孤 独 死
(2011年6月号)

2月下旬の或る寒い日の午紙私は、まつったく知らない男の人から電話をもらった。
 横浜にいる私の唯一人の従姉妹の親戚だと名乗るその人は、2月の初めにその従姉妹が死んだと いう連絡を警察からもらい、今その警察にいるので、直ぐに来てもらいたいと言う。
 私の父は9人兄弟、母は5人姉妹なので私には計12人の伯父・伯母がいて一般的に考えると、その12人 がそれぞれ結婚して一人ずつ子供を産んだとしても私には最低12人の従兄弟がいる勘定になる。
 しかし、現実には母の4人の姉妹は皆若くして結婚前に亡くなり、父の8人の兄弟達も、それぞれ結婚は したものの5人いた従兄弟の4人は幼くして亡くなり、結局私の従姉妹は数十年前から今度死亡したという 私より4歳年上の従姉妹一人しかいなかった。
 しかし、その唯一人の従姉妹は何故か人間嫌いで一度も結婚もせず、彼女の両親の死後は横浜の大きな 家を売却して、やはり横浜のマンションに一人で住み、完全に、世間との交渉を断ち、私との交際も拒絶し 続けていた。

取る物も取り敢えず横浜の警察署に駈けつけた私は、署員から従姉妹が2月2日頃自宅のマンションで 孤独死しており、死因は餓死だと聞かされた。
 私が言うのもおかしいが、教養もあり、億単位の遺産を相続し、その上非常な美人で、身長は1m70pと 日本人離れしたスタイルの彼女が、何故生涯独身を通し、その上人間嫌いになったのか、その理由は まったく謎である。
 兎に角、一人で横浜の中華街に近いマンションに引越してからは、まったく、世間との交際を断ち、 一人で中華街で3食をとりデパートで買物を楽しみ、山下公園等を散策して気儘に暮らしていたらしい。
 私が駆けつけた時には既に警察の検死も済み葬儀社の霊安室に美しく化粧されて棺に納まっていた。

彼女の父親(伯父)が死ぬ間際に「君は○○子の唯一人の従兄弟で男なのだから○○子のことを宜しく頼む」 と手を合わされた事を思い出しつつ、取り敢えず葬儀杜で御供養をさせて頂き彼女のマンションに行った。
 驚いたことに、彼女の4LDKのマンションは、それぞれの部屋はもとより、最新式の設備を備えた台所・ トイレ・浴室も掃除が美事に行き届いていて、3枚掛けてある油絵の額の裏まで挨一つた まっていなかった。
 最初に発見した警察官も、遺体を運び出した葬儀社の社員も、最近孤独死が非常に多く実際に何例も見て 来たが、孤独で餓死した人の部屋は足の踏み場もなく、色々なものが散乱しているものだが、この様に 綺麗に片付いている家はどの様な綺麗好きな人の家でも、まずここまではなるまいと驚嘆していた。
 彼女の死後の整理をしていて分かった事だが、約30年間のうちに彼女はその遺産をほぼ使い切っており、 彼女の餓死はあきらかに覚悟の自死であると思えた。

兼好法師は徒然草の中で、「つれづれわぶる人はいかなる心ならんまぎるるかたなくただひとりあるのみ こそよけれ」と言い、「退屈をつらく思う人はどういう気持なのだろう、孤独こそこの上ない境地である のに」と言い、一人で生まれ、一人で死んでゆく人間は結局孤独な生き物であり又孤独を愛することの 出来る生き物なのかも知れない。
 然し、私の様な俗物は何が苦しいといって無聊程苦しいものはなく、退屈は人間を生きたまま、 腐らせてしまうものだとさえ思っている。
 それに反し、友人も無く完全に社会との繋がりを断って、ある意味では兼好法師のように孤独を 楽しんでいた彼女は、必然的に優れた心理学者となって、恐らく常にいろいろな事を深く深く考え て毎日を送っていたに違いない。
 そして自分の此の世での仕事は総て終わったと確信し、自死することが唯一の自由を得る手段で あり一種の「自已証明」であると考えたのだろう。
 総ての身辺を整理し終えて、健康なうちに食べる事をやめ、私に相談すれば迷惑がかかると思い、 誰にも迷惑をかけず一人静かに死期を待ち続けていた彼女の心境を思うと一人っ子の私は実の姉を 亡くしたような気がして、いじらしさが込み上げてくるが、もし私も彼女と同じ立場になったとし たら私もきっと彼女のように身辺を整理して静かに餓死する事が出来るような気がする。

彼女の遺体を荼毘に付し火葬場の近くの彼女の両親のお墓のあるお寺の住職に埋葬の日取りを相談しようと 連絡をとったところ、驚いたことに、その住職は彼女の小学校の同級生で副級長だった彼女とよく遊んだ という。
 そして「とうとう○○チャンもこんなになってしまったか」と私の持っていた遺骨を抱きかかえ て、埋葬するまで私の寺において私が毎日御供養してあげると言ってくれた。
 そしてお彼岸明けの次の日曜日が、ちょうど四十九日にあたるので本堂でお経をあげて厚く供養 して頂き、その上立派なお戒名も頂く事が出来、今彼女は懐かしい両親と共に横浜の見晴らしのいい 高台にある美しい墓地に眠っている。行年八十四。

たった一人の従兄弟にさえ厄介になることを許さなかった彼女のプライドの高さと、そして 自分から餓死を選んだ勇気と潔さに心から感服すると同時に、この様な従姉妹をもったことを誇り にさえ思いつつ、改めて彼女の冥福を祈りたいと思う。

合掌