相撲取りは髷を切れ(U)
(2011年7月号)

2005年12月号に私は相撲は最早、日本の国技に非ずと「相撲取りは髭を切れ」と書いたことがある。
 この10年程の相撲界の惨状は目に余るものがあり、八百長問題を受けて春場所は中止となったも のの、7月の名古屋場所から又再開されるという。
 八百長に関与した25人もの力士と親方が追放された此の角界、果たして今後角界から八百長が完 全に姿を消すことが出来るだろうか。
 報道によると、八百長の再発防止策として力士達の携帯電話を一時預かり、八百長を取り締まる 監察委員を支度部屋に配置したから、もう八百長は行われないと日本相撲協会は胸を張る。
 然し、八百長のあった背景には幕下と十両の間にある極端な待遇の格差や、引退後の生活の不安、 年6場所制による過重な負担、封建的な部屋制度や高額で売買される年寄株の問題等々、相撲協会 の本質的な構造改革を抜きにした今回の安易な規制強化や監視強化だけでは絶対に八百長問題は解 決しない。

元来、相撲は、座る民族特有の足腰の強健な日本人が発達させた伝統的な力技であり、鎌倉 時代には相撲は武士の練武の基本となっていたからこそ、行司は素襖烏帽子に小刀を手挟み、戦国 時代の武将が用いた軍配をもって力士を裁き、力士も又髭に禅をしめ、下りまでして力技を競うのだ。
 又、神聖なものとされている土俵には神明造りの屋根を頂き、青竜・朱雀・白虎・玄武を表す四 色の房で四季を象徴し、瑞雲を示す水(瑞)引幕まで張り巡らしている。
 従って相撲は神聖なものであるばかりか、心技体に重きを置く一種の武道でなければならない。
 その心技体の中で最も重要なものは「心」である。

然るに、薬物に溺れ、身勝手な怒りに負けて暴行を働き、野球賭博の誘惑に負け、八百長という卑怯な 手を使ってお互いの保身を図り、その事実が携帯電話によって明らかになりそうになると、「トイレに落とした」 「妻が踏んで壊した」と幼稚きわまりない言い訳で逃れようとする、正に言語道断。
 これは総て「心」の弱さからくるものであり、協会は相撲界の根本的な構造改革に加え、相撲に 携わる総ての関係者の「心」を鍛えなおさぬ限り八百長は無くなる事はない。
 過去の過ちを過ちと気付かぬ相撲関係者達は、論語ではないが、「過ちて改めざる、これ過ちと いう」で又八百長以外の過ちをも繰り返すのは目に見えている。
 又、以前から非常に苦々しく思っていたことに勝てはいいといわんばかりの卑怯な立ち合いの醜 さ汚さ、制限時間いっぱいまでタラタラと無意味な仕切りを繰り返した挙句「待った」や「お返し待 った」、そのうえ砂に指先が触れたか触れないか高速カメラでも判断しにくいような立ち合い、何 故、正々堂々と両手の拳をきっちりと土俵につけて双方同時に立ちあがるよう厳しく指導しないのか。 数ある格闘技の中で最も卑怯で醜い立ち合い、それが武士道の国、日本の国技であっては断じてならない。

その上、日本人関取り達の意気地なさは目を覆うばかり、近い将来三役揃い踏みで土俵上の 日本人は行司のみとなること必定。
 その様な見っともない事態になる前に力士は髷を切りレスリング選手のようにパンツをはいて 「SUMOU」をとればいい。
 そして従来の姿で相撲をとるのは室町時代から日本に伝わる勧進相撲として寺社の造営の資金集 めとか道路や橋等の建設費用を集め、又は、寂れた町や村の景気回復や窮民の救済目的のための資 金集めをすればいい。
 従って今回の東日本大震災の被災地復興資金を集める為の勧進相撲は絶好のチャンスだったのに 惜しいことをした。
 今後も従来の姿で相撲をとりたければ、四股を踏み、五穀豊穣を祈る神事として宗教法人となり 勧進相撲に徹することだ。

最後にこの記事が掲載される頃には名古屋場所が開催されると思うが、決して白鵬と69連勝 した、かつての名横綱・双葉山とを比較しないでもらいたい。
 何故ならば、双葉山の69連勝は昭和11年1月場所の7日目から昭和14年1月場所の3日目まで勝 ち続けて獲得した大偉業なのだ。
 当時は1月と5月の年2場所、1場所は11日又は13日制で、その間に5場所連続優勝したのだ。 白鵬の約11ヵ月とはまったく比較にならない。
 そして連勝が69で止まった時、彼は知人に「イマダ モッヶイ タリェズ」と電報を打っている。
 モッヶイとは木彫りの鶏のことで「真に強い者は、木彫りの像の如く静かなたたずまいをしてい る」という古典に由来したもので、彼は仕切り制限10分間の時代に相手が1回で立ったら堂々と受 けて勝っていたという。
 現在の白鵬にそれを望むことは出来ない。
 然るにある大学の偉い先生は以前、白鵬は日本人以上に日本人だと (ノタマ) うから始末が悪い、日本人の格も下がったものだ。

彼は昭和43年、56才で理事長在職中に劇症肝炎のため亡くなったが、彼が生きていたら、今 の相撲界をどう思うだろう、怨霊となって放駒理事長あたりの体に乗り移って今の相撲界を立て直 してもらいたいと切望してやまない。

以 上






 69連勝の記録を持つ双葉山

(1939年撮影)