雑 草 魂
(2008年11月号)

私の小学校の通信簿は2年の一学期だけが空欄になっている。
 要するに、生来病弱だった私はその期間殆んど学校に行かなかったからだ。
 母はそのような私を何とか丈夫にしてやろうと、約2年間「ヤトコニン」という薬を毎日注射し続けてくれたお陰で 6年生の夏には大森区(現在の大田区は大森区と蒲田区の合併)の水泳大会で優勝するまでになった。
 然し、生まれつき虚弱体質の私は、その後馬術という過激なスポーツを選んだ為に、これまでに7回もの手術を 繰り返した結果、()()ぎだらけの身体になってしまった。
その様にガタガタの私の身体は、この夏の暑さに耐え切れず、食欲はなくなり2年前には82キロあった体重も70キロを割り、 その上喘息と軽い肺気腫まで併発して息切れがひどく、馬に乗るどころか、まさに末期高齢者そのものの有り様となっ てしまった。
 然し、考え様によれば、小さい時から「この子供はあまり長生きは出来ないだろう」と医者に言われていたのだから、 今年の日本の男子の平均寿命まで生きたことで、「まず良し」としなければなるまい。
 唯、今迄の私の人生を振り返った時、このような状態のままで此の世を去るのは何としても惨めすぎる気がしてきた。

何故ならば、先月号の「コア」で私は山本有三の「路傍の石」の中の文章を引用し、「吾一とは吾は此の世に一人しかいない ということだ。たった一度しかない人生を本当に輝かし出さなかったら人間として生まれて来た甲斐がないじゃないか」 と言った次野先生の言葉を原稿用紙に書きながら、その文章をそのまま自分に置きかえてしまったからだ。
 又、私はかって「コア」の中で何回も「死」はそれを追いかけているうちは美化することが出来るが、現実に自分が 「死」から追いかけられる立場になった時、果たして死に敢然と立ち向かうことが出来るかどうか疑問だと書いた。
 どうやら、この私も死に追いかけられだしたのでこのようなことを考えたのだろうが、その様なことを真剣に考えよう等 と思ったのは、もとはと言えば毎月「コア」に原稿を書かせて頂いていればこそで、人間は常に何らかの問題意識をもって、 それを文章に書くことの意義を痛感している。
 又、先月号の「馬耳東風」の最後の私の納音(なっちん)(運 命判断の一つ)は「路傍土」だとも書いたが、私の一生が路傍の土、云いかえると道端の一介の 土塊(つちくれ) で終わるのは何としても淋し過ぎるような気がして、叶わぬまでもあと一ふんばり自分の人生に挑戦して、最後は 「ざまあみろ、一介の土塊にも五分の魂があるのだ」と言ってみたいのだ。

そのような気持ちでいた私のところに、つい最近送られてきた「ナーム」という雑誌(出版社・水書坊)の「雑草の生き方」 という文が目にとまった。薄暗い路傍の砂利石まじりの土の中で逞しく生きる雑草の姿に私のこれからの生き方がある様に 思われたからだ。
 ここで雑草の生き方の著者・稲垣栄洋氏の文章を要約してみよう。
@、植物(含雑草)は基本的には動くことが出来ない、それに引きかえ動物は読んで字の如く自由に動き、渇けば水を求め、 自由に餌を摂り、寒暖によってその居場所を変え、外敵や災難から逃れることが出来る。A、雑草の種はその落ちた所が コンクリートの僅かな割れ目やアスファルト道路の傍らの様な悪い環境にあっても、そこで一生を全うするしかない、 自分が生きてゆくためには環境に精一杯順応して、その中で最善を尽くして生きる以外にない。B、植物の中でも特に 雑草は他の植物が生きることの出来ない過酷な条件のもとで生きることを得意とする。それは雑草自身が自分を変化させて その環境に適応する体質に変える能力を備えているからだ。C、雑草は植物学的には決して強い植物ではない、唯逆境を 乗り越えることで弱い雑草は強さを感じさせる迄に進化したのだ。D、雑草は誰からも肥料を与えてもらえない、 自ら根をはり葉を広げて大地から水を大気から光合成によってエネルギーを作り出していくのだ。等々。

 20 年程前から徐々に広がりつつある稲作の栽培法に不耕起栽培がある。耕されていない田圃に蒔かれた種は自らの根を深く 長く強く伸ばして、病虫害に強く、旱魃にも風水害にも負けない稲に育つ、要するに稲の雑草化である。過保護の稲は 弱いということだ。
 山本有三は何故吾一少年の一生を書こうとした連載小説の題を「路傍の石」としたのか、この小説が未完に終わって しまった為にその真意はわからないが、山本有三は吾一少年を決して路傍の石で終わらせたくなかったのではないだろうか、 踏まれても踏まれても雑草の如く雄々しく立派に成長して欲しい。然し、今の時代はあまりにも矛盾に満ちている。 その矛盾点を(えぐ)り出したくて筆を執ったものの、 当時の官憲との無駄な争いを避けて筆を折る決心をしたのではないだろうか。
 ワーキングプワーが益々増加する今日、無能な政治家等には頼らずに雑草の如く自分の老後は自 分で切り拓く覚悟が必要だ。

サブプライム問題に端を発した世界同時不況は、まさに末世の様相を呈してきた。肺気腫等と言っている暇は無い、 あらゆる逆境に積極的に立ち向かい、過酷な環境を克服する為には何としても雑草魂を身につけて自分で進化する 以外にない。(随所に主と()る=臨済録)
 唯、一今の様な健康状態で尚かつ進化するためには一体どうすればいいのか、これからはアルコールから栄養を摂るのを 控えて正気の頭でじっくりと考えることにしよう。唯、
“白珠の歯にしみとほる秋の夜の

酒はしづかに飲むべかりけり
若山牧水

酒は百薬の長とも云うから、少しだけ飲んで、じっくりと考えるのも良いような気がする。

以 上






 
   栃木県大田原市
      護法寺住職 中島教之師筆