私が「馬耳東風]を初めて掲載した1990年5月から数えて19回目の正月が巡ってきた。
然し、バブルが弾けて以来私には「新年お目出とう御座います」と心から言えた正月は唯の一度
もなかった様な気がする。
とりわけ、今年程暗く惨めな気分で迎えた正月はない。
私は二十年来、年の暮れになると、その年に我が家で起きた主な出来事を、「我が家の10大ニュース」
として一冊のノートに書いてきた。
そのノートは昔の日記の頁をいちいち捲らなくても、あの出来事はもう何年も前になったのか、
我が家はもう築20年にもなるのか等と簡単に教えてくれる。
ところが去年の我が家の10大ニュースは、まさに悲惨そのものだった。私事で恐縮だが、サブプライム問題で
眠れぬ夜が何日も続いたと思ったら、7月には家内が軽井沢で梯子に乗って樹の枝を切っていてバランスを崩して
地面に落ちて腰の骨を折って1ヵ月問軽井沢で入院生活、その家内を迎えに行った軽井沢で交通事故に遭い車は廃
車、二人とも全身打撲で又元の病院に逆もどり、その上会社の社員のメンテナンス上のトラブルで
親会社に大変な迷惑をかけてしまった。
そして11月、その不幸に止めをさすかの如く私の個展開催の1週問前に私の家族を寝耳に水のよ
うな事件が襲いかかった。
更に今年は全世界で景気後退の局面が長期化するのは確実となり、私としては義理にも「明けましてお目出とう」
とは言いたくない心境だ。
たしか去年は厄年が明けて前進に希望が湧いてくる易のはずだったのにと恨んでもはじまらない。
その様な理由で、世界同時不況は避けられないまでも、今年は何とか良い運が巡ってきます様にと藁をも掴む思いで
今年の運勢を占ったら、躍動運−才能は世の荒波にて成るとあった。
即ち、今年は去年の荒波にもまれて初めて躍動する年と言う事らしい。
「眠
られぬ夜のために」の著者ヒルティは「憂いのない人生はあり得ない、憂いをたくさんかかえてしかも
憂いのない生活を送ることこそ学ばねばならない生活の術である」と言った。
去年の暮れの私の個展の前に起きた不幸な出来事によって考えさせられた私は、例によって毎夜「般若心経」
の写経をしながら、どうすればこの心の苦しみから救われるかと真剣に模索した結果、
導き出した結論は「断酒」だった。
健全なる精神は健全なる身体に宿ると言うから、まず約60年間私の生活の一部となっていた飲酒を止めて健康な
身体に生まれ変われば、或いは憂いにうち勝つ健全な精神が生まれるかも知れないと考えたのだ。
然し誰が言い出したのか「酒の飲めない男に上手な馬乗りはいない」の諺を学生中から信奉してきた私は、
普通の人間は死んだらすぐに腐るけど、私は常に全身アルコール漬けだから夏でも1週間は腐らないと豪語してきた
様に今迄に一般の人の幾倍もの酒を飲んできたから今更悔いはないと大見得を切った。
ところが、いざ酒を断つてみると食事は何を食べても味気無く一向に食欲が湧かず、宴会も旅行もまったく興味を失い、
テレビではやたらと酒を飲むシーンばかりが目につき、夜はいろいろと煩わしいことばかり頭に浮んで、以前なら
ウィスキーの4〜5杯も引っ掛ければ眠れたものをアルコール抜きでは益々頭が冴えて眠られず、その上
個展の開催中は来廊者の多くが私の酒好きを知っていてワインか日本酒の差し入れが多く、皆様にワインや日本酒を
すすめながらウーロン茶を飲む侘びしさ。
まさに人生の楽しみを総て失い地獄の責め苦を味わった。
かくして迎えた正月、気がつけば約1ヵ月半、まったくアルコール抜きで生きてきたことになる。
月並みだが「一年の計は元旦にあり」で私の場合少々フライングだが、今年の計を「断酒」とした、そして
どうやらその誓いは死ぬまで守り切る自信もついた。
一時は晩酌抜きの味気なさに食欲を無くした夕食も、胃の調子が頗る良くなった為か食欲も出て、食後酔っていない
ので本も読めるし色々なことが出来、意外と夜も良く眠れるようになった。
第一、身体からアルコールが完全に抜けた為、肉質や骨質まで何となく丈夫になり、自分で言うのも
可笑しいが膚の色艶も良くなり、何十年間
経験したことのない爽快な朝を迎えられるようになった。
健康でさえあれば何かに挑戦する意欲も湧いてきて、どの様な困難にも立ち向うことが出来る。
「人間万事塞翁が馬」という諺を私はよく使ってきたが、その諺には何となく成りゆきまかせ、「運が総て」の
ニュアンスがあり、そこには自助努力の欠片もない。
去年の様々な悪い出来事は総て御先祖様の私に対するショック療法と受け止めて断酒という自助努力によって
今年の運勢判断が示す如く、去年の荒波にもまれて大いに躍進してやろうという意欲が湧いてきた。
“下
戸は酒の害をしれども酒の利をしらず、上戸は酒の利をしれども酒の害をしらず”と言われるが私の様な
ストップのきかない始末の悪い上戸には決して酒の利はないと、この年になってやっと悟ったというわけである。
然しこの様な私のエッセイを世間では「引かれ者の小唄」というのだろうか。
以上