拈華微笑(ネンゲミショウ)無門間(ムモンカン)
(2008年4月号)

わかりやすい文章で哲学を語り、数多くの著書を残した池田晶子さんが腎臓癌で亡くなってから一年がすぎた。 47才の短い一生だった。
 その彼女の最後の対談となったのが、宗教哲学者の大峯顕さんとのものだった。
 対談は「知と信を巡る対談」、副題を「君自身に還れ」として本願寺出版社から池田さんの死後 程なくして刊行された。
 「君自身に還れ」、この副題を目にした時、私自身が本当に人生を見つめて生きているかを問わ れているような気がした。

この対談のねらいを大峯さんは「長寿と金銭が最高の善」と思いこんでいる人の多い現代、自己とは一体誰なのか、 という人間の根本問題を真剣に考えようとする人々の刺激になるならと述べている。
 又、池田さんは、お金でもモノでもない「本当の言葉」の大切さを、より多くの人々に知って頂 きたいと力説する。
 何故ならば、言葉はそれが書かれれば書かれる程、会話をすればする程、本来の価値が失われていくものなのに、 最近どうも言葉の氾濫、言葉の飽和状態、無駄なおしゃべりの時代の到来のような気がするというのだ
 又、大峯さんは「言葉の無効用性」こそ大切にすべきだと言うつ例えば愛を語る時、その言葉に実用的な効用は なく、唯、相手に伝えたいだけ、つまり無効用性、それが言語の持っている本来の価値であり、更にいうならば 「沈黙こそが本当の問いを喚起させる切っ掛けになる」と言う。

池田さんは更に、自分自身の心の中を省みる「内省」の重要性を強調し、内省がなければ問いはなく、従って 「空しい、おしゃべりの時代」になる。
 要するに「沈黙と内省」こそが現代社会に於いて最も求められるものだと言う。
 ある時、お釈迦様の有難い説法があるというので大勢の人が集り、代表の人が美しい花束を捧げ、お釈迦様に 説法を始めて頂くようお願いした。
 ところがお釈迦様は、その花を手にとってひとひねりしただけで一向に説法をお始めにならない。
 集った聴衆は一体どうなっているのか、さっぱりわからず茫然としていたが唯一人、 摩訶迦葉尊者(マカカショウソンジャ) だけが「にっこり」と微笑んだ。
 するとお釈迦様は「仏教のすべてを摩訶迦葉に伝え終わった」と言われた。
これを「拈華微笑」というのだが「お釈迦様が花を拈ぜられたのは言葉ではあらわすことの出来ないギリギリの ところを悟らせようとし、それに対して迦葉尊者がお釈迦様の伝えようとする心を悟 ったので「にっこり」と微笑んだというのだ。

理屈をつけて論理的に説明しないと大概の人は理解出来ない、禅の修行は、その理屈を一気に超えて、ずばり、 心から心へ直接伝えるのだといわれている。(似心伝心)
 人は、師を超えるところまで修行しなければ師の法をつぐことは出来ない。師を超える努力があって初めて師の心 をつぐことが出来る、と禅は説く。
 然し、凡人の私等は、この思い通りにならない人生の旅を、どうにか生きて行けるのは人間に「言葉」がある からだとさえ思っている。
 ままならぬ世を、ままならぬまま、どうにか生かされているのは私達に言葉があるからで、私達は言葉によって 自分と出会い、言葉によって誰かとつながることが出来る。
 唯、本当に私が私を生き、誰かと生きて行く為には池田さんの求めてやまない「生きた言葉」が必要なのだと、 つくづく思う、然しそれは容易なことではない。
 私の書く「馬耳東風」も来月号から19年目に入るが、池田さんの言うように言葉は書かれれば、 書かれる程、その言わんとすることから遠ざかっていく時がある。

それは私の表現方法の稚拙さからくるものなのだが、尚その上に私のこれ迄の文章は論語にいう 「狂狷(キョウケン)」(理想に走りかたくななこと) の(ソシ)り をまぬがれぬものと反省している。
 「楞伽経(リョウガキョウ)」 というお経によると、お釈迦様はインドのブッダガヤで悟りを得られてからクシナガラで 涅槃(ネハン)にいたるまでの長い年月、唯の一言も教 えを説いたことはなかったという。
 然し、現実には釈迦は多くの法門を説き、八万四阡の法門として今日に伝えられている。
 それなのに何故「楞伽経」は「一字不説」を説かれたのだろうか、恐らくそれは単なる逆説ではな く、釈迦でさえ言葉で説くことの出来ないものがあったということなのだろう。

 「コ ア」を購読されている方々の中には私の「馬耳東風」をお読み頂いている人もいることと思う。
 私達は皆、無名の人間同士ですけれどお互いに何かを縁として、めぐり合い、つながっているの です。人間という字は皆様よくご承知の如く「人」は一人では立っていることが出来ない、人はもた れ合い支え合って成り立ち、「間」は「あいだ」「すきま」という意味のほかに「めぐり合わせ」とい う素晴らしい意味もあるのです。
 どうかこれからも「袖振り合うも他生の縁」と思し召して今後ともお付き合い頂きたいと切に思 っております。
 勿論「馬耳東風」として。

以上