五輪はスポーツの祭典に非ず
(五 輪 憲 章 の 改 正 を)
(2009年11月号)

 2016 夏の五輪の開催地に立侯補した東京は美事に落選した。
 その結果に対して石原知事は「JOCが、もっと強くならなければ駄目だ。推進力のある若手をJOCの中枢に送りこまなければ」 とJOCを痛烈に批判した。
 落選の原因をJOCになすりつけるとは卑怯千万。
 そもそも五輪招致は知事が3期目を目指した選挙戦の目玉として、トップダウンしてスタートしたものだ。招致の失敗はそれを 主導する知事のリーダーシップの無さが最大の原因である。
 今回の「地球環境問題に一石を投ずる五輸にしたい」というだけではインパクトが無さすぎる。
 それにしても2016年五輪都市を選ぶ国際オリンピック委員会(IOC)総会の席上、サラマンチ前会長の「私は今89才。残された時間が 少ないことは分かっている。もう一度、五輪を開催し、祖国をひとつにする機会を与えてほしい」。とのお涙頂戴の演説が、 世界で最も影響力のある(オバマ氏等)人達よりIOC委員の心をとらえたとは情けない話しだ。
 まして世界平和の為の祭典のはずの五輪を利用して「祖国スペインをひとつにする機会を与えてくれ」というIOC前会長の虫のいい 希望に応えるとは何をか況やである。
 IOC委員達の常識を疑いたくなる。

然し、その失敗にも懲りず、日本では2020年五輪に広島と長崎の両市が名乗りをあげたいという。
 今回の招致活動の為の経費は、表面に出ているだけで150億円、そのうちの100億円は税金だ、次回にもし名乗りをあげたいなら、 もっと五輪そのものを真剣に調査研究の上、自己責任でやればいい、そうでないと又々大変な無駄使いとなってしまう。
 そもそも五輪の起源は、紀元前8世紀、絶え間のない都市国家問の紛争を何とか中止させたいと藁をも掴む思いで、デルフィの 神殿に詣でたエリスのイフィトス王は、都市国家共通のイベントを考えるようにとの神のお告げにより、スポーツによって都市国家の 偏狭な枠を超越した人類の祭典を開催しようと思いついた。

現代の五輪は、そうした古代オリンピツクの精神を継承して、1896年ギリシヤのアテネに於いて見事に復活したのだ。
 従って現代の五輪憲章には、「五輪精神に基づいて行われるスポーツを通して青少年を教育することによって平和でより良い世界 づくりに貢献すること」と明記されている。
 即ち、「スポーツ文化を通して世界の人々の健康と道徳の資質を向上させ相互の交流を通じて互いに理解の度を深め、友情の輪を 広げることによって住み良い社会づくり、ひいては世界平和の維持と確立に寄与すること」をその主目的とし、決レてスポーツで その優劣を競うことが目的ではないはずだ。
 要するにイフィトス王は紀元前8世紀の大昔に都市国家の紛争をな<す為の一手段としてスポーツを選んだにすぎない
 事実、古代ギリシヤ最大の競技会である五輪に集った人達の中には各地の都市国家の指導者もおり、そこで高度な政治論が戦わされ、 その結果、平和同盟の条約が交わされた例もあり、又、スパルタがペロポネソス戦争の時、神聖な五輪の開催中に戦を中止しなかった 為、罰金を課せられたという記録も残っている。
 この様に、古代ギリシヤの時代ではスポーツが確かに紛争解決の鍵になったことは確かである。

然し、今の五輪スポーツは平和をそつちのけにして、国と国との戦い、個人の記録への挑戦や国威発揚の宣伝の為の場となり、 各国こぞってメダル獲得競争に血眼となり、今回の日本の如く都知事選の目玉として経済効果をあげる為の招致に至っては、 サラマンチ前五輪会長同様、五輪を何と考えているのか言語道断と言わねばならない。
 重ねて言う、五輪はあくまで平和の為の祭典であって、断じてスポーツの祭典であってはならない
 平和維持の為の一手段として大昔の王様がスポーツを選んだにすぎないのだ。
 スポーツ以外にも規則をきちんと制定し、綿密に企画をたてれば、芸術も産地限定気味の宗教も、さては国境無き医師団や核廃絶を 訴える世界の医師団さえも共に協力して意見を出し合い立派に世界平和維持の為の一翼を担うことが出来るはずだ。
 現在のIOCもJOCも、五輪イコール・スポーツという既定観念を捨てて、いろいろなイベントを真剣に模索する必要がある。

その点、今回の広島・長崎の五輪への招致はオバマ米大統領のプラハ演説に端を発したノーベル平和賞受賞に加え、世界唯一の 核被爆都市として核廃絶運動も平和維持の為の一手段として、まったく新しい平和維持の為の五輪を企画するこ とが出来るように思う。
 旧態依然たる今日の五輪というより、スポーツのみの五輪では絶対に世界に平和は訪れない、どの様な企画を立てれぱ世界の平和 に賞献出来るのか、全世界の五輪関係者はこぞって知恵を絞って頂きたい。
 そうして誕生した世界平和の為の五輪に参加する平和の戦土達には最早、金・銀・鋼のメダルは不要である。
 かわりに新しい五輪に参加した総ての戦士達の胸には、世界の平和の為に貢献したという誇りと名誉の印として立派な参加章が 輝くことになり、そこに初めて五輪の原点たる「参加することに意義がある」の言葉が重要な意味を持つことになる。
 その時、IOCやJOCは世界の平和維持の為の最も重要な機関として国際連合と同等の重要な役割を果たすことになろう。

金・銀・銅のメダルは真に世界一を決定する各スポーツ団体が主催する世界選手権だけで充分である。
(2001年馬場馬術世界ランキング82位)

以 上