追  憶
(2008年9月号)

 “追 憶が、大抵の場合美しいのは、それが希望の光に色づけられているからだ”
 (椎名麟三、「墓地の対話」)
 7月の中旬、日彫展に出品した私の彫刻を六本木の国立新美術館から軽井沢のアトリエに搬入することになり、 久し振りに家内と二人して軽井沢に行った。
 7月も半ばをすぎると庭の雑草は伸び放題、隣家との境界線の唐松やヒマラヤ杉も思う存分下枝を伸ばしている。
 例年のことながら、夏の軽井沢での初仕事は庭の雑草とりと植木の手入から始まる。

家に着くなり早速私は物置から二つ折りの梯子を出して唐松の枝を切り始めた。
 しばらくしたら近所の友人が訪ねて来たので3〜40分家にあがって話しをしてから再び庭に出て みると、何と家内が私のかけた梯子に乗って枝を切っているではないか。
 危ないから降りろと言ったが大丈夫だと言ってなかなか聞き入れない。
 仕方なく下で見ていたら、ちょっとしだはずみでバランスを崩し、約1.5メートルぐらいの高さから落ちて 動けなくなってしまった。
 嘗てはスケートの選手だった家内も、寄る年波か、どうせ落ちるなら足から落ちればよさそうなものを、 腰から先に着地した為起きられない。
 「痛い痛い」と言うので止むを得ず119番したら、ものの4〜5分で救急車がサイレンを鳴らしてやって来た。
 すぐに応急処置をして軽井沢の総合病院に搬送され、レントゲンを撮ったが、土曜日の為内科の医師しか居らず 彼は骨に異常はないと言う。
 それでも痛くて身動きも出来ぬと言うので取り敢えず入院して経過を見ることにした。
 入院して二日目の月曜日に、今度は整形の医師によってMRIを撮った所、腰椎にヒビが入り肋骨は折れていると言う。
 絶対安静にしていれば約1ヵ月で退院出来るだろうということで早速コルセットを誂えて入院を 余儀無くされた。
 家内にとってはとんだ災難かも知れないが、3階の病室の窓一杯に浅間山が広がり、暑い東京を避けて三食付きで ゆっくり出来るとは、「ゆっくり休め」という御先祖様の有難い思し召しだと思えと言ってはみたものの、私の方は 怪我人を一人にしておくわけにも行かず当分東京には帰れない。

然し、2〜3日のつもりで来た為に粘土も持たず退屈なことこの上ない。
 仕方なく本を読んだりしていたが、書棚の隅にうず高く積まれた昔のアルバムが目についた。
 写真好きだった家内の母親の莫大なアルバムは捨てるわけにもいかず、私達のものを合わせると優に30冊はある だろう。昔の写真等、何か事が無い限り滅多に見るものではなし、又非常に場所をとるので総て軽井沢に持って 来ていたのだ。
 退屈のあまり、つい昔のアルバムを開いてみると、懐かしい両親の顔や幼かった娘達の日光でのスケートや伊豆の 海水浴場でのスナップ写真、又5人の孫達の生き生きとした自由奔放な軽井沢での夏休み。
 あんな事もあった、こんな事もあったっけ、何時の間にこんな写真を撮っていたのだろう。
 懐かしい思い出はあとからあとから湧いてきて、つい感傷的になって時の経つのを忘れてしまった。

テレビや新聞のニュースといえば、親が子供を、子供が親を殺し合うような殺伐とした事件ばかり。
 つい最近も中3の少女が理由もわからぬまま父親を殺したニュースを取りあげて、いわゆる知識人と称する面々が テレビで討論をしていたが、子供がムカつく言葉のベスト3は、1.勉強しろ、2.時間を守れ、3.早く寝ろ、 だという。
 その言いようにもよるのだろうが、親が子供の為を思って言った言葉にムカつかれて殺されたの では親として立つ瀬が無い。
 総て自己中心的に物事を考える最近の子供達、我慢する事、堪える事の出来ない子供達の性格は、どこで、どの様に して(ハグク)まれてしまったのか。
 「地震・雷・火事・親父(オヤジ)」の時代が懐かしい。
 教育勅語ではないけれど、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ」が絶対ではなくなってしまったのだ。
 何とも悲しい事だが、敗戦から60数年、現在の親達も又自己中心的な考え方を持ち、「父母ニ孝ニ」はナンセンス、 勝手に生んでおきながら、と思っているのだから救いがない。
 親の方も心から子供の事を思い、子供達も明日は我が身と思えば、自ずと双方の態度も変ってくるのではなかろうか、 然し、この考えは甘すぎる、と思う反面、娘や孫達の昔の懐かしい写真を見ていて、ついそんな感傷に耽ってしまった。

冒頭の椎名麟三の言葉ではないけれど追憶の先に希望の光を見出す為にも、親子の関係が何となくギクシャクしている 人達は、ぜひこの際時間を割いて昔の懐かしいアルバムを開くことをお薦めする。
 そして可愛かった幼い日の子供達や、孫達の姿を目に焼き付けることだ。きっと希望の光が見えてくる事だろう。
 “楽しかった日曜日をさがしに行こう
   見つかったら、もう黙って生きていよう“
 (立原道造、小さな墓石の上に)。
 冒頭の椎名麟三の言葉も、又、立原道造の詩も、ともに「墓地との対話」であり、「小さな墓石の上に」という事は 非常に興味深い。
 私は墓地には絶対に御先祖様はいる、と思っている。
 御先祖様は常に私達の心の中に生きているという事も又事実だが、お墓の中にも絶対にいると信じたい。
 何とかして御先祖様の力を借りて平和な家庭を築く事が出来ないものだろうか。

以 上