サマランチ五輪
(2010年6月号)

 19 80年から21年間にわたり国際オリンピツク委員会(IOC)を率いたサマランチ氏が本年4月21日死去した。 (享年89才)スポーツに功罪をもたらしたと指摘した。
 又、フランスのAFP通信は「五輪運動の巨人」としてその足跡を詳報し、毎日新聞でも「サマラ ンチ革命、経済優先、功罪相半ば」と報じている。

サマランチ氏が、会長に就任した当時、五輪はまさに存続の危機にひんしていた。
 即ち、72年のミュンヘン五輪はパレスチナゲリラの襲撃によって血塗られ、76年のモントリオール五輪では 開催市の自治体が今世紀まで影響の残る約10億ドルもの負債を負い、80年モスクワ五輪は米国や日本などの 西側諸国がボイコットした。
 更に次の84年は米国ロスアンゼルス以外に開催立候補市が現われず、まさに五輪は「風前の灯」 状態にあった。
 然し、40歳の若さで組織委員会を率いることとなったピーター・ユベロス氏は「民営五輪」を旗印に テレビの放映権を飛躍的に吊り上げる一方、一業種一社のスポンサー制度を導入し、聖火ランナーから 参加料を徴収する等、徹底した企業論理を持ち込み、最終的に2億ドルを超す黒字を生み 出すことに成功した。
 サマランチ氏はこの「ユベロ商法」を全面的にIOCに導入し、TOPというスポンサーシステムを確立し、 テレビ放映権料も大会ごとに各国を競わせ、独占的な権利と引き換えにスポンサー企業から協賛金を引き出す とともに、プロの参加によって大会を華やかなものにし五輪は儲かるイベントということを全世界にアピ一ル した為、五輪はその時点から単なる「金儲けのためのスポーツ大会」へと堕落していった。

この様にサマランチ氏は五輪運動に前例のない繁栄をもたらした反面、巨額の報酬に道が開けた選手達の中から ドーピング違反者が出はじめ、スポーツマンの心の中にフェアプレーとスポーツマンシップの精神が薄れ、 ドーピング問題は益々エスカレートし、果ては遺伝子ドーピングや用具ドーピング問題まで浮上する始末。
 挙句の果てに最新の検査技術に巨費を投じての「いたちごっこ」は全く終わりが見えず。
 又、98年ソルトレークシティ冬季五輪招致の不正疑惑に数々のスキャンダルが発覚し、利益供与に群がる IOC委員達の歪んだ金権体質が浮き彫りになり、五輪の権威は大きく傷つけられ、貧しくとも高潔だった五輪は 根底から変質していった。
 かつての主役選手達は新たに主役となった五輪スポンサーの「お抱え役者」となり、IOCは五輪 の原点から益々遠ざかることとなった。

そもそも五輪の起源は紀元前8世紀、絶え間のない都市国家間の紛争を中止させようとデルフィの神殿に詣でた エリスのイフィトス王は、神のお告げにより、スポーツによって都市国家間の偏狭な枠を超越した人類の平和の 祭典を開催しようとの考えによって設立されたものだ。
 事実、古代ギリシヤ最大の競技会である五輪に集った人達の中には各都市国家の指導者も参加しており、 そこで高度な政治論が戦わされ、その結果平和同盟の条約が交わされた例もあり、五輪が紛争の解決の鍵と なった事は確かである。
 現代五輪はそうした古代五輪の精神を継承し、1896年ギリシヤのアテネに於いて美事な復活をとげた。
 又、古代五輪の優勝者にはギリシャヤの理想を体現するものとして神域に生えるオリーブの小枝で作った冠が 与えられ、神域に胸像を建てることを許されたのみで他に褒賞はなかった。
 然し、回を重ねる毎に、優勝者には郷土の英雄として大きな特典が与えられ、これが買収、八百長などの腐敗 を招き、前4,5世紀頃より祭典は次第に見世物化していき、ついに393年を最後にテオドシウスー世の 勅令によって五輪は廃止されることとなった。

近年とみに五輪入賞者のプロとしての独立が進み、それらの選手達のスポンサー収入は大きく、国の代表として の意識も薄れ、五輪は将来、国の代表から個人の見本市となるに違いない。
 近代五輪の創設者・クーベルタン男爵の「もしも再びこの世に生まれたら、私は自分の作ってきたものを 全部壊してしまうだろう」といった言葉に「歴史は繰り返す」の感を深めざるを得ない。
 サマランチ革命は「功罪相半ばする」と言われるが、彼が後に残した弊害は世界の平和どころか、 神聖なはずのスポーツまでも堕落させた罪は大きい。

五輪発祥の地ギリシヤの経済危機にクーべルタン男爵の意志を継いで近代五輪は廃止し、まったく新しい 観点から五輪期間の約2週間、世界各国で平和の為のいろいろなイベントを行い、少なくともその2週問だけは 世界各国間の紛争を皆無にするという運動を、五輪関係者を先頭に国際連合や赤十字国際委員会・ユニセフ・ ユネスコ等々、世界の平和に貢献するであろう既存の国際機関を総動員して新企画を展開し五輪を再び 「平和の祭典」として蘇らせてもらいたいものだと切に願う。

以 上