幼児教育こそが国の命運を決めるといわれて久しいが、児童虐待、校内暴力、いじめ、不登校等々、
子育てや教育を取り巻く問題、とりわけ子供達の問題行動は年を追う毎に深刻さを増している。
その根本の原因は乳幼児期の親子の関わりあいにあると思うのだが、ユニセフの2001年世界子供
白書では、「三つ子の魂百まで」の諺を裏付けるように「乳幼児の脳の発育は3才までにほぼ完了
する」と3才までの教育がその後の子供や青年期の生活に大きく影響する、とその重要性を強調し
ている。
この問題について最近読んだ月刊誌に非常に興味深い記事が掲載されていたので、その記事の一
部を紹介しよう。
三つ子の魂の脳には「眼窩前頭皮質」という我々素人にはまったく理解できないものの発達が密接に
関係していて、それが2才半位までが最も発達し、3才で臨界期に達しその後の脳の可塑性に
期待したとしても発達の範囲は限られているという。
要するに「三つ子の魂百まで」を理論的に説明できるというのだ。
日本では40年ほど前、政府が乳幼児期の親子の関係の重要性を政策に採り入れようとしたところ、
「女性の社会進出を妨げる」として、その後30年間もの間、無駄な政治的論争を繰り返したという。
そして平成10年、当時の厚生省は「3才までは家庭で母親の手で育てないと子供のその後の成長
に悪影響を及ぼす」という事は医学的にみてまったく根拠がないと発表した。
更に厚生労働省が保健所を通して妊娠中の女性に配布する母子健康手帳と同時に配布される副読
本に昭和40年以降「添い寝はするな」「おんぶ、抱っこはほどほどに」と将来母親になるべき女性に
対し、日本古来の優しい育児を半ば放棄させてしまった。
研究不足の役人達は西洋式育児方法には、日本人には決して真似の出来ない育児方法のあること
を見逃して西洋式育児方法を採用したのだ。
その結果、昭和40年以降生まれた子供達が中学3年生になった昭和55年頃から校内暴力、いじめ
問題が世間を騒がせる事となった。
西洋式育児方法には日本の伝統的な「おんぶ、抱っこ、添い寝、おっぱい」にない優れた育
児法、即ち「キス」と「アイ・ラブ・ユー」の嵐があり、それが出来ない日本の両親は育児に対して
まったく傍観者的立場をとるようになってしまったのだ。
やはり日本に於いては乳幼児期に親子の信頼関係を築く一番の基本は添い寝であり、おっぱい、
おんぶ、抱っこ、だったのだ。
子供達が目立ちたがり、荒っぽい行動に出るのは乳幼児期の十分な依存体験の欠如の結果であり、
子供はお母さんの愛情に満たされてこそ穏やかな心になり、周囲にも関心を向け、集団生活にも馴
染むことが出来るのだという。
添い寝も抱っこも、おんぶもしてもらえなかった子供達は心の安定を失い、自分は認められてい
ないという記憶がどこかにインプットされているから、認めてもらいたい、認めてもらいたいと暴
力や引きこもりという行動に出るし、耐性も社会性も育たないという。
即ち、乳幼児期には何といつても「たつぷり」とした愛情が必要なのだが、それは我が儘を放任する
こととはまったく別の問題で、愛情はたっぷりと注いで親子の関係を揺るぎないものとした上で、
躾は躾としてきちんとやっていく、それが本当の愛情であり、それは学校でも幼稚園や保育園で
行うものではなく家庭の役目なのだ。
また、児童虐待が深刻化している今日、仕事や子育てに疲れてストレスを溜めている親を行政
が支援するという動きがあると聞くが、そんなことで児童虐待は決して解決しない。
育児に対して傍観者的立場に立つていた父母に育てられ、正しい“三つ子の魂”を身に付け
ることの出来なかった今の親達は、「むしゃくしゃした」「気に入らない」「うるさい」とか、そうい
うことに耐えられなくて暴力行為を起こすので、つまり感情移入が出来ない為に、「こんな事をし
たら我が子がどれほど苦しむか」ということが分からないのだと思う。
つまり、乳幼児期にやれば簡単に処理できた問題を引きずったばっかりにこの様な親になってし
まった、手つかずのまま素通りした子供達が大学を出て社会に出て、そして今、親になっていると
いうわけだ。
その予備軍は今も続々と生産されつつある現在、児童虐待は今後ますます増え続けること間違いな
い。
「人は人によって人になる」
真の意味で人を教育できる人材を育てていくことが国家の義務であり、国家の礎を築く基になる
のだ。
とまあ、この様に偉そうに結論づけた当の私は、実は生みの母親に生後250日で死に別れ、
5才の時に育ての母親がきてくれたが、父はサラリーマンで家には居らず、その間遠縁の老人夫婦
が私の世話をしてくれて、私の三つ子の魂は誰がくれたのか、すぐに切れたりするところはやはり
そのせいだとこの文章を書きながら一人で納得してしまった。
以 上
(月刊「致知」10月号掲載の“乳幼児教育こそ国の命運を決める”参照)