無 生 死
(2009年9月号)

今から30年程前、羽田ロータリーの会員だった私は、当時の会長から、今日松原泰道さんという偉いお坊様の講話があるが一緒に 聴きにいかないか、というお誘いを受けた。
 父の病気や会社の経営の事でいろいろと悩み事を抱えていた私は、何か心の支えになるようなことが聴けるかも知れないと思い、 出席させて頂いた。
 それ以来、ずっと松原老師との関係は続いていたのだが、その老師が7月29日、101才の生涯をとじられた。
 毎日お元気に「読む・書く・話す」を修行の日課とされていた老師のこと、「自分の人生はもう秒読みの段階に入った」等と 冗談を言われていても、それは遠い先のことと思っていたのに、私は人生の大きな目標を失ったような気がした。

最初に私がお目にかかった講演会の日、その講話終了後、老師の著書「般若心経入門」と老師の編纂になる「私はこんな死を迎えたい」 という2冊の御本を頂き、その2冊の本の見開きに「般若心経入門」には「夢」、そして「私はこんな死を迎えたい」には「無生死」 と毛筆でお書き頂き、その上、西村修一様、泰道、と 為書(ためがき)まで頂いた。
 今は亡き父の影響で以前から若干仏教には関心のあった私は、頂いた御本を読んで初めて般若心経の心の一部にふれたような気がして早速、 老師の主催する「南無の会」(宗派を超えて辻説法等を行う会)の会員となり、月刊誌「ナーム」の熱心な愛読者となった。
 そして1997年には現在「ナーム」の発行人をされている那須・護法寺の中島住職のインタビューで月刊誌「ナーム」の1997年3月号に 「馬から学んだ人生必勝法」という見出しで数頁にわたり私の事を御紹介頂いたばかりか、2001年には厚かましくも南無の会の辻説法を 新宿のお寺でさせて頂いた。
 それらの関係で書家でもある中島教之住職の含蓄のある「書」を何点か頂いて、私の家の玄関や書斎やアトリエ等に掛けさせて頂き 毎日心を洗われている。
 また、老師の大ファンになった私の書斎の本棚には老師の著書が20冊近く並び、そのどれも赤線や付筆だらけで、私の書く「馬耳東風」 が若干抹香臭くなったのも老師の影響が非常に大きい。
 尚、不思議な事に中島住職が「ナーム」に連載されている「心の伝言板」と、私が「馬耳東風」を書き始めた年月がまったく一緒で、 ともに1991年5月号から始まっており、従って今回の9月号は 両方とも233回目となっている。

私の「馬耳東風」にも中島住職の「書」が度々登場するが、「ナーム」にも必らず老師のエッセイが掲載されており、それらの文章は 老師の著書とともにどれ程私を勇気付けてくれたか計り知れない。
 老師の編纂になる「私はこんな死を迎えたい」は「確実に訪れる死に対して、望み通りの死を迎えることは難しい、しかし誰もが 美しい安らかな死を願っている、私達はどの様な死を迎えたいのか」ということで各界の識者22人が死を聞い語り人生最大のテーマに 迫るものだが、その本の最後に老師は人間は生まれる時も自分の意志ではなく又死ぬ時も自分の希望するようにはいかないのは当然で、 いわゆる見事な死に方だけが誉められるのではなく、充実した生を送ることが、そのまま至福の死に通ずるとの直線で貫かれている事に 気付いたと書いている。
 私が以前頂いた「私はこんな死を迎えたい」の御本の見開きに老師の書かれた「無生死」の三文字がズッシリと重みを増してくる。
 老師の一生は師がいつも口癖のように言われている「生涯修行・臨終定年Jを見事に身をもって実行されたことになり、 「充実した生を送ることが、そのまま至福の死に通ずる」と言われた言葉を改めて心に刻み込んだ。

日本男子の平均寿命は79.29年、更に数年前WHO(世界保健機関)から発表された日本人の健康寿命は74.5年、101才まで目を輝かせながら 生涯現役を貫き通した老師を何としても見習いたいものだ。
 葬儀の行われた東京三田の龍源寺には、真夏の炎天下にも拘らず老若男女・善男善女が長蛇の列をなしていた。
 奇しくも老師の死の前日、私は「人間学を学ぶ月刊誌」の致知出版社からインタビューを受けた。いずれ私の紹介記事が掲載される ことと思うが、その月刊誌にも老師は度々寄稿されており、去年の暮に致知出版社から出版された老師と五木寛之氏の対談形式の本 「いまをどう生きるか」を出版社の記者が持って来られ、暫し老師の話しに触れさせて頂いた。
 その本の最後に老師は「空しく考えない為に自分自身の丹誠が欠かせません、すなわち正しく法を聞き、正しく念いを深め、 自分を調える事が大切、そして自分自身への丹誠を死ぬまで続けなければいけない。そうしてはじめて意味が出てくるのです」 と結んで、いた。
 「生涯現役・臨終定年」万歳!
 老師の御冥福を心よりお祈り致します。

合 掌

原稿の締切りに間に合うようにと、やっとこの文を書き終えた所に、9月号の月刊誌「ナーム」が届いた。その雑誌の最初に 「松原泰道のみんなの仏教入門、一期一会」が掲載されていた。一期一会について老師は「一生に一度という貴重なめぐりあわせをもとにして、 積極的に人生を組み立てて行こう、そして別れたあとも会っていたときと同じ心を保っていようと言うこと、所謂、 残心(ざんしん)を大切にしたいものだ」と語っている。
2ヵ月前の「馬耳東風」に私は「一人称と二人称 の死は無い」と書いた、老師の教えは私が生きている限り私の心の中で 生き続けることとなる。

以 上