新年明けましてお目出とう御座います。
ついこの間まで暑く寝苦しい夜を過ごしていたのに、もう正月になってしまった。
年をとると一年がこんなにも短くなるものかと、つくづく情けなくなってくる。
考えてみると、早いものでこの「馬耳東風」も18年目の春を迎えたことになる。
この一年間私は一体何をしてきたというのだろう。
一昨年の暮れの日記には、来年こそはとばかり、実にいろいろな計画を立てていたが、“来年は来年はとて暮れにけり”
で今改めてこの一年を振り返ってみても、結果として、これといって特筆すべき事もなく平凡な一年だったと思う。
もっとも去年の私の運勢は「低迷運」「人事を尽くして天命を待つ」とあり、それならばと自分なりに人事を尽く
したつもりだから今年どの様な天命が下ろうとも甘んじるつもりだ。
松尾芭蕉は元禄2年3月27日(新暦5月16日)日光・松島・平泉・川羽三山・象潟など、古人の足跡をたどる「おくの細道」
46才の命がけの風雅な旅に出た。
その芭蕉が俳文「幻住庵記」の中で「萬
のことに心を入れず終
に無能無才にして此の一筋につながる」と書いている。
芭蕉にして猶
そうなのかと驚くが、此の一筋につながると書いたところに、俳諧を真の文芸の域にまで高めた彼の自信のほどが窺える。
せめて今年からは無能無才の私も、萬のことに心を入れず、彫刻一筋に的を絞り、いつの日にか、この一筋につながると
いきたいものだ。
児玉光雄著「イチロー哲学」によれば、
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成長する為には自分と真正面から向き合って悩み抜くしかない。
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大きな目標を掲げて、それを人に話す事によって決意をかためる事が出来る。(お陰様で、この20年近く「馬耳東風」を
書かせて頂いて、自縄自縛の効力をいやという程味わっている。)
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目標は出来るだけ高くして、その実現に挑戦しよう。(とりあえず西村の馬の彫刻の確立に挑戦)
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10年やっていることでも新しい課題が出来る、そこで益々意欲が湧いてくる。(60数年間続けた馬術でも、まだまだ新鮮な
課題が生まれ、新たな挑戦の意欲が湧いてくる。)
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成果の出ない期間が長い程、次の飛躍は大きい。(決して諦めないこと。)
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プレッシャーがあればある程、大きなパワーが生まれる。(なにくその精神。)
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うまくいかな時程、集中力を研ぎ澄まして冷静に行動すべきだ。(経験が物を肴う。)等々。
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昨年の元旦の日記に私は競技馬術は去年で卒業と書き、60数年間の選手生活に終止符をうった。
そして喜寿からの挑戦として彫刻に専念することにして「喜寿からの挑戦」というDVDを作ったが、この挑戦は決して
去年だけで終わらせるつもりはない。
従って、去年に懲りず今年も又自分なりの、馬の彫刻を確立すべく新たな意欲を燃やそうと思う。
いつの日にか「この一筋の道」につながることを夢見て。
今年の年賀状に私は世阿弥の「花鏡」の中の「老後の初心忘るべからず」を引用して「老後の初心の感度を高めたい」と
書いた。
世阿弥の「初心不可忘」には三條の口伝があり、1.是非の初心忘るべからず、2.時々の初心忘るべからず、
そして3番目が老後の初心なのだ。
何故今年の年賀状が老後の初心なのかというと、今年の私の運勢が「育営運」とあり、その内容は昨年のいわゆる
「厄年」が明けて前途に希望が湧いてくるが急速な好転は望めない、当分はラチが明かず渋滞するものと考えて、心を引き
締めて進退出処を心掛けること、とあり、更に78才は自説を曲げぬ偏屈さは人が離れ孤立無援を招くとあるからで、
まさに一難去って又一難と言うべきだが、「育営」とは一体どういう意味なのか広辞苑にもその熟語は見当たらない。
兎に角、老人らしく人様の言うことを素直に聞いて
営営と(せっせと)彫刻の披術を磨き育てる
事と解釈して老後の初心としたのだ
忘れもしない今から25年前、「子年」の正月に私は染色家の丸山爾丘さんから何ともとも粋で素晴らしい年賀状を頂いた。
坂東玉三郎や山田五十鈴さんの舞台衣装を手がけた彼女からの年賀状は、和紙に手書きで福の神の定宿、西村家と書かれた
蔵の観音開きの戸を開くと三匹のネズミが打出の小槌をかついで「オーイ親分!忘れちゃだめだよ」と叫んでいる。
それを聞いた大黒天は「いいんだよ、そりゃ西村にやったのさ」と言うのだ。