大怪人・南方熊楠 (ミナカタクマグス)
(2009年2月号)

前月号で私は禁酒を宣言した。
 満21歳で社会人になってから今日まで、数回の手術の前後を除いて唯の一日も欠かしたことのな かった晩酌と寝酒、まさに私の生活の一部となっていた酒を止めて2ヵ月が経った。
 然し、その60日のうちには、日本ペンクラブや日本彫刻会、又は60年来の知人も多い馬術の仲間 達との楽しい忘年会や新年会があり、その総てをウーロン茶で凌いできた。
 ところが何の因果か禁酒を宣言して1週間目、最も辛い時期に従兄の孫娘が若山の造り酒屋の跡取りと 結婚するというので大阪まで行くことになった。

花婿の苗字は南方(ミナカタ)という。
 私の祖父(生母の父)の田舎である和歌山の造り酒屋で南方と言えば、その日本酒の銘柄は 「世界一統」しかない。
 即ち、日本史上最もバイタリティに富んだ大怪人、あの南方熊楠の生家であり、当の花婿はその 跡取り息子と言うことになる。
 案の定その結婚式では「世界一統」の超一級の樽酒の鏡を割って何とも云えない良い香りが禁酒 している私の鼻を意地悪く刺激する。
 勿論、ホテルの結婚式とあってフランス料理が主体だが、日本酒に合う料理も何品か出てくるから、芥川龍之介 ではないが私の腹の中の「酒虫」が目を醒まして今にも口から飛び出しそうになった。
 然し、男子の一言金鉄の如し、一旦決心したからには断じて酒は飲むまいと自分に言いきかせたが、禁酒さえ していなければ、これから先、熊楠ではないが一生おいしい日本酒には事欠かなかっ たのにと悔やむことしきり。
 結局私はその試練に耐えたことで、生涯禁酒の自信がついた様な気がして、帰りの汽車の中で南方熊楠 の事が無性に知りたくなった。

 18 67年(慶應3年)現在の和歌山県に生まれた熊楠は、8才から「 和漢三才図会(ワカンサンサイズエ) 」(105巻)等の筆写を始め、17才(明治17年)の時、東京大学予備門に入学、同期生には夏目漱石や正岡子規 達がいたが2年で予備門を退学し突然渡米してしまう。
 以来33才で貧窮のためにロシアから帰国するまでの14年間、南米やヨーロッパなど各地を放浪し、 明治33年、造り酒屋を継いでいた弟、常楠(ツネグス) に迎えられて和歌山に帰ってくる。
 以来、那智山周辺の隠花を調査していたかと思えば神社の合祀と森林伐採の反対運動をおこしてみたり、 自宅の柿の木から変形菌を発見したりと実家からの援助によって毎日の如く日本酒を (アオ)りながら勝手気ままな生活を送り、63才の時には 南紀行幸の昭和天皇に進講し、変形菌の標本110点をキャラメルの空き箱に入れて進献したりと、まったく 捉えどころがないが、柳田国男をして「私などは是を日本人の可能性の極限かとも思い、又時として更にそれらよりも なお一つ向うなのかと思うことさえある」言わしめている。

その中で熊楠が生涯強くかかわつたものは粘薗を始めとして隠花植物、神話的思想、野蛮な風習や土俗、幽霊と妖怪、 真言密教、セクソロジー、猥談、男色、半陰陽(男女同性をそなえている人)等々。
 それらのものは現実の世界では非合理だが総て生命の神秘を探るための重要な学問ばかりで、生と死、陰と陽、 見えるものと見えない世界の間に何があるのかアカデミックな学問では説明不可能な分野を探求しつづけた稀な学者 だと言える。
 つまり、その生と死の本性を探求しようとして生命の神秘が粘菌の中に集中していると考え、粘菌の動物とも植物 とも知れない珍しい生物に興味を覚えその研究に没頭したのだろう。
 それでは粘菌とはいかなるものか、広辞苑で調べてみると、粘菌は変形菌と同じで可等菌の一群で植物学類上の一門。 栄養体は変形体といい、不定形粘液状の原形質塊でアメーバー運動をする。子実体は赤や黄等鮮やかな原色のものが 多い……、以下延々と説明は続くが私にはさっばり理解出来ないから書くのをやめるが昭和天皇も随分変なも のに興味を持ったものだ。
 蛇足だが、この粘菌には迷路を解く能力があることが最近わかり、2008年のイグノーベル賞に輝いたが、 イグノーベル賞とは人を笑わせ、そして考えさせられるような研究に与えられる賞だという。

御局彼は75才でその生涯を閉じるが、呼吸が荒くなり容態が急変したので家族の人達が医者を呼ぼうとしたら、 「今、天井に紫の花が一面に咲いていて気分が良い、医者が来ればその花が消えるから医者を呼ぶな」と言って 死んだらしい。
 彼の博物学者、民俗学者、植物学者としての功績は広く知られているが、彼の自由奔放な生き方を辿るとき、 この林中裸像の中の姿の如く、ついに彼は自然の一部となることを目指していたのかも知れない。
 熊楠の人生哲学は考えれば考える程わからなくなってくるが、つまるところ彼は「研究という名をかりた学問の 遊び人」だったようにも思える。何ともうらやましい限りだが、人生とは総て退屈凌ぎだと言った高僧がいたから、 彼の人生も又退屈凌ぎだったような気もする。  (参考−水木しげる著 猫楠)

以上






 
  林中裸像 1910(明治43)年
       (辻一太郎撮影)