今から11年前、私は縁あつて和歌山の古刹、養徳寺(浄土宗)の跡取り息子の結婚の仲人を引きうけた。
何故か日本中央競馬会に勤めている跡取り息子は、2〜3年毎に日本全国の競馬場やトレーニングセンター等を
転々としていて、結婚以来彼の家族とも親しく会う機会が殆どなかった。
そして今年6月、東京の競馬会本部に転勤になり家族ともども府中の社宅に引っ越してきたといって7才と3才の2人の
娘を連れて親子4人、私の家に来てくれた。
可愛くおしゃまな2人の娘を囲んで久し振りに賑やかな食事の後、私は以前から何時か彼に会ったら頼んでみようと
思っていた事を切り出した。
それは、私に“遊行”と“白楽”の四文字を入れた戒名を考えて頂きたいというものだった。
実はこの戒名の事は、かなり以前から考えてはいたのだが、今迄に数回の手術を繰り返している私の健康状態からみて、
“遊行”という言葉の持つ意味を考えた時、或る種の不安を感じて今迄躊躇していたのだ。
即ち、“遊行”とは僧侶が修行や説法の為に諸国をめぐり歩くことを意味する言葉なのだが、その外にも古代のインド
には、人生を四つに分けて、それぞれの時期に悔いの残らぬようベストをつくすのが理想的な人生のあり方とする
思想があった。
その四つとは、「学生期」
「家住期」
「林住期」
そして「遊行期」である。
「学生期」は、いろいろな人に師事して、人生の何たるかを学び、人間として生きてゆく上で必要な学問知識を
身につける時期であり、「家住期」は大人になって職業につき、仕事に精を出して社会の一員として立派に暮らして
ゆけるよう努力する時期、「林住期」は白秋の季節ともいえようが、職業や家族や世問とのつきあいなどの束縛から自
由になって、じっくりと己の人生を振り返ってみる時期。
そして、いよいよ最後の「遊行期」は、人生の最後の締め括りである死への道行きであると同時に幼い子供の心に
還ってゆく懐かしい時期、言いかえれば彼岸に遊びに行く為の準備をする時期で遊びも一種の
「行」だと考えることが出来よう。
以上この四つは、又「青春」「朱夏」「白秋」「玄冬」と云う事にもつながり、それを人間の年令に当てはめると
「1〜30才」「31〜60才」「61〜90才」「91〜120才」となる。
従って、私が戒名に「遊行」の二文字を入れて頂くとすると、どんな事をしても91才までは生きていないと、
この戒名に対して嘘をついたことになり、あの世に行ってから佛様に認知されないどころか、下手をすると閻魔大王に
舌を抜かれることになる。
元来、戒名とは宗派によっては法名とか法号とよばれているもので、本来は個人が佛教に帰依した証として与えられる
特別な名前であり、仏教の世界では、お釈迦様が定めた戒律を信者が守りますという誓いを立てる為の授戒儀礼を受けた人
だけが頂けるもので、当の本人が生きているうらに戒名を頂かなければ何の意味もなく、仏教従でもない者が死後身内
の者がお寺の住職に依頼して戒名をつけてもらっても、第一死んだ本人が自分の戒名を知らないのだから
住民票をもらう事もできない。
そこで私は一応戒律を守りますという誓いを立てたことにして、生まれてから今日迄、さんざん好き勝手なことばかり
してきたように思うので最後迄遊びに徹した人生を送らせて頂いた者として“遊行”と云う戒名を選んだのだ。
又、私が日本彫刻会の会友になった1996年に家の車庫の一部を改造して小さな粘土の遊び場をつくった時、
私の尊敬する書家でもある栃木の護法寺の中島住職にお願いして銘木店から購入した樫の古木板に
「遊戯三昧」と書いて頂き小屋の入口に
かけさせて頂いた。
「遊戯三昧」とは「無門関」
という「無」の境地を明らかにした禅宗の書の中にある言葉で、「三昧」とは云う迄もなく一つの事に専注して無念になる
状態のことである。
あと1年で傘寿を迎える私としては、この「遊戯三昧」の境地に到連することが出来て初めて本物の人生と云える様な
気がして、その目標に向かって、これから先の人生を歩み続けたいと日々「遊戯三昧」の額を見ながら粘土で馬の像を
創っている。
日本彫刻界の人先輩、平櫛田中
(1872〜1980)は、100才をこえてからも制作活動は衰えることなく、108才で肺炎のため東京の小平市の自宅で
亡くなる1年前には良寛和尚の美事な木彫彩色の像を創っている。
彼のお孫さんの平櫛弘子氏は、「祖父は上野の谷中から98才の時に玉川上水の流れる穏やかな小平の地に移り、
その地をこよなく愛し、彫刻三昧にふけり、偉大な彫刻家として閉治・大正・昭和を悠々大河のように生き抜いた」
と述べている。
「今日もお仕事、おまんまうまいよ、びんぼうごくらく、ながいきするよ」。
「60、70は鼻たれ小僧、男ざかりは、100から、わしもこれからこれから」。
「人間いたずらに多事、田中いたずらに100歳。いまやらねばいつできる。わしがやらねばたれが
やる」。(田中語録)
明治人の気骨に元気づけられる。
私も20才の頃から毎日浴びるほど飲んでいた酒をやめ10ヵ月、どうやら全身からアルコール分が完全に抜けて自分の肉質も
少し若返えり、この調子なら何とか91才まで生きられそうな気がして戒名に遊行の二文字を入れようと決心したとい
うわけだ。
然し、一休禅師ではないが、「夫れ人間あり様
万事とどまる事なし、もとより生のはじめを知らざれば、死の終わりをわきまえず、やみやみ茫々として苦の海に
しづむなり」で、私も気がついてみたら死んでいたと云うことも充分に考えられる。
そこで万一、91才より前に死んだ場合には残念ながら「遊行」はやめて「林住院……」としてもらえば事は済む。
この戒名については「私ぐらい好きな事をしてきた男はいない」と言うのが妻や娘達の一致した意見だから、
「遊行」のもつ深い意味に関係なくその戒名には若干の悔しさと恨めしさを抱きながら賛成してくれる事と思う。
以上