第2回ワールド・べ一スボール・クラシックは韓国との決戦を制した日本が、再び野球世界一の座についた。
紆余曲折の末、監督となった原辰徳氏は出発に先立ち「日本力・侍ジャパン」の色紙を残して試合に臨み、美事その重責を果たした。
それでは彼は「侍」をどの様にとらえていたのか、「侍」には大した人物とか、したたか者、という意味があるから、黒澤明監督の
「七人の侍」のように日本野球界選りすぐりの29人の「したたか者」を率いて戦いに臨む覚悟を決めたのだろう。
そこで今回はその「侍」について少々考えてみようと思う。
「士
魂商才」という言葉がある。これは云うまでもなく武士の精神と商人の才とを兼備することを意味するが、元来この言葉は「和魂漢才」
の造形語で、和魂とは日本人固有の精神、即ち「大和魂」のことで、大和魂をもって中国から伝来した学問を活用するということだ。
そしてこの大和魂をもった日本男子の代表者が武士
であり、彼らの間に発達した独特の道徳が「武士道」ということになる。
我々は一般の会話の中で「彼はサムライの様な、男だ」ということがある。
そこにはその男が封建的だとか、権威主義的だとか、又は時代錯誤等というマイナスの意味はない。彼らは決断力のある果敢な信念のある
人という意味に使われ、また、古武士といえば剛直で信義にあつい昔の武士の風格を備えた男という尊敬の念も含まれている。
これら武士の崇高な精神を踏まえて、不正を行った人や卑怯な振る舞いをした人に対して我々は卑怯者とか恥を知れという言葉をもって
それらの人達を軽蔑する。
時代が移り平成の世になつても我々日本人はこの大切な大和魂を決して見失ってはならない。
然し、最近の日本人の心の中には最早「新渡戸稲造」の「武士道」の精神や大和魂が存在しているとは到底思えない。
それでは新渡戸博士の「武士道」とはいかなるものか、そのうちの一つを紹介しよう。
武士の教育について最も重視されたのは「品格」の形成であった。
それに対し「富」は知恵を妨げるものと考えられていた。
むしろ武士は損得勘定を考えることなく、「武士は食はねど高楊枝」の諺が示すように金銭そのものを忌み嫌い、金儲けや蓄財を賎しんだ。
何故なら、それは武士にとって真に汚れた利益だと思われていたからである。
時代の廃退を嘆く決まり文句に「文臣銭を愛し、武臣命を惜しむ」がある。
従って武士の子弟は、経済のこととはまったく無縁に育てられ、金銭の勘定は身分の低い下級武士や僧侶に任せられていた。
小学生の頃、私は父から、お金のことを「阿堵物
」といって金銭は穢れたものという意味だと教えられた、父の小学校の
通信簿には、「士族・西村正雄」と書かれていたから恐らく父もそのようにして育てられたのだと思う。
おかげで私も「武士の商法」よろしく二度も会社を整理し、その都度二人の母がそれぞれ残してくれた家・屋敷を手放して、娘から
「倒産トーチャン」の称号を頂いた。
このように金銭や貧欲さを嫌ったことで武上道を信奉するサムライ達は、金銭から生ずる無数の悪徳から免れることが出来た。
我国の役人が長い間腐敗から遠ざかることが出来たのは、ひとえにこのお陰だったのだが、悲しいかな現代に於いては何と急速に
金銭腐敗政治がはびこってしまったことか。
西暦1700年代フランスの啓蒙思想家であり哲学者のモンテスキューが明らかにしたように貴族を商業から遠ざけておくことは、富が権力者
に集中することを防ぐための誉められるべき政策であったのだ。
権力と富の分離は、富の分配をより公平に近づけることに役立った。
ローマ帝国衰亡の原因は、貴族が商業に従事する事を許し、その結果、少数の元老の家系が富と権力を独占したことによって生じたのだと
新渡戸稲造は言う。
話しを現在の日本に戻そう、「ザル法」の最もたるものに「政治資金規正法」がある。
最も、この法律そのものは暴力団に暴力団規正法をつくらせているようなもので、常に暴力団に都合のいいように改正されており、
すぐに抜け道が出来るようになっている。
企業は受注につながらぬような政治献金をするはずがない。
国民の税金からの政治献金である「政治交付金制度」が導入された際も、政治資金規正法は一部の修正しかされていない。
政治不信の募る今日、企業、団体からの政治資金は1円たりとも認めないと全面禁止にすべきなのだ。
今こそ政治家達は日本古来の大和魂をもって政治に携わるべく、アメリカ大統領、セオドア・ルーズベルトの愛した新渡戸稲造の「武士道」
を熟読玩味し、彼らの倫理観・道徳観を見直し、つまらぬ権力争いはやめて「29人のサムライ」を率いて美事世界一に輝いた原ジャパン
のように、いろいろな意味で今の日本を世界一の国にしてもらいたいものだ。
(参考一PHP文庫、新渡戸稲造著「武士道」)
以上