昭和の哀歓
(2007年9月号)

 「お 酒はぬるめの燗がいい
  肴はあぶったイカでいい」
 日本酒党の私の好きな詞だ。
 独り、しみじみと日本酒を飲んでいる時、決まって私の脳裏を ()ぎるのがこの舟唄であり、時に はそっと小声で口ずさむこともある。
 その阿久悠氏が70才で亡くなった。本当に惜しいことをした。
 「雨よ降れ降れ 風なら吹くな
  うちの親爺(おやじ)は 船乗りじゃ
  風がものいや 言伝(ことづて)しようもの
  風は諸国を吹きまわる」
 これも又舟唄なのだが私が小学生だった頃父から教わった長唄の新曲浦島の中の舟唄で私の唄え る数少ない長唄の一節である。
 この作詞は誰あろう明治・大正・昭和を生きた碩学、坪内逍遥だと聞いたことがある。

今からかれこれ20数年前、会社の忘年会の崩れで若い女子社員2〜3人に誘われて六本木の ディスコの様な所に飲みに行った時のことだ。
 社長も何か歌えと言われ、酒の酔いも手伝って茶目っ気半分、それでは一つ伴奏なしでしんみり と舟唄でも歌おうかと言った。
 それは、ちょうど八代亜紀の舟唄が流行(はや)って いた頃だった。
 そして酔った私は事もあろうに新曲浦島の舟唄を歌い出した。
 途端に店内がシーンと静まり返ってしまい、これはしまったと気付いた私は歌うのを途中で止め てしまったが、以来会社の女性達に社長とは二度と飲みたくないと 旋毛(つむじ)を曲げられてしまった。
 その時の会社は荏原製作所の代理店で、その御縁で「コア」に「馬耳東風」を書かせて頂くことになった。
 然し、物書きでもない私が、月刊誌に毎月決まって何かしら書かせて頂こうと決心したのは私の専門の馬術に関する ことだけでも何とか一年はもつと思ったからだ。然し、いざ書いてみると忽ち書く「ねた」が無くなって、もう書く 材料が無くなりましたと白旗を掲げようと思ったことも幾度かあった。

ちうどその様な時、たまたま毎日午前四時から始まるNHKのラジオ深夜便、「心の時代」を耳にした。
 咄嵯にこれは「コア」の原稿のネタになると直感した私は、それからというもの朝の四時からNHKのラジオを聴く のが習慣になってしまい、不思議とその時間になると目が覚めるようになり寝床の中でメモをとったり、ラジオの スイッチを切って今迄の話を反芻(はんすう) して一人その余韻を楽しむようになった。
 「その心の時代」の中でも最も私の好きなのが、毎月の最終日曜日の番組で、2年程も続いていようか、 五木寛之氏の「わが人生の歌がたり」というのがある。
 五木寛之氏とナレーションの須磨佳津江さんとの絶妙なしかも、しっとりとした言葉の遣り取りは、日本語の乱れの はげしい今日(こんにち)、まさに絶品と 言わざるを得ない。
 そのラジオ深夜便、心の時代は「流れ行く川のように、時代は移り、人も変わる。その後に一つ の歌が残り、過ぎゆく季節の記憶を奏でる」というイントロで始まる。

私より3才年下の五木寛之氏は、まさに私と同時代を生きたことになるのだが、彼の人生は波乱万丈で、 終戦の昭和20年9月にはソ連軍の侵攻によって家を接収され、病気の母親をリヤカーに乗せてピョンヤンの街を さまよい、食べるものも薬もないままに母は死亡し、やっとの思いで日本に帰りついた寛之少年は行商をやったり しながら父親とともに懸命に働いて幼い妹達を養い、早稲田大学に入学してからも下宿代もなく大学の近 くの穴八幡宮の床下で寝泊りしたという。
 又、大学時代のアルバイトは更に過酷をきわめ、常にお金はなく、大変に貧乏で、食うや食わずの 生活を続け、私が慶應大学を卒業した昭和27年に彼は大学に入学する事になるのだが、それは正に 言語に絶する放浪生活だったという。
 然し、彼の語りは実に淡々としていて惨めらしさは微塵もなく、苦労しているという実感がなかった のは世の中が明るかったせいのように思うと述懐する。
 貧乏や苦労に負けることなく、むしろそれを糧として大きく成長し、将来に常に希望を持って生 きている五木寛之氏を私は心から尊敬する。
 そして彼がその様に強く生きられた一つの要因がその時々の歌謡曲だったと彼は言う。

 「つ らい時、悲しい時に、私は歌をうたって生きてきました。その流れゆく歌のかけらを一つずつ拾い集めている うちに、自分の生涯が影絵のように浮びあがってきたのです。幼年時代、そして外地で敗戦を迎えてからの歳月は、 いま忘れられかけた昭和の歌とともに私の心に流れています。この国が戦争の傷跡をいたわりながら、年ごとに 復興していく時代の背後にも、歌がありました。そんな小さな記憶を深夜に語ったのが、この『わが人生の歌がたり 一昭和の哀歓』です。この一冊が同じ時代を生きた皆さんがたの思い出に届きますように」。
 ラジオの「心の時代」「わが人生の歌がたり」を纏めた本の中で彼はそう述べている。
 まさしく彼と同時代を生きた私は学生時代には何不自由なく馬に乗り学校に通っていた。
 然し、彼がラジオの中で聴かせてくれる歌謡曲や流行歌は、どれも私にとって懐かしく響き当時の事を生き生きと 思い出させてくれる、それ程当時の私達にとって歌は掛け替えのない存在だったのだとつくづく思う。

翻って今の若者達はどうだろ、仮に私達の時代に今日の様にテレビやテレビゲームが氾濫していたとしたら恐らく この様な気持ちには在らなかったに違いない。
 流れ行く川のように、時代は移り、人も変わる。その後に一つの歌が残り、過ぎゆく季節を奏でる、 と彼は言う。
 然し、今の若者達には一体何が残るというのだろう。喜寿を過ぎた私には残念ながら想像がつかない。

−以 上−