喜寿からの挑戦
(2007年5月号)

今回は私事で恐縮ですが、私の喜寿からの挑戦について書かせて頂く事とします。
 この5月に喜寿になるのを機に、今迄に2回「西村修一の馬人生」と「馬の心を彫る彫刻家・西村修一」として 衛星テレビをとおして全国に放映して頂いたグリーンチャンネルの方々の薦めもあり、 烏滸(オコ)がましくも「喜寿からの挑戦」という標題で 私の事を約30分間の映像にまとめ、それをDVDにして頂いた。今改めてそのDVDを見てみると、随分独り善がりの世迷い言を 並べ、赤面の至りだが恥をしのんでその概要を書いてみよう。

挑戦といえば、彫刻界の大先輩、平櫛田中は90才の時20年分の彫刻の材料を購入したというから、それを思うと私の挑戦等、 洟垂れ小僧の挑戦に過ぎないが、然し、私の様な男を六十数年間も楽しませてくれた馬への恩返しのつもりで始め た馬の彫刻に新たな表現方法を試みたいという思いと、これからは勝負に拘泥する競技馬術を目指すのはやめて、 そのかわりグランプリ種目を満足のゆく程度にこなす一級品の馬の乗り味を楽しみながら、更にその醍醐味を深めることが 出来たらと思っている。
 又、馬を通して馬から学んだ私なりの人生哲学の様なものを一応私の記録として留め、決意も新たに更なる前進を試みる つもりだ。
 然し、これ迄に心臓の大手術を含めて計7回もの手術を経験している私は、何時死んでも不思議はなく、挑戦半ばでの 討死にも覚悟の上、これから歩む一歩一歩が、常に人生の目的でありゴールであると心に念じつつ私なりの挑戦をしよう と思う。

現代馬術の創始者、ジェイムス・フィリス(1834〜1913)は「馬術の根本は馬の前進力を利用することである」という真理を 体得し、「前進・前進・常に前進」をモットーとした。
 馬の躰の中に常に旺盛なる推進気勢を漲らせつつダイナミックで優雅な運動をするところに馬術 の神髄があるというのだ。
 考えてみれば、仏教教典の最長編である「大般若経」の精髄を抽出して組みたてたという「般若心経」の最後の真言
羯諦羯諦(ギャテイギャテイ)  波羅羯諦(ハラギャテイ)  波羅僧羯諦(ハラソウギャテイ)  菩提薩婆呵(ボラジソワカ)
も又要約すると「行こう、行こう、全てを越えて行こう、なんという目覚めだろう、まさに彼岸への第一歩を 踏み出したのだ、本当によかった、めでたい」。ということになる。
 私のこれからの挑戦が、めでたい結末となるか、又は徒労に終わるかは、私のこれからの行動で決まる。兎に角 やってみる以外にない。
 又、お陰様でこの「馬耳東風」も、この5月号で18年目に入った。
 私はこれ迄の17年間、あつかましくも感じた事、言いたい事をその都度 (ツタナ)い文章にしてきたが、選びぬかれた馬の美しさは 到底文章や言葉で表現することは出来なかった。
 要するに生命のあるものには必ず動きがある。馬の真の美しさはその動きの中にのみ存在し、肉体の躍動姿勢への 強い関心を充分に満たし活かすには、三次元の芸術である彫刻以外にはない。言葉や一文章で表現し得ないもの、 それが彫刻なのだ。

躍動する馬の美を感じるのは、一瞬前の姿を目に焼き付けながら今の姿を見た時、私は次の動きを想像することが出来る。 その次の優雅で美しいであろう姿を想像した時、私の肌は鳥肌となる。
 要するに過去・現在・未来の姿を凝縮した姿を彫刻で再現出来たとしたら、その作品は芸術作品と言えるだろう。
 然し、その芸術作品は総て偶然によってしか生まれない。
 従って私はその偶然を一期一会として日々彫刻を創り続ける以外にないのだ。
 その行為は運命でもなく必然でもない、その総てが偶然なのだ、偶然と思い定めて必死に創り続ける所に新たな驚きが 生まれ、新たな発見があり総てが新鮮さをもって立ちあがってくる。
 理屈で考え、理想を描き、判ったつもりで彫刻、を創ろうとすると自分の作品を、どうしても批判的に見てしまう。 理屈抜きで常に頭と目を動かして粘土と格闘する以外、彫刻家の生きる道はなく、禅僧の様に 跌跏(テッカ) し瞑想しても決して彫刻は生まれてこない。

喜寿とはいえ60才から始めた私の彫刻は枯れた人生のプロローグだと思いたい。何としても自分に納得のいく作品を創り たいと切に思う。
 そして馬術も又納得のスポーツなのだ。馬術は馬と人間との約束事の上に成り立つものであり、馬が騎手の扶助に対し 納得して行動せぬ限り決して良いリズムや優雅な動きは期待出来ない。
 「善因善果・悪因悪果」というが、馬にとっての善因を施さぬ限り絶対に騎手のところに善果となって返ってはこない。
 騎手は常に馬にとっての善因を施し、まず馬を幸福な気分にさせた上でその馬の幸福感の「おあまり」を頂くだけで 満足することだ、騎手にとっての幸福は馬の幸福以外にはない
 又、馬術は騎手が馬の背に跨るのではなく、馬の背の中に自分の身体をめり込ませる様に騎乗して、馬の首が騎手の 腰の前から出ている様な感じがしたら、しめたもので、そうなると馬はバレーのダンサーとなり、騎手はダンサーに サポートされて生き生きと舞うバレリーナとなって人馬共に極楽に遊ぶことが出来るというもの、然しこれは 言うは易く行うは難いがこれも又何としても挑戦したいものの一つである。
 いずれにしても播かぬ種は生えない、播いた種は縁があれば必ず芽をふくものだ。私の卒業した慶應の中学校(普通部) の校歌を思い出す。
 
 「まなこをあげて あおく青空

希望は高し 目路ははるけし」
 「豈春草の 夢に酔わんや
あゝ我等みな 志あり」。
(佐藤春夫作詞)
−以上−