当 下 一 念
(2011年2月号)

中国の古典「大学」に「物に本末(ホンマツ) 有、事に終始有り。先後する所を知れば、 (スナワ)ち道に近し」と言うのがある。
 物には必ず本と末があり、事には必ず終始がある。何を先にして何を後にするかをわきまえたう えで実行に移せば人の道を踏み外すことはないというのだ。
 「あすありと思う心の徒桜(アダザクラ)夜半(ヨワ)に嵐の吹かぬ ものかわ」と親鸞聖人も詠んでいる。
 何を先にして何を後にすればいいのか一寸先はまったくわからない、だから人間は一瞬一瞬が終 わりという自覚を持って真剣に生きることが大切なのだ。一瞬一瞬を良い形で終えることが出来た ら次の一瞬が良い始まりになるという。それが「当下一念」ということだと日本陽明学の始祖、 中江藤樹はいう。

今から二十数年前、危険な心臓の手術が無事終わり、又新しい人生が始められると思った時、 「心臓に爆弾を抱えて生きている私には、いつかゴールに到達するだろうというような悠長な歩き 方は最早許されない。私の歩むこれからの一歩一歩が常に人生の目的でありゴールであると心に念 じつつ、これからの人生を常に目を輝かせながら精一杯生きよう」と真剣に心に誓ったものだ。
 そしてその一手段として馬の彫刻を始め、その時々の思いをエッセイに書いてきた。
 然し、手術後、又馬に乗る事が出来て、国際大会等にも出場し、世界ランキング82位にもなって みると、自分がこの世からいなくなる等ということは全く忘れて、無責任にも「死」をテーマとし たエッセイも書くようになりたが、私はそのエッセイの中で常に「死」を辿いかけながら死を美化 した文章を書き続けてきた。

ところが去年の暮から、どうも体調が優れず、何回か持病の喘息が起こり、激しく咳をする と眩暈(メマイ)がして貧血を起こし 一度などは食堂の皿や椅子をひっくり返して床の上に伸びて意識を全く無くし救急車で病院に 担ぎ込まれたことがあった。
 早速その翌日主治医のとこで看てもらったら、24時間の心電図を撮られて緊急路用の薬を何種類 も出してくれた。
 そして大晦日の夜、大掃除も終わり、一杯飲んで風呂に入ったところ、激しい喘息の発作が起こり、 瞬間的に私もこれでとうとうお陀仏かと観念したが、幸にも医者から貰った薬のお陰で 死なずにすんだ。
 従って、正月だというのに日本酒はおろか、お屠蘇も飲む気になれず、応接間の安楽椅子に腰掛 けて長閑(ノドカ) な元旦の日の光を全身に浴ぴていたら、何となく死に追いかけられているような気がして、 死が俄かに現実味を帯びてきた。
 そこで冒頭に書いた「当下一念」という言葉が頭に浮び一瞬一瞬を大切にしようと 思ったわけだ。

今迄の80年の人生を改めて振り返ると、睡眠で27年、食事で10年、トイレと風呂で5年分の 時間を費やしたことになり、その時間を差し引くと、僅か38年間しか起きて活動していなかりた 計算になる。
 これから先、仮に10年生きたとしても、その計算でいくと私の人生は僅か4年半(16,425H)し か残っていない。

さて、その4年半で一体私には何が出来るというのか、悔いのない一生を終えるにはどうす ればいいのか、一応真剣に考えてみた。
 そして私の出した結論は、自分で「納得のいく馬の彫刻を創ること」だった。
 何故ならば、先の計算で私が起きて活動していた38年間のうち、馬の手入をし、馬に乗り、馬と 生活を共にした時間はどう控え目にみても5〜6年間になるはずだ。
 それだけの時間を真剣に馬に費やした馬の彫刻家は恐らく世界広しといえども私一人だと思う。
 それならば、私にしか創ることの出来ない馬の彫刻を創るべきであり、それが80年間の長きにわ たって私を楽しませてくれた愛すべき馬達に対する、せめてもの恩返しだと思うからだ。

今から約40前、私は縁あつて一昨年101歳で此の世を去られた臨済宗の松原泰道老師から、 「般若心経入門」と師の編纂になる「私はこんな死を迎えたい」という2冊の本を頂き、その時 「般若心経入門」には「夢」という字を、そして「私はこんな死を迎えたい」という本には「無生 死」と書いて頂いた。
 その本の中で老師は松尾芭蕉翁のことにふれ、芭蕉は自分の日ごろ詠みすてた一句で辞世でない 句は一句もない、「昨日の発句は、今日の辞世。今日の一句は明日の辞世」だと言ったという。
 それでも芭蕉の最後に詠んだ句は
 「旅に病んで 夢は枯野をかけめぐる」というもので、まだまだ生きて句をつくり続けたいとい う思いが切々と伝わってくる。

いずれ人生は途中で終わるものだ。
 人間は生まれる時も自分の自由意志ではない、死ぬ時も又自分の希望するようにはいかないのが 当然だ。
 又、いわゆる美事な死に方だけが誉められるべきものでもないように思う。
 「般若心経」には「不生不滅」(生かせず滅せず、生じもしないし滅びもしない)とある。
 生と死を対立的に、あるいは相対的に考えて、生をよし、死を悪とするという境地に (トド)まっている限り、いつまでたっても 生死の問題を超えることは出来ない。
 生と死とは一つの過程の裏表であり、「生死一如」であって、これが松原泰道老師の「無生死」 ということなのだろう。

私も見今迄創つてきた百体以上の馬の像はどれも精魂こめて創ったものでその当時として は手抜きは一切していないという自信がある。その意味で私のこれまでの馬の像は芭蕉の言う遺作 と言えるかも知れない。
 従って、芭蕉のように、私のこれからの人生も又夢は枯野をかけめぐりながら、どのくらい馬の 像を創ることが出来るか、とにかく一瞬一瞬を大切にしようと思う。
 然し、案外暢気者の私の事だから、気がついたら死んでいたという事になりそうな気もする。
 先月号で私は今年の年賀状に

“浜までは
海女(アマ)(ミノ)着る
時雨かな”
 まだ少々蓑を着て人生を楽しみたいと思っておりますと書いた。果たしていつまで蓑を着ていら れるか、残念ながら、そればかりは誰にもわからない。
以 上