統計によると、近頃の若者気質というか彼等の人生に対する考え方は、出世しよう等とは考えない、
何とか食べてゆければいいと思っている若者が約半数を占め、彼等は自分で働いてお金を儲けて
贅沢をしようとは、思わない、全て普通でいいと言う。
そして特に20代の男性は理屈が多く、命令されたり義務づけられることを極端に嫌い、仕事は早々に切りあげて
家でのんびりしたいと言い、出来る事なら農家の一人娘の婿養子になって「髪結いの亭主」よろしく一生のんびりと
暮らすことを望んでいるらしい。
この様な若者の姿を見るにつけ、私はどうしても或る古典落語を思い出してしまう。
いつも何もせずにゴロゴロしている若い与太郎(大体出来損ないの若者の名前は与太郎ということになっている)
に大家が「少しは真面目に働いてみろ」と言うと、与太郎は「働いたらどうなるというのだ」と聞き返す。
「一生懸命に働いてお金持ちになったら、私のように毎日楽にのんびりと暮らすことが出来る」と言うと、
「それなら俺は今何もしないで楽しく暮らしているのだから何も働く必要はない」と言い返すのだが、
最近の若者はまさしくその与太郎を地でいっており日本の将来が思いやられる。
人間として生まれたからには「青雲の志」とまではいかずとも一歩でもいいから唯生きているだけという生活から
超越して何かに挑戦しようと思わないのだろうか。
山本有三の「路傍の石」で次野先生が主人公の吾一に言った言葉ではないが「たった一人しかいない自分を、
たった一度しかない人生を、本当に輝かしさを出さなかったら、人間生まれてきた甲斐が無いじゃないか」と。
今から37年前に亡くなった父は常々私に馬に乗って馬術の日本一になるのもいいが「人生のプロになれ」
と言っていたことを思いだす。
ドイツでは、マイスターという称号があって馬術の場合は有名な馬術家の元で徒弟制度のように数年間
みっちりと乗馬はもとより馬術に関するいろいろな事を勉強してマイスターとなり乗馬のプ
ロとして馬術界で立派に働いている。
最近、何かというと想定外という言葉が流行っているが長い人生のうちには、どんなに用心していても想定外の
事件が起こるものだ。
然し、その想定外の事件をいかに上手に処理して更にその上を目指すのがプロの腕の見せ所では
ないのだろうか。想定外という言葉を唯言い訳の材料に使っている福島原発の各関係機関や政治家
達のプロとしての誇りは一体どこに行ってしまったのか。
人間学を学ぶ雑誌と銘打って致知出版社が月刊誌「致知」を出版してから32年が経つが、その出版社が最近
「プロの条件」という本を出したので早速購入してみた。
その内容は、私達が日頃忘れていたプロとしての心構えをいろいろと思い出させてくれるように
思ったので、その2〜3をご紹介しよう。
1. |
プロは職業のジャンルを問わない。仕事をすることによって報酬を得ている人は、そのことによって、
すでにプロである。またプロでなければならないはずである。
|
2.
| プロは自分で高い目標を立て、その目標に責任を持って挑戦していこうとする意欲を持っている。
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3.
| プロは約束を守らねばならない。約束を守るというのは、成果を出すということである。
自分に与えられた報酬にふさわしい成果をきっちりと出さなければならない。
|
4.
| プロは絶対に成功するという責任を自分に課してその為に徹底した準備をして勝負の場に臨むから
プロは成功するのだ。
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5.
| プロは寝ても醒めても考えている人でなければならない。
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6.
| プロは進んで代償を支払おうという気持ちを持たねばならない。
プロであるためには高い能力が不可欠である。その高い能力を獲得するためには、時間とお金と努力を惜しまない。
犠牲をいとわない。代償を悔いない。それがプロである。犠牲をヶチり代償を渋り、自己投資を怠る人は
絶対にプロにはなれないことは自明の理である。
|
そして最後に一流といわれるプロに共通した条件として神は努力する者に必ず報いる、と心から信じている
ということである。
以上が「プロの条件」ということになるのだが、今改めて自分でこのような文章を書きながら私はこれらの条件を
満たしていなかったし、又満たすべく努力もしなかったことに気がついた時既に
遅しの
感は否めない。
然し、89歳で此の世を去った江戸末期の浮世絵師、葛飾北斎の次の言葉を思い出しつつこれからの
与生を頑張ろうと思う。
「己六才より物の形状を
写の癖ありて、半百の頃より
数々画図を
顕すといえども、七十年前画く
所は実に取るに足るものなし。七十三才にして
稍
禽獣虫魚
の骨格草木の出生を悟し得たり。故に八十才にして益々進み、九十才にして
猶其奥意を極め、一百才にして正に神妙ならんか。百有十才に
して一点一格にして生るがごとくならん」と。
晩年、その名を画狂老人卍
と改めた達人の人生はそのまま、熱意、誠意、創意の人生であった。
私もこれから彼の生きかたを見習うとしよう。
作者略歴
(2001年度73才にして馬場馬術世界ランキング82位)
以 上