芸術とは何ぞや
(2008年7月号)

芸術とは何ぞや、芸術家とはいかなる人種なのか、この問題はあまりに大きすぎて (にわか)彫刻家である私の手には負えない。
 然し、最近髪の毛を茶色に染めて頭が少しおかしいのではないかと思えるような恰好をして日本語もろくに 話せない若者達が、テレビでアーチストとして紹介され、その本人も又 一端(いっぱし)のアーチスト気取りでいるのを見るにつけ、 マスコミの間でアーチストという言葉があまりにも無責任に使われているような気がしてならない。

私が彫刻を始めた切つ掛けは、満60才の時、馬術競技の最中に心臓の弁を操作する腱が切れて約1年間というもの 全くの廃人となってしまい、当然馬にも乗れず会社にも行けなくなった為、仕方なく退屈凌ぎに以前から一度やって みたいと思っていた馬像造りに挑戦しただけの事だ。
 以来18年、独学で始めた彫刻も、あまり人の創らない馬の彫刻ということもあって、競馬場や馬術関係の施設に 馬の銅像が幾つか設置され、個展を毎年開いてくれる画廊も出来た。
 そして現在では日本彫刻会の会員ということで人は私のことを彫刻家と云い、又或る人は芸術家と言ってくれる ようになった。
 然し、私は人様から芸術家と言われる度に何か面映い思いにかられると同時に、高校生の頃読んだトルストイの 「芸術とは何ぞや」という文庫本をもう一度じっくりと読み直してみたいと思うようになった。

そこで今でもその本が家のどこかにあるはずだと思い随分探してみたが、どこにも見当らない。仕方なく大きな書店で 調べてもらった処、もう廃本になっていると云われ、神田の古本屋にも行ってみたが、やはり徒労に終ってしまった。
 その様な時、たまたま会った私の親しい友人のS氏にその話しをしたところ、彼はたしか家にあったと思うから 送りますと言ってくれた。
 然し、期待していた彼からの返事も又探したがやはり見付からなかったと言うものだった。
 それから数年が経ったつい一週間程前、S氏から、まったく思いがけずその懐かしい本が送られ てきた。何とそれは古色蒼然とした昭和7年発行の初版本で定価は30銭とあった。

S氏とは嘗て一緒の会社に勤めていた仲なのだが、彼は定年後、点字を学び私の「馬耳東風」を18年前からその全文を 点字本にして現在でも各地の点字図書館に配布して頂いており、重ね重ねお礼の言葉もない。
 又彼のことは2年まえ「六星照道」(六星=点字)という題で書かせて頂いたが、彼は長年にわたりスリランカに単身 (おもむい)て自費で鍼灸の普及に努め、現地の人達からは聖人 扱いを受けているらしい。
 定年後の人生を、私の拙文は別として、いろいろな古今の名著を点字本にしたり、辺境の地に鍼灸を普及させたりと 積極的に世の為に尽くす彼の生き方には唯々敬服の外はない。
 早速送られてきた本の装丁が綻びぬように恐る恐る頁をめくりながら、六十数年前の記憶を辿りつつ、じっくりと 芸術について考えてみようと思う。
 きっと自分なりに芸術というものの定義を見出すことが出来るような気がして楽しみだ。
 いずれ近いうちにトルストイの芸術論について感じた事を御紹介させて頂くとして、今回は私が漢然と以前から 感じていた芸術というものについて述べてみようと思う。

私は常々芸術の根源は自己表現という祈りの感情の様なものだと思っている。
 そして技術を習得しさえすれば彫刻家になることは出来ても必ずしも芸術家になれるとは限らないとも思っている。
 芸術家という熟語は第三者が「彼は芸術家だ」というように表現するのはいいが決して自分から「私は芸術家です」と 言うべきではなく私の創る馬の彫刻が芸術作品か単なる馬の標本かはそれを見る人が決める事だ。
 然し、私がモデルとするオリンピックや世界選手権で上位を占める選手が乗っている馬は誰が何と言おうと本物の 生きた芸術作品だと信じている。
 何故ならば、ヨーロッパで1年間に生まれる約2万頭の由緒正しい乗用馬のうち特に優れた馬を超一流のトレーナー・ 騎手・獣医・装蹄師・馬取扱人がチームを組んで心血を注いで調教された馬の動きは正に動く芸術作晶だと言うことが 出来、その動く姿を忠実に彫刻の上に表現出来たとすれば、或いは私の彫刻も芸術作品になるかも知れないと 思うのだが、それは夢の又夢のような気がする。

又私の彫刻は人に見て頂く為のものでも人に褒められたいと思って創っているものでもなく、自分の心の中の哲学の 表現のつもりなのだが、唯人に語りかける何ものかがほしいとは常々思っている。
 そして私の創る馬像から馬体の温もりや肌の柔らかさ・肌のふるえが感じられればこんな嬉しいことはない。
 又馬の優雅で激しい躍動姿勢への強い関心を充分に満たし活かすには三次元の芸術である彫刻以外にはなく、 芸術的創造というものは決して貧しくあってはならないとも思っている。
 以上、私の芸術論はさておき私の彫刻もエッセイも私の生き方を自分自身に問うものであり、理想としては 「日頃よみ捨てし一句、辞世ならざる句はなし」と云った芭蕉や仙崖和尚の「われに辞世の句なし」の境地にまで 到達することが出来たなら、それ以上の幸福はない。

いずれにしても私にとつて私の彫刻が芸術作品か否かという事は第三者が決めることで、自分なりに満足のいく作品が 出来ればそれで事足れりなのだが「芸術とは何ぞや」と云う疑問については、いずれ自分なりに納得のいく答えを 見出したいと思っている。