早いもので私の拙文も今月で19年目に入る。これも偏に「コア」のお陰だと感謝すると同時に、
日本設備工業新聞社の益々のご発展を心よりお祈りして止まない。
私が最初に「馬耳東風」を書かせて頂いたのは1990年の5月、1号から4号までは発行元の長岡社長の依頼も
あって主に競馬に関する記事を書いていたが、5号目に少し目先を変えようと「馬を犬にかえて」と題して犬を飼う者
の心構えについて書いた処、私の親しい和歌山の養徳寺の橋爪住職から、「西村さんのエッセイも半年で終わりで
すね」と皮肉を言われた。
私が馬以外に何の取り柄もない事を百も承知の住職としては、私のエッセイが馬から犬にかわったのをみて
「最早これ迄」と思われたのも無理からぬ話しではある。
以来二百十数ヵ月、よくも続けられたものだと我ながら呆れているが、この18年の間には会社を整理したり、
半ば死を覚悟の心臓手術をしたりと実にいろいろな事があって、もうこれ以上書く事は出来ないと思ったことも
幾度かあった。
然し、その都度私を勇気付けてくれたのは以前読んだ本の中の一節「良い習慣を創り、その奴隷となる」という文章
だった。
毎月或る事柄をとりあげて自分自身納得のいく文章にまとめ、起承転結をつけるということは、ボケ防止にもなり
又大いに退屈凌ぎになるところから、我ながら実に良い事だと思うようになり何とかそれを習慣にしようと努力した
結果なのだ。
要するに私は「コア」の奴隷になろうと必死に努力した結果、今日まで続けることが出来たというわけである。
最初に「コア」に原稿を掲載して頂くことになった半年程前、私を生んで24才の若さで亡くなった母が青春を過した
台湾に行く機会にめぐまれた。
当時、ある機械メーカーの代理店の社長をしていた私は、会社の販売成績が良かった為に当時流行の台湾に他の
代理店の人達二十数名の団長として行くことになった。
少し早く羽田に着いた私は機内で読む木を買おうと空港内の本屋に入った。
私の会社は売上こそ多いものの経営状態は頗る悪く、いつも会社の事が気になっていた為もあって、「私は成功する
迄やり抜く、私は成功するために此の世に生まれて来たのだ」という副題のついた「大いなる訓戒」という本が
目に留まった。
藁をも掴む思いでその本を買った私は飛行機の座席につくなり早速本の頁を開いた。
本の筋書きは余りはっきりと覚えていないが最終的にはキリストが最後まで身にまとっていたロープにまつわる話しで、
一人の青年が或る実業家の教えを一つ一つ忠実に守り、ついに巨万の富を得ると同時に真あ信仰に目覚めるというもの
だった。
そして、その訓戒の最初が「成功しようと思う心が強ければ決して失敗には挫けない。今日私は新しい人生を
始める。良い習慣を創りその奴隷となる、そして私の人生の成長を何者にも防げさせない」というものだった。
尚、その他の訓戒は約20年前の私のノートに書いておいたので、その中の幾つかを紹介しよう。
1. |
今日此の日を愛をもって迎える、愛を最大の武器としよう、そして何者にもまして自分自身を愛しよう。
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1. |
私は遂に看取った。難関、失望、心痛の総てが、実は姿を変えた絶好の成功す機会だという事を。
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1. |
今日を私は人生の最高の日にする、そして今日が最後の日でなかったら私はひざまずいて神に感謝する。
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1. |
今日から私は汗だけを流して決して涙を流さぬ様にする。笑える限り貧乏には絶対にならない。笑いと快活さが
あってこそ本当の成功を収めることが出来る。
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1. |
私は今ただちに行動する。行動がなければ私の夢も計画も塵芥にすぎない。
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1. |
以上述べた事が出来ますように神に祈る、然しそれは総てが自分の意思によるしかないという事を充分に知っていての
上の事である。等々
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極くあたりまえの様なこれらの文章も、会社倒産の危機にあって何事も悪い方にばかり考えて半ば神経衰弱気味だった
当時の私にとっては何か新しい力を得たように思えたものだった。
まさしく此の本は私を生んで僅か半年で此の世を去った台湾育ちの母からの贈り物のような気が
して、たちまち本の虜になってしまった。
ところが私達の飛行機は台湾の天候が悪化した為一旦沖縄の那覇空港に着陸して天侯の回復を待つことになった。
その結果約1時間半遅れで台湾に着いた私達はひとまずホテルに立ち寄って荷物を降ろし、希望者のみ今回の
台湾慰安旅行の最大の目的たる俗にいう「良い処」に行く予定だったのが、到着が遅れた為、取り敢えず迎えのバスで
全員がその「良い処」まで連れて行かれてしまった。
品行方正(自称)な私としては当初よりそれは予定に入っておらず、まして機内で読んだ本の影響もあって皆と別れて
一人タクシーでホテルに入った。奇しくもそれは私の幾度目かの誕生日でもあった。
次の日の朝早く私は一人の老女の訪問を受けた。
その老女は結婚前の妻の面倒をみてくれていた乳母で、彼女の娘さんが台湾の人と結婚した関係で台湾に移住して
いて私の台湾行きの話を聞いて特産の果物の大きな籠を持ってホテルまで私を訪ねて来てくれたのだ。
朝食前だった私は彼女と一緒にホテルの食堂に入った処、前日別れた人達の何組かが、それぞれカップルで仲良く
朝食をとっていた。
私が80才近い腰の曲がった彼女と一緒に食堂に来たのを見た彼等は自分達のケースに当てはめて度肝を抜かれたらしく
「団長の趣味はものすごい」と言う事になり、未だに当時の仲間に会うとその話しを持ち出される。
兎に角私は母の贈り物だと信じている「大いなる訓戒」のお陰で皆と行動を共にすることもなくホテルでゆっくりと
読書を楽しむことが出来たというわけである。
然し、後から考えてみると。かつての自分の乳母をわざわざホテルに行かせたのは私の行動を監視する為の女房の
策略だった様な気もする。
世の中何が怖いといって女程怖いものはない!
よくもまあ此の年迄無事に過せたものだとつくづく御先祖様に感謝している。
桑原・桑原
以上